第108話「嫉妬?」
彼らと別れた後、俺はスマートフォンを取り出した。
電話の相手は、亜弥だ。
「もしもし、今大丈夫か?」
『ええ、さっき仕事が終わったばっかりなの。どうしたの? あなたから電話をかけて来るなんて珍しいわね」
「まあ、いろいろ決着がついてな」
亜弥には今日のことを伝えてある。
そのことを電話で伝えた時の彼女の反応はただ感情もなく「仕事で行けない」ということだったのをよく覚えている。
それが和泉に対する拒絶なのか、それとも別の感情か、本当のところは定かではない。
そして、塾の方にも有休を申請した。
塾長に就任してから有給なんてほとんどないから少し緊張したが、なんとかなってよかった。
俺はあの場の出来事を話した。といってもあの異様な雰囲気を言語化するには少々無理があったので、話し合いで決まったことだけを淡々と述べただけだったが。
亜弥は「そう」と頷くだけだった。
「だから一通り終わったよ。まあこの後は経過観察が必要だろうけど」
「……今から会えないかしら」
「今から? それは構わないけれど」
じゃあ、と亜弥は場所を指定し、電話を切った。
一体何の話をするのか、俺には見当もつかない。
和泉の話をするには今さっきまで電話でしていたし……まさか破局を告げようなんて思ってもいないだろうな。
途端に不安になってきた。
待ち合わせに指定されたのは、いつぞや訪れた駅近くの喫茶店だ。
あれは確か亜弥が和泉に関する情報を俺に渡してきたときのことだった。
どうしてあの場所を指定したかは未だにわかっていない。別に電話で伝えてもよかったのでは、とさえ思ってしまう。
ただ、あの店は彼女の行きつけの店らしく、何かモヤモヤした感情があるとよく訪れるのだとか。
カランコロン、と店のドアを開けると、既に亜弥がコーヒーを飲みながら席に座っていた。
「こっち」
コンコン、と彼女がテーブルを小さく叩く。
その音に案内され、俺は亜弥の正面に座った。
「それで、どうして呼び出したの?」
「特に理由がないといけないかしら」
「いや、そういうことを言ってるんじゃないけどさ、ちょっと気になるって言うか、なんと言うか……」
目の前の亜弥はじーっとこちらを見つめてくる。
瞬きひとつせずに視線を絶えず送り続けているのだから、それがプレッシャーになってしまって圧がものすごい。
なんだか、中学時代の彼女が目の前にいるみたいだ。
威圧感に押しつぶされそうになりながら、俺はちびちびと水を口にする。
いや、まて。
中学の時はあまり彼女と関わってこなかったから、あまり亜弥のことをわからなかった。
けど、こうして親密になった今なら、彼女の所作の節々にそのヒントが隠されている。
例えば眉。なんだかいつもよりもほんの少しだけつり上がってるように見える。
ひょっとしてこれは、何か起こっているのではないだろうか?
「……俺、何かした?」
「自分の胸に聞いてみたら?」
その答えから察するに、俺は何かやらかしてしまったらしい。
失礼な話だが全く身に覚えがないので、必死になって記憶の中からなんとか捻りだそうとする。
が、出てこない。
「ごめん、何も思い浮かばない」
首を項垂れる俺だったが、そんな俺の様子を彼女はスマートフォンで写真を撮っていた。
パシャリ、とシャッター音だけが俺の耳に届く。
何が起きているのか理解できなくて顔を上げると、彼女はニヤニヤと笑みを浮かべながらスマートフォンに顔を覗き込む。
「別に怒ってなんかいないわよ。呼び出した理由も特にないし。ただ私があなたに会いたかっただけ。ごめんなさい、紛らわしいことしちゃって」
うふふ、と彼女は満足そうに説明すると、またコーヒーを口にした。
なんだ、と安堵する一方で、じゃあ俺の長年の経験により培った観察眼は一体何だったんだ、とほんの少しだけ憤慨してしまう。
そんな俺の気持ちを宥めるように、でも、と彼女は言葉を続けた。
「本音を言うとね、少し嫉妬してたの」
「嫉妬?」
「そう。詩織に。あなた、最近ずっと詩織や雄星くんのことについて考えていたでしょう? それが、教育者としては正しいことなのかもしれないけど、あなたがそこまで首を突っ込まなくてもって思ってしまって……」
だから、彼女の眉が少しつり上がっていたのか。
おそらく亜弥にしてみればこのポーカーフェイスはただの作り物だったにしても、内に秘めた俺への僅かな怒りのような感情が漏れ出てしまったのだろう。
なんだか、可愛いとさえ思ってしまった。
「放っておけないんだ、こういう問題を目の当たりにしてしまうと。それに、あのまま放っておくと俺達の方にもいずれ飛び火してしまうかもしれなかったし」
「それはそうかもだけど……」
「でも心配かけてごめん。もう大丈夫だから」
「……わかったわ。あなたのことだもの、信じる」
神に誓おう。決して不倫などしない、と。
その後しばらく亜弥と談笑し、夕飯をご馳走してもらうことになった。
いつもと逆の方向からスーパーに向かい、食材を買い、彼女の家に向かう。
なんだか新鮮な気分だ。
「あなた、いいお父さんになれそうね?」
「そうかな」
「そうよ。現に、夏海が懐いてる」
そうだったらいいな、と夕映えの空を眺めながらふと思った。
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