第28話「手作り弁当」
亜弥の手作り料理が食べられるなんて願ってもないことだ。
けれど、臆病な俺はその申し出を素直に受け入れられなかった。
「いや、遠慮しておくよ。そもそも俺は部外者だし」
「そんなこと言わずに、せっかくなので頂きましょうよ」
水野先生の方はすんなりと亜弥の誘いに乗っていた。多分彼女が食べたいだけだ。
同じタイミングで、ぎゅう、とお腹が鳴る。腹の虫の正体は、水野先生でも亜弥でもなかった。
「ほら、あなたもお腹空いてるじゃない」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
恥ずかしい気持ちでいっぱいだったが、同時に亜弥の手料理への期待感も高まっていった。
昼休憩では、生徒たちは各々お弁当を持って昼食を取る。教室で食べる生徒もいれば、親と一緒に食べる生徒もいる。
と言っても保護者席で一緒に食べる生徒はそこまで多くない。
俺としては夏海ちゃんに「行かない」と言ってしまった手前、一緒に食べることになったら少し恥ずかしい心持ちになってしまうため、出来れば友達と一緒に昼食を取っていてほしい。
ビニールシートに座り、亜弥は大きめの鞄からランチボックスを取り出す。
中を開けると、サンドイッチにおにぎり、そのた色鮮やかなおかずが詰め込まれていた。
「本当はね、夏海が来たら一緒に食べようと思って多めに作っておいたんだけど、来そうにないから。私だけで食べるのはちょっとしんどいから、よかったら水野さんも食べていってください」
「本当ですか? ありがとうございます」
そう言うと水野先生は早速サンドイッチに手を付ける。おそらく食パンを切って作ったのだろうが、パッと見ただけではお店に売られているものかと思った。
俺もサンドイッチを頬張る。挟まっていたのはハムとレタスだ。コンビニで食べるそれとはまた別の趣があって、美味しい。
「吉岡さん、お料理お上手なんですね」
「ええ。いっぱい練習しましたから」
そう言いながら亜弥は俺の方をギロリと睨む。
これ以上は何も言うなよ、という無言の圧力が尋常ではない。
プレッシャーに耐え切れず、俺はサンドイッチを飲みこんだ。
「どうされました?」
水野先生が尋ねる。こういう他人のちょっとした違いに彼女は鋭い。
「いや、彼女、中学の時はとっても料理が下手だったんですよ」
「そうだったんですか?」
目を丸くして水野先生は俺と亜弥の両方を見る。亜弥は案の定顔を真っ赤にしていた。
「その話はやめてっていっつも言ってるじゃない」
「でも君ほど料理が下手な人間は見たことがなかったよ。それがこんな風に上手くなるなんて、今でも信じられない」
「猛特訓したのよ。頑張ったの。ねえ、お願いだからその話をするのはやめてくれないかしら」
昔の彼女の料理下手の話をするのは面白い。当時、あまり絡みがなかった俺でも鮮明に覚えているのだから、相当悲惨だったのだ。
「私も料理苦手なんですよね。機会があれば教えてほしいです」
「構いませんよ。と言っても、私平日は仕事でいないので、土曜日だけになりそうですけどね」
「そういえば、旦那さんはご一緒じゃないんですか?」
水野先生の発言に、亜弥の顔が固まる。あ、と俺も声が漏れてしまった。
知らなかったとはいえ、不用意に地雷を踏んでしまったことを悟った水野先生は、咄嗟に頭を下げる。
「すみません。変なこと聞いちゃって」
「いえ、知らなかったんでしょうし、私も慣れてますから」
慣れた、というのはこの質問にだろうか。それとも旦那さんがいなくなったことに対してだろうか。
いずれにせよ、彼女の心中は穏やかではないことが何となく伝わってくる。
「それよりもお昼にしましょう? せっかく作ってくれたんですし、食べないともったいないですよ」
俺はこの場の空気をなんとか戻そうとするべく、ちょっと強引に明るく振る舞った。
