第100話「海にて、心は」
車を走らせること約1時間半、俺達は海水浴場に辿り着いた。
やはりシーズンと言うこともあって多くの人で賑わっている。
日差しも強く、太陽を遮るものは何一つとしてない。
絶好の海水浴日和だ。
「そういえばあなた、水着はどうしたの?」
「ああ、海に入るつもりないから買ってない」
「まあ!」
亜弥は目を丸くして、驚嘆の声を上げる。
仮に持ってきたところで俺はカナヅチなので泳ぐことには若干のトラウマがある。
しかし俺が海に入るつもりが全くなかったのがそんなに気に入らなかったのか、プリプリと亜弥は頬を膨らませながらグルグルと俺の周囲を回る。
「そんなに私と海に入るのが気に入らないって言うの?」
「いや、そういうわけじゃないけど、俺泳げないから」
「浜辺の方で遊んでいればいいじゃない」
「そうは言うけどさ、もうそんな海ではしゃぐような歳じゃないから」
「歳なんて関係ないわよ。私、何歳で海に来ても楽しいわ」
ふふん、と亜弥は子供のように鼻を鳴らす。
確かにその通りかもしれないけれど、さすがに限度がある。
亜弥の見た目は実年齢よりも若々しく見え、まだ20代前半と言われても違和感はないが、それでも30後半の人間が海ではしゃいでいる姿を想像するのは精神がすり減ってしまう。
数分間駄々をこねられたが、近くに水着を買える場所はなかったため、ぶうぶうと文句を言われながらも折れてくれた。
それから、亜弥と夏海ちゃんは着替えるということで、更衣室に向かった。
その間俺は荷物番として彼女たちを待ちながら水平線の向こうを眺めていた。
海はキラキラと青く輝いていた。
眩しくて、直視することなんてできない。
なんだか、今の亜弥の純粋な心を見ているようだ。
「お待たせ」
着替えが終わったらしく、亜弥たちが更衣室から出てきた。
夏海ちゃんは薄い黄色のワンピースチックな水着を着ていた。
人前で水着を披露するのが恥ずかしいのか、もじもじと頬を赤らめている姿がやはり年頃の女の子らしい。
対して亜弥は、意外にも夏海ちゃんと同じような白のワンピースだった。
あれだけはしゃいでいた彼女のことだから、ビキニを着てはっちゃけてしまうのかと思っていたのだが、そんなことはなかったみたいだ。
彼女のビキニ姿もそれはそれとして見たかったけれど。
「どうかしら」
「あ、ああ。似合ってる……」
ビキニでなかったとしても、彼女の格好が似合っていることに変わりはない。
数秒間、俺は彼女の姿に見とれてしまっていた。
それを、よく思っていなかった人が1名。
「もう、先生。鼻の下伸ばし過ぎ」
「へえ? いや、そんなことは」
「そうね。ちょっと私のこと見過ぎじゃない?」
からかうようにニヤニヤと笑ってきた。
こうなった時の彼女は本当に恐ろしいものがある。
「ほら、行こう。場所がなくなる」
誤魔化すように俺は荷物を持ち、持参したビーチサンダルに履き替えて砂浜の方に向かった。
後ろの方で親子合わせてクスクスと笑っているのはわかっている。
駐車場からそれほど離れておらず、かつ渚からもそこまで離れていない場所にビニールシートを引き、ビーチパラソルを立てた。
亜弥は夏海ちゃんの身体に日焼け止めを塗っていた。
ほとんどの部位は夏海ちゃん自身でやっていたが、背中などの自分でできないところには亜弥が代わりに塗っていた。
ひょっとしたら、これはよく漫画などでありがちな展開になってくるのではないだろうか、と少し期待してしまう。
が、そんなこともなく、亜弥は逆に夏海ちゃんに背中を塗るように指示し、俺は寂しく1人で日焼け止めを塗った。
ちらりと俺の方を見てニヤリと笑う彼女の表情ははっきりと覚えている。
最近、すぐに亜弥に考えていることを読まれている気がする。
「さて、何しましょう」
亜弥が言った。
設営も出来て、日焼け対策も十分だが、俺達3人は未だに海に行こうとはしなかった。
あれだけはしゃいでいた亜弥ですらパラソルの中で腰を落としてジュースを飲んでいる。
「夏海ちゃんは海、入らないの?」
「何すればいいかわかんない」
浮き輪はその辺の海の家で借りるとして、他に遊べるようなグッズは持ち合わせていないようだ。
そもそも1人で海ではしゃぐこと自体が難しいことなのだ。
「で、亜弥はどうするの?」
「そりゃ、海で遊びたいけれど、何をすればいいかわからないし、私ちょっと体を動かしただけですぐに疲れちゃうから」
言い出しっぺの癖に。呆れて何も言えなかった。
そのまま雑談で時間を潰しながら、軽く10分近くが過ぎた。
「よし。夏海、お母さんちょっとビーチボール借りてくるから、それで遊びましょう」
「ビーチバレーでもするの?」
「まあ、そんな感じかしら」
ゆっくり立ち上がった亜弥は、海の家近くのレンタルショップに向かった。
パラソルの中には俺と夏海ちゃんだけが取り残されている。
「お母さん、かなり張り切ってるね」
「そうだね。正直ちょっと引いちゃう」
そんな軽口を夏海ちゃんは叩くけれど、そこに軽蔑の意図は一切ないことくらい俺でもわかっている。
「でも何となくお母さんの気持ちわかるな」
「どういうこと?」
「最初、なんで海なんかに行くんだろうって思ってたけど、いざこうやって海に来ると、なんか、心が洗われるっていうか、開放感がすごいっていうか。まあ人でいっぱいなんだけど」
「確かにそうだね」
俺も水平線を見て、少し神秘的な気持ちになった。
心の闇が浄化されていくような不思議な感覚だ。
そんな風に彼女と話していると、亜弥がビーチボールを引き下げてやってきた。
ボールを持つ彼女の瞳の奥には、並々ならぬ炎が灯されている。
どうやら、俺が思っている以上に、彼女たちの戦いは白熱したものになりそうだ。
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