生まれた意味
第99話「ドライブ・レンタカー」
社会人にとって夏休みというのは貴重だ。
休みはあっても大抵自室でゴロゴロとしているくらいで、どこかに出かけることなんてほとんどしなかった。
最近は亜弥や夏海ちゃんのおかげで外に出る機会が増えたから、今年の夏は少し楽しみだ。
と思っていたら、休み1日目で早速俺は亜弥に呼び出された。
待ち合わせ場所に指定されたのは、いつもの駅前……ではなく、彼女たちのマンションの前だった。
「おはよう」
マンションの前に着くと、似合わないサングラスをかけた亜弥がふふんと鼻息を鳴らす。
その隣で、夏海ちゃんは亜弥と極力目を合わせないようにしていた。
「えっと、その恰好は?」
「お母さん、久しぶりに海に行くから、かなり頭のねじが飛んでるみたい」
呆れていつもの笑顔はなかった。
他人の振りをするように、夏海ちゃんはじわりじわりと亜弥から少しずつ距離を取っていく。
「で、何でここに呼び出したわけ?」
「今から海に行くのよ? かなりの荷物が必要になるわけ。だから、今日は車で行きたいと思います」
「車持ってたんだ」
「レンタカーよ。ほら、駐車場に行きましょう」
亜弥は張り切った様子で、近くの月極駐車場へと向かう。
正直、そのサングラスをどうにかしてほしいが、あれだけはしゃいでいる彼女を見たことがないので、このまま放っておくのもアリかもしれない。
「ほら、これ」
亜弥が指し示したのは、黒の軽自動車だった。
荷物は既に車に積んでいるらしい。
「さ、行きましょう?」
「運転出来たんだね」
「失礼ね。たまに運転するわよ。まだ無事故無違反」
それは乗る機会が少ないからでは? と口にしたくなったが、彼女のサングラスを見ているとどうにもそんな気分になれない。
とりあえず彼女の運転の技術を信じ、助手席に座った。
夏海ちゃんも荷物を横に、後部座席に座った。
運転席に座った亜弥がサングラスを外す。
「なんでサングラスつけてたの?」
「気分」
「ええ……」
想像通り、中身なんてなかった。それも亜弥らしいと言ってしまえばそれまでだけど。
カーナビに目的地を打ち込み、ドライブが始まる。どうやら県外に行くらしい。
「ドライブなんて久しぶりね」
「車、買わなかったの?」
「だってあんまり運転する機会がないもの。買う余裕なんてないし、維持費もバカになんないから、たまに運転するくらいならレンタカーでもいいよねって」
「へえ……」
このマンションは駅までそれなりに近い。そのためどこか遠出しようと思った時は電車を使えば済んでしまう。
でも今回のように大荷物を持って移動したいときは車の方が分があるのだろう。
後部座席の夏海ちゃんはぼうっと窓の外を眺めていた。
特にはしゃぐでもなく、ただぼんやりと景色を眺めてたそがれている。
「そういえば夏海ちゃん、確かもうすぐ誕生日だったよね。何か欲しいものある?」
「うーん、今はないかなあ」
クリスマスの時は何かを欲しがっていたのに、今回はそれがなかった。
欲が空っぽになった、というわけではなさそうだけれど、かといってなんでもあげればいいというわけにはいかない。
悩む俺をよそに、亜弥ははははとハンドルを握りながら笑い飛ばす。
「なんだっていいわよ。この子、あなたの贈り物なら何でも喜ぶと思うわ」
「じゃあ、藁人形でもアジの干物でも贈ったら喜んでくれる?」
「それは……さすがにドン引きされるんじゃないかしら」
彼女の言った通り、バックミラーで確認してみると、夏海ちゃんはとても嫌そうな顔をしていた。
そりゃプレゼントにそんなものを貰ったら、たとえその相手が意中の人であったとしても気持ちが覚めてしまうだろう。
「ていうか、どうしてそのチョイスしたの?」
「いや、なんとなく浮かんできたんだよ」
自分でもなぜこの2つの単語が出てきたのかは謎だ。
車は高速道路を走る。
窓の外はガードレールばかりが並んでいて何も見えない。
同じ景色ばかりで飽き飽きしたのか、夏海ちゃんは小さな鞄からスマートフォンを取り出し、ポチポチといじり始めた。
「夏海ちゃんもスマホ使うんだな」
「そりゃ使うわよ。今は部活やクラスの連絡はグループトークでやり取りするようになっているんだから」
「そうなんだ」
とはいえ、俺の塾でも同じように情報共有はグループトークを用いて連絡している。
その方が楽だからだ。
しかし少し前までは「スマホは高校生から」というのが通説だったはずなのに、今では中学生も当たり前のようにスマートフォンを利用している。
これも時代の変遷と言うものなのだろうか。
出発から約30分近く。俺達はサービスエリアで少し休憩をすることにした。
ふう、と自販機で購入したミネラルウォーターを飲み、そびえたつ青々とした山を眺める。
住んでいる場所はそれなりに都会であるため、こういう景色を見るのは新鮮だ。
「隣、いいかしら」
自販機の横で、亜弥がどこで買ってきたのか、タピオカミルクティーを啜りながらやってくる。
もうブームはとうの昔に過ぎ去ったというのに。
「初めて飲んだけど美味しいわね、これ」
「それ、結構な糖分を摂取してるんだって」
「……頑張って痩せるわ」
俺の言葉を受けて、少し肩を落としていた。
30代になってからは本当に体重が落ちない。どれだけ運動しようと、食事制限をしようと、思うように体重は落ちてくれない。
それをわかっているから、亜弥は落胆したのかもしれない。
しばらく無言が続く。けれどそこに気まずさは不思議となかった。
ただ、心の中には、あの日からずっと抱いていたもやがかかっている。
「まだ気にしてるの? 詩織のこと」
「まあ、な」
あの壊れてしまった雄星くんをどうにかしないといけない。
そのためには、やはり和泉をなんとかしてあげないといけないのだろう。
だけど、赤の他人である俺に何ができる?
たっだ数度しか会ったことのない俺に何が出来よう?
答えは、数日やそこらでは出なかった。
「私も、ちょっと考えていたの。詩織を救うにはどうすればいいのか。あんな人間でもやっぱり殴られるところを見るのは辛いわ」
「で、何か対策は思い付いた?」
その問いに彼女は首を振る。
「だから今日は一旦リセットするの。いろいろ考えすぎちゃって答えがまとまらないから、海に行って全部洗い流すの。だから今日はいろんなこと全部ほったらかしにして、いっぱい楽しみましょう?」
「……そうだね」
最近頭を使い過ぎたような気がする。
今日くらいは全部海に投げ捨ててしまってもいいだろう。
「あ、いたいた。おーい」
夏海ちゃんが手を振りながらやってくる。
さすがにタピオカは購入していなかったようだけれど。
「さ、行きましょうか」
俺達は再び車に乗り込み、また高速道路を走った。
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