周囲には多くの人がこの昼の時間を楽しんでいる。中には親子仲睦まじく昼食を取っているところもあった。
そんな中で、こんなお通夜ムードを垂れ流すわけにもいかないだろう。
ましてや亜弥が自分の境遇を語り出したら、それこそ二次災害がとんでもないことになりかねない。
亜弥も水野先生も笑顔を取り繕って、ランチボックスの中にあるサンドイッチやおにぎりを頬張った。
さっきの重たい話のせいか、少し味が落ちたような気がする。それでも美味いことに変わりはない。
3人もいるとさすがに中身がなくなるのはあっという間だった。しかし水野先生はまだ食べたりなさそうだ。
現に、俺が出した時よりも大きな腹の音が鳴り響いた。
「いや、これはちょっと恥ずかしいな」
水野先生はそう笑ってみせたが、さすがにその羞恥に耐えきれなくなったのか両手で顔を隠す。
「すみません。お恥ずかしいところを見せてしまって」
「いえいえ。それよりもお口には合いましたか?」
「はい! とっても美味しかったです。よければまたご馳走してもらってもよろしいでしょうか!」
「もちろん。構いませんよ」
食のことになるといつもよりもがめついな、この人。了承する亜弥も少しどうかと思うが。
そんな風に食後の談笑を3人でしていたところ、ふと水野先生が目線を逸らす。
「あ、兄さん」
目線の先には、リレーでピストルを構えていた男性教員がいた。背が高いので見つけやすい。
その男性も水野先生のことを見つけたようで、こちらに歩み寄ってくる。
遠くか見ても彼は整った顔立ちをしていて、これで問題作成の癖さえなければ生徒からかなり人気があっただろうな、なんて嫉妬交じりに思ってしまう。
「聖良、来てたのか」
「だって兄さん、リレーに出るんでしょ? 今から楽しみにしてるね」
彼女が言うリレーというのは、3年生選抜リレーのことだろう。この競技では特別に3年生と共に教員からも選抜されてリレーを行うのだそう。
亜弥が持っていたプログラムにそう記されていた。
「先生、娘がいつもお世話になってます」
亜弥はペコリと彼に頭を下げる。そういえばこの先生は夏海ちゃんの担任で、部活の顧問でもあった。
「いえいえとんでもない……あれ、聖良って吉岡さんと知り合いだったの? それとお前の隣に座ってる方は誰だ?
状況を把握した彼だが、相関図にとても戸惑っているようだった。それもそうだろう、接点がないと思っていた2人が繋がっていて、さらに全く知らない人間がいるのだから。
俺達は今日出会った経緯を彼に伝えた。特に俺に関しては、自己紹介も兼ねて家庭教師のことも話した。
彼は納得したように「なるほど」と手を打つ。
「あなたが噂の家庭教師さんだったんですか」
「噂って、どういうことですか?」
何だ、夏海ちゃんの学校の中で俺のことが何かの都市伝説みたいになっているのだろうか。それはちょっと怖い。
しかし俺の考察と事実は全く違うそうで、すぐに水野先生のお兄さんは訂正に入る。
「ああ、噂って言うのは私の中でのことです。1学期の中間から期末にかけてかなり成績が伸びたんです。本人にそれを尋ねたところ『家庭教師の授業がとてもわかりやすい』とのことで。まさかあなたでしたか」
「あはは、恐縮です」
そういうことか、と少し安堵の息が出た。なるほど、確かに宇宙人の片鱗が見える。
では見回りがあるので、と彼はこの場を離れた。
「あ、佐伯先生、夏海ちゃんのこと、これからもお任せしました」
最後に彼はそう言い残し、スタスタと歩いていった。
「任せました」
と、亜弥もそれに便乗するように俺の方を見てくる。
担任公認というのは、少し誇らしくもあるが、プレッシャーというものがかなりかかるものだ。
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