第64話「邪魔じゃない?」

 テストが返ってきたらしく、夏海ちゃんはずんと暗いオーラを放っていた。

 1年間の総括でもある学年末テストだけれど、この様子から見てあまり出来はよくなかったみたいだ。


「さすがに難しかったか」


 彼女はコクリと頷き、テストの答案を見せてきた。

 どの点数も80点未満だ。前回よりも点数は下がっているが、決して出来が悪いと吐き捨てるほどでもない。

 むしろ、この平均点はかなり低くなっている中での子の点数なので、食らいついている方だとは思う。


 とりあえず数学の答案用紙を見てみる。


「うわ、これは……」


 一目見て驚愕してしまった。なんせ、記述問題が多いのだ。

 小門集合は大きな問1しかなく、他は全て記述問題が絡んでいるし、その問題一つ一つの難易度が高い。

 正直言って、中学1年生に解かせるような問題ではないと思う。


「でも取ってる人は取ってるから、私も、ちゃんと点数取れるようにしたい」

「そうだね。よし、じゃあ復習して、2年生に向けて頑張ろうか」


 夏海ちゃんは小さくガッツポーズを浮かべ、テストの復習にかかった。


 しかし、テストの現状がこれだと来年度はさらに難しくなるだろう。特に合同の証明問題は、テスト作成者がやりたがる単元だ。

 数学は積み重ねが顕著に表れるから、今のうちに苦手は潰しておきたい。


「先生はさ、すごいよね。私のためにこれだけいろいろしてくれて」


 俺が解説をしていると、夏海ちゃんが突然そんなことを言い出してきた。


「先生、仕事でもないのに何でここまで丁寧にやってくれるの?」

「あ、ああ……」


 もうすっかり習慣になっていたから忘れていたけれど、俺が夏海ちゃんの家庭教師を始めたのは亜弥に会う口実を作るためだった。

 道端で泣いている夏海ちゃんを助けて、亜弥の元まで送り届けて……それで終わりになってしまう気がしたから。

 今思い返してみたらやっぱり随分と不純な動機だけれど、今は純粋に彼女の成績を上げたいと思っている。


 そんなことを言ったら夏海ちゃんに怒られてしまうだろうか。いや、多分今の夏海ちゃんになら大丈夫だろう。

 意を決し、事の経緯を話す。

 軽蔑されるかもしれない、という不安は多少あったけれど、それでも受け入れてくれるという信頼の方が大きかった。


「まあ、そんなことだろうと思ったよ」


 夏海ちゃんの反応は予想の範疇というか、意外というか、とにかくあっけらかんとしていた。


「先生がお母さんのこと好きだなーってわかってから、いろいろ納得できたし」

「そう、ですか……」


 全部見抜かれていたみたいだ。なんだか恥ずかしくなる。

 勉強終わりのおやつタイムは一体どんな目で見られていたんだろう。


 しかし夏海ちゃんは俺が理由を話したにも関わらず少し不服のようだった。


「そういうのじゃなくて、なんで私にこんな丁寧な授業をしてくれるのかって聞いてるんだよ」


 と問われても、さっきのような明確な理由があるわけでもない。

 ただ、やるからにはちゃんとしたい。そう思っただけだ。


「それは、単純に夏海ちゃんの成績が伸びてほしいって思ったからだよ」

「それだけ?」

「うん、それだけ」


 それ以外理由が見つからない。


 それでも理由に納得してもらえなかったのか、夏海ちゃんは黙って下を向いてしまう。

 機嫌を損ねてしまっただろうか。


「だ、大丈夫?」

「……先生は、私のこと、どう思ってるの?」

「え?」

「お母さんと付き合いたくて、私のこと邪魔だとか、思ってる?」


 何を冗談を、と笑いかけたが、夏海ちゃんの目は本気だった。じーっと、瞳を潤わせて俺を見る。

 これは、ちゃんと誠心誠意答えなければならない。


「そんなこと一度も思ったことないよ。もし俺が君のお母さんと付き合うことになっても、君のことを大事にしたい」


 すると目の前の夏海ちゃんは、ボロボロと涙をこぼし出した。


「本当?」

「本当。嘘じゃない」

「そっか、そうなんだ……なんか、嬉しいな」


 えへへ、と彼女は泣きながら笑う。俺もなんだか心がほっこりしていた。


 すると、このタイミングでコンコンとドアをのノックする音が聞こえた。扉は開かなかった。

 亜弥が扉を開けない時は大抵顔を見られたくない時だ。


「お茶にしましょうか。クッキー、焼いたから」


 ちょっと待ってて、と夏海ちゃんは返答し、自分のハンカチで涙を拭う。

 すぐに涙は引っ込んだようで、部屋の扉を開け、リビングに向かった。俺も彼女に続く。


「さっきの話、聞いてた?」


 俺は扉の近くで下を向いたままの亜弥に声をかけた。彼女は黙って、小さく頷く。


「そっか……」


 顔が耳まで熱くなるのがわかった。これを誰かに聞かれるのは恥ずかしいな。


「あの!」


 リビングに向かう俺を亜弥は呼び止める。頬を染めた亜弥は、いつもよりも色っぽく見えた。


「あなたの言葉、すごく嬉しかった」

「うん。ありがとう」

「だから、これからも」

「わかってる。さ、行こう」


 彼女は俺の長袖の裾をチョンと握り、俺のすぐ後ろをついてくる。なんだか反応が初々しくて可愛らしい。


 そこからいつものティータイムが始まり、俺と亜弥が一緒に買い物に出かける。

 この日を境に一つ変わったことを挙げるとするならば、一緒に夏海ちゃんがついてくることになったことだ。

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