第66話「着飾るのは自分を大切にしている証拠」

 前回のデートとは逆で、今日は街の散策からスタートだ。


「今日は寒いわね」


 亜弥は肩を震わせながら俺に話しかけてくる。

 透き通るような青い空に太陽は燦燦と輝いているが、びゅう、と冷たい春一番の風が吹いている。

 最近は少し穏やかな気候が続いていたばっかりに、この寒暖差に対応できないでいたようだ。


 俺は自分が来ていたコートを脱ぐ。


「これ、よかったら使って」

「でも」

「いいから。代謝はいい方だから、なくても大丈夫だし」

「ならお言葉に甘えるわね」


 その瞬間、またしてもびゅんと勢いよく風が吹いた。

 コートがないとこんなにも寒いのか、と思い知らされる。


「……やっぱり返そうか?」

「いや、いい。君も寒いでしょ? 俺は大丈夫だから」


 とは言うものの、多少のやせ我慢は入っている。

 今日の体感気温は真冬に戻ったかと錯覚してしまうくらい寒い。それはきっとこのいたずらな風のせいだろう。


 彼女にコートを貸したまま、適当に街を歩く。

 風がなければこの寒さも案外心地よいものだ。


「このコート、いつから使ってるの?」

「いつからだったっけ。覚えてないや。それがどうかしたの?」

「いいえ、かなりクタクタになってるから、新しいのいらないのかなって」


 そんなこと考えたこともなかった。だってまだ使えるのだから。

 あまり服装にこだわらない性格故、多少ヨレヨレになっても気にせずそのまま着用することが多い。

 このコートだって、その類いだ。

 いつ買ったのかも覚えていないが、まだ使えるし寒さをしのげるため今でも重宝している。


「どうかな。上着はまだ家にあるから」

「そう」


 彼女はコートの襟で顔を隠した。

 男性用のため、彼女には少しぶかぶかのサイズになってしまうだろう。


「寒い?」

「そんなことないわ。ただ……」

「ただ?」

「……なんだかあなたの匂いに包まれてる気がして、落ち着かないのよ」


 そんなことを言われると、少し恥ずかしいような、むず痒いような、そんな感覚になってしまう。

 ぎゅっと、もう一度亜弥の手を握った。

 愛おしさが、体中から溢れて止まらない。

 本当なら今すぐこの場で抱きしめてしまいたいが、それはかろうじて残っていた理性がそれをさせなかった。


「可愛いね」

「そんなこと言わないで。照れるから」


 亜弥は恥ずかしさを隠すため、コートに顔をうずめる。

 一挙手一投足全てが可愛くて仕方がなかった。


「ほら、早く私をエスコートしなさい!」

「わかりました」


 しばらく彼女の様子で遊んでみたかったが、これ以上やると本気で怒りそうだ。

 それに、歩道の真ん中でいつまでも立ち尽くしているわけにもいかない。


 とりあえず、亜弥にどこに行きたいかを尋ねてみる。


「近くにショッピングモールがあるから、そこであなたのコートを買いましょう」

「いやいいよ。家に上着まだあるから」

「でも寒いでしょう? 風が吹いたらまた大変よ?」


 彼女に押され、渋々従うことにした。

 でもショッピングモールに行きたかったのは本当だ。

 ここで亜弥と一緒に彼女の誕生日プレゼントを買う予定だったから。


 サプライズで選びたかったのだが、俺の頭の中にあるアイデアはクリスマスの時に全て出し尽くしてしまった。

 クリスマスの時も水野兄妹の助力があっての選択なので、もうこうなったら亜弥に直接何がほしいのかを訊いた方がいい。


 とりあえずまずはショッピングモールの被服コーナーに向かう。

 男性用のコートがズラリと並んでいるが、特に気になるようなものは見つからない。

 が、アパレル店員の血が騒ぐのか、彼女はじっくりと店内を眺めながら俺に何が似合うかを探し出した。


「このネイビーのコートは……いえ、ベージュにしようかしら。まって、『HERO』のキムタクみたいな上着でもいいかもしれない……いや、もうすぐあったかくなるこの時期にそれはちょっと暑すぎるんじゃない?」


 ぶつぶつと呟きながら彼女は品定めしていく。

 毎週の買い物の時にも思ったのだが、彼女は真剣に物事を選ぶときは独り言が多くなるようだ。


「寒ささえ凌げたらなんでもいいよ」

「そういうわけにはいかないわ! 服は自分を大切にしている証拠よ。たとえプライベートでしか着ないとしても、ちゃんと着飾って自分を大事にしてあげなきゃ」


 亜弥は真剣な眼差しを止めない。

 多分、夏海ちゃんの服選びにも結構な時間をかけているのだろうと推察する。


「その言葉って、誰の言葉?」

「私の言葉よ。受け売りも入ってるけどね」

「へえ」


 高校時代の先輩が似たようなことを口にしていたらしい。

 その人は自分を可愛く見せたいらしく、曰く「可愛い自分が好き。可愛くない服を着ても自分じゃない感じがする」らしい。

 他にも「綺麗な自分になりたい」「カッコいい自分でありたい」などといろんな理由でオシャレになりたいという人たちを見て、そう思ったのだとか。


「なら、俺もちゃんと選ぶよ」


 とは言ったものの、別にシンプルな柄であればどれでもいい。

 が、あえて一つ選ぶとすれば……。


「これかな」


 俺はネイビーの薄いコートを選んだ。


「この色、あんまり持ってないし、薄い上着もなかったはずだから。君はどう思う?」


 とりあえず試着しながら、俺は亜弥に尋ねてみた。


「悪くはないと思うわ。ただ私的にはベージュの方があってる気がするのよね」

「でもそれだと今君が着てるそれと被っちゃう」

「そうなのよ」


 うーん、と彼女と頭を悩ませていると、亜弥は何かに気づいたように俺の後ろを見る。


「これとかいいんじゃない?」


 亜弥が手に取ったのは、紺色の上着だった。

 裏地がモコモコとしているため、寒さは十分に凌げそうだ。


「いいね、これにしよう」


 腕を通してみても、大きさも丁度いいし、鏡で見ても似合っているように思える。


「それじゃあこのコートは私がもらおうかしら」

「おいおい」


 えへ、と冗談めいて笑う彼女もやっぱり可愛かった。

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