第29話「祭りのあと」
昼休憩が終わり、午後の部が始まった。
相変わらず夏海ちゃんの活躍はすさまじいものがあった。学年別で行う競技もあるが、その垣根を越えて戦う競技でも彼女の存在感は他よりもあった。
「あの子、何部ですか?」
「バレーです。ポジションはリベロ」
水野先生の問いに亜弥が答える。少し誇らしげだった。
「そうなんですね。へえ。なんだかすごい選手になりそう」
「本当ですか?」
「ええ。まあ、私はスポーツに関しては素人なので、信頼には欠けますが」
とはいえ、俺もひょっとしたら、なんて思ってしまう。
夏海ちゃんのこの運動能力は一つの才能だ。将来はこの才を活かしたところに進学してほしい、とさえ願いたくもなる。
そんな話をしていたら、いつの間にか3年生による選抜リレーが始まろうとしていた。一番大外のレーンに水野先生のお兄さんが立っている。どうやら2番手を任されたらしい。
パンッ、と乾いたピストルの音が鳴る。それと同時に生徒たちと先生は一斉に走り出した。
やはり最高学年ということもあって、気迫や体格が1年や2年のそれとは違う。
そんな中でも水野先生のお兄さんはかなり目立っていた。それは単純に彼の背が高い、ということもあるが、3年生たちに負けないくらいの勢いで走っていたからだった。
「ああ、大人げない……」
と、水野先生は恥ずかしそうに言う。
「別にいいと思いますけどね」
「そうですか? でも、身内が見るとなんだか恥ずかしく思えて」
ああなるほど、と妙に納得してしまった。
中学生相手に大の大人がムキになる様は赤の他人が見たら別に何とも思わないが、これが身内だと確かに多少の羞恥心は芽生えるかもしれない。
彼はスムーズにバトンを渡した。どこにそんな練習する時間があるんだ、と想像したら少しだけシュールに思えた。
しかし先生チームはやはりというか、メンバーにムラがあった。
大盛り上がりを見せた水野先生のようなスポーツマンもいれば、歳のせいかあまり身体が動かない先生もいて、結局先生チームは3年生たちから大きく離されて最下位となった。
とはいえ中々に見応えのあるレースだったと思う。
これですべてのプログラムが終了したようだ。閉会式のため、生徒たちは続々とグラウンドに集合する。同時に、保護者席もちらほらと撤収ムードが漂っていた。
「どうします塾長。このまま帰りますか?」
「どうでしょう。このまま帰るのも薄情な気がしますし、かといってうちの生徒たちに目撃されたくないし、うーむ」
しかし他の観客たちはぞろぞろと帰宅の準備に取り掛かっている。ここを出遅れてしまうと人間の濁流にのみ込まれて大変なことになるかもしれない。
「ごめん、先に帰る。夏海ちゃんに訊かれたらとてもカッコよかったって伝えておいて」
「そう。私はもう少し残っておくから」
亜弥に伝言を残し、俺と水野先生はこの場を離れた。
この2人でこうやって肩を並べて歩くというのも珍しい。妙な緊張感が高まってくる。
「すごかったですね、夏海ちゃん」
「え? ええ、そうですね」
水野先生が顔を覗き込んでくる。この人はこんなにも距離が近かっただろうか、と少し戸惑ってしまった。
「夏海ちゃん、塾長が家庭教師してから成績が伸びたんですよね」
「まあ、そうですね。特別なことをやったわけじゃないので、誇れることなのかどうかわかりませんが」
「十分誇れることですよ。現役教師の兄が認めるほどなんですから」
「はあ」
しかし俺の中では仕事としてやっていないし、むしろ亜弥に会いたくて夏海ちゃんに近づいている部分もある。それをふと再確認した時に、自分が嫌になってしまうのだ。
歩いている途中、む、と水野先生は何かに気づいたように立ち止まった。
「どうされました?」
「……塾長って初恋の人と一度付き合って、それで別れて、でもまた再会したって仰ってましたよね」
「…………行きましょうか」
飲みの席で話したことだ。暴露なんてするんじゃなかった、と今猛烈に後悔している。
あの時はどうせ彼女は亜弥と会う機会なんてないのだから、と高を括っていたが、そんなことはなく、むしろいい関係まで築いていた。
会場で掘り返されなかったことが不幸中の幸いだと信じたい。
「待ってください!」
水野先生は力強く俺の腕を引っ張る。追及は逃れられそうにない。
「っていうことは何ですか、家庭教師を名乗りながら本当の目的はその母親とデートの機会をうかがってるってことですか?」
半分図星だ。そこまでじゃなくていい。亜弥に会えたらそれで一番なのだ。
しかし彼女の言う通り、もう少し亜弥との距離が縮まるようなイベントでも起きてくれたらな、という下心がないわけではなく、実際夏海ちゃんのバレーを見に行ったり、一緒に夕飯を食べたり、今日だって、ものすごく嬉しい。
誤魔化す余地なんて全くなかった。俺はそっぽを向き、空を見る。茜がかった青空はとても綺麗だ。
「すみません、このことはどうか内密に」
「いや、しますよ。というか、言えるわけないじゃないですか」
グサリと言葉が突き刺さる。気を抜けばこの場で倒れてそのまま意識が天国に持っていかれそうだったが、気力で堪えた。
嫌われてしまっただろうか。仕事に影響がなければいいのだが。
ああ、胃が痛くなってきた。
「でもずっと一途に思い続けた姿は尊敬します。すごく。私にはそんな人、今までいなかったから」
予想外の反応だ。正直嬉しい。心がホッとする。
「そうですか」
と安堵から俺は微笑んだつもりだったが、なんとなくこの笑顔がいつものそれとは違うことに察しがついていた。
多分、かなりくたびれている。
その後彼女から俺の恋愛事情についてしつこく尋ねられたが、正直に答えたりはぐらかしたりしながら、水野先生と別れた。
なんだか、競技に参加した中学生たちよりも疲れたような気がする。
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