第102話「まさか」

 勝負が終わってからしばらく経っても、夏海ちゃんはプリプリと頬を膨らませていた。

 

 亜弥の態度が気に入らないのか、それともサーブミスで負けてしまったことがよほど悔しかったのか、うつ伏せでビニールシートの上を独占する。


「はしたないわよ」

「うるさい。あっち行ってて」


 未だにツンケンとした態度を向ける。それなりに心にダメージを受けたようで、亜弥はしゅんと肩をすぼめた。


「ほら、夏海ちゃん。元気出して。お昼ご飯何か奢ってあげるから」

「こら、そんな風に甘やかさないの」


 まったく、と亜弥は呆れたように溜息をつく。が、全ての発端は彼女にあることを忘れてはいけない。


「君が大人げないことをしたから」

「だって、バレーボールに関しては全力で行きたいもの。夏海に失礼よ」


 ふん、となぜか彼女は胸を張る。

 そこまで誇れるようなことでもないと思うのだけれど。


 しかし、亜弥の動きは現役選手である夏海ちゃんと引けを劣らないくらいの動きだった。

 アラフォーとは思えないくらいの機敏さがあり、社会人チームなら即エースに躍り出るかもしれない。


 翌日の筋肉痛が恐ろしそうだけど。


「でもまあ、お昼ご飯にしましょうか。丁度いい時間だし、運動したからお腹空いちゃった」


 亜弥はさすさすと右手で自身の腹部をなぞる。

 スマートフォンの時計を確認すると、もう12時になろうとしていた。


「海の家で食べようか」

「でもかなりいっぱいよ? ここに持ち帰れるものにしましょう。ほら夏海、行くわよ」

「やーだ」


 夏海ちゃんは相変わらずうつ伏せのままだ。はあ、と亜弥は溜息を漏らす。


「そうね、来なかったらあなたの秘密、先生に言いふらしてしまいましょうか」

「秘密?」

「確かあれはあなたが5歳の時……」

「わかった! いくから! それ以上はやめて!」


 よろしい、と勝ち誇ったように亜弥は笑った。

 一体夏海ちゃんが5歳の時に何があったんだ。

 多分、子供なりにとんでもなく恥ずかしいことなのだろうとは簡単に想像は着くけれど。


 よほど秘密を暴露されるのが嫌だったようで、夏海ちゃんはすぐに起き上がり、亜弥の後ろをついていく。

 これでまだビーチバレーで勝利した時の「なんでも1つだけ言うことを聞く権利」を行使していないのが恐ろしい。


 俺も貴重品を持って、海の家に向かった。

 やはり昼時と言うこともあって中の席はどこも満席で、俺達が座れそうな場所はどこにもない。


 厨房の奥からじゅうじゅうと何かを焼いている音が聞こえてくる。

 匂いから察するに、おそらく焼そばだろう。


「いらっしゃいませ……あ」

「あ」


 店員の顔を見て、俺は数秒間硬直してしまった。

 目の前に見慣れた人物が立っている。こんなところを見られるとは思いもしなかった。


「……どうも」

「塾長……」


 鈴井先生が口を開けたまま、俺を見てくる。

 石のように固まった俺達を不思議に思ったのか、亜弥がつんつんと脇腹をつつく。


「どうしたの?」

「いや、同じ職場の人間がいたから」


 そういえば、鈴井先生の出身はこの近くだったような気がする。

 なるほど、この時期は海の家の手伝いで忙しくなるとは聞いていたが、まさかここだとは思いもしなかった。


「……何にします?」

「じゃあ、焼きそば3人分」

「わかりました」


 焼そば3、と鈴井先生は厨房に大声をかける。

 いつもは控えめな声をしているから、こんな風に声が出せるのか、と少し驚いた。


 俺はそそくさとお金を払い、後続の邪魔にならないように脇に逸れた。

 手元に焼きそばが届くまでの時間が何だか気まずい。

 職場以外で職場の人間と会うのは別に構わないのだが、亜弥や夏海ちゃんたちと一緒にいるところを見られたのは少し恥ずかしい。


 まあ、水野先生の時も似たようなものだったけれど、今回はその比ではない。


「お待たせしました」


 鈴井先生が3人分の焼きそばを手渡す。

 彼も何だか気まずそうな雰囲気を出していた。


「ここでのこと、他言無用でお願いします」

「わ、わかりました」


 すぐにこの場を離れた。真夏だというのになんだか真冬のように寒い。

 亜弥と夏海ちゃんは不思議そうに俺の方を見ていたが、正直彼女たちを気にかける余裕は生まれなかった。


 ビーチパラソルに戻り、ふう、と一息つく。


「なんであんなによそよそしかったの?」

「いや、こんなところで職場の人と会うと思ってなくて」

「だからって、別に恥ずかしがることじゃないじゃない」

「それはわかってるんだけどさ、なんか、同じ仕事場の人に自分の恋愛事情知られるのって恥ずかしくない? 同性相手だと特に」


 確かに、と夏海ちゃんはやけに納得したようにうなずく。


「え、まさか夏海、あなたそういう人がいるの?」

「違うって! でも、なんかわかる気がするって言うか、私ももし彼氏ができてもお母さんや先生には言いたくないし」

「へえ。まあ仮にあなたに恋人ができたとしても、悪い人だったらお母さん許しませんからね」

「大丈夫だって。私、人を見る目あるから」

「本当かしら」


 いつの間にか亜弥と夏海ちゃんは仲直りしていた。

 よかったよかった、と安堵しながら俺は焼きそばを啜る。細麺なので口に入れやすく、なおかつスースもマイルドなので食べやすい仕上がりになっている。


「冷めないうちに食べちゃおう。美味しいから」


 2人も焼きそばを食べる。


「美味しいけど、もう少し味を濃くしてもいいのかもしれないわね」

「私もそう思う」


 厳しい判決だな。俺はこのくらいが丁度いいのだけれど。

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