第14話「平和な帰り道」

 過去一番疲れたお茶会も終わり、俺はお暇することになった。

 亜弥も買い物があるらしく、いつものように途中のスーパーまで一緒に向かう。


「ごめんなさいね、後でキツく言っておくから」

「いや、いい。親の昔話なんてそうそう聞けるもんじゃないから、興味があったんだろう」


 クタクタになりながら、俺達はいつもの道を歩く。

 6月になってから昼の時間が長くなり、夕方5時を過ぎてもまだ空は青かった。


「しかしよく覚えていたな、体育大会のこと」

「そりゃ、覚えているわよ。ズッコケ大魔神。忘れられるわけないでしょ?」

「あはは、そんな風にも言われていた」


 出る競技のほとんどで転ぶものだから、体育大会が近づくと周囲からそう呼ばれるようになった。

 当時はこの不名誉な名前にふてくされていたけれど、今振り返れば疫病神と名付けられなくてよかったなと少し開き直っている。


 こうやって思い出話に花を咲かせるのも悪くない。だがそこまで接点がなかった俺達はこれ以上深く掘り下げられるような話題なんかなかった。


 たった一つの出来事を除いて。


「でも言わなかったのね。私と付き合っていたこと」


 本質を突きつけるように亜弥は言葉にした。あえて俺が話題から避けていたものだ。


「言ったら気まずい雰囲気になるだろ」

「それもそうね」


 誰も既婚者の元恋人なんて知りたくもないだろう。ましてやそれをその子供に伝えるなんて、正気の沙汰じゃないと思う。


「こんな話、あの子にできないわ」

「だな」


 暗黙の了解だった約束事は、この瞬間確かなものに変わった。


 そもそもこの関係は傍から見れば異常なのだと思う。

 昔付き合っていた2人がよりを戻す、ということはそこまで珍しくはないだろう。しかし鬼籍に入っているとはいえ、相手は既婚者だ。中々にリスキーな行動だろう。


「にしても夏海ちゃん、やっぱり君の子だな」

「それってどういう意味?」

「いや、いろいろ君に似ていてね」


 あまり感情の起伏が少ない夏海ちゃんだったけれど、それは中学時代の亜弥も似たようなものだった。

 今では朗らかで愛想よく微笑むことが多いが、昔はもっと尖っていた、というかクールビューティというキャラで通っていたと記憶している。

 まあ夏海ちゃんよりはよく笑うし、よく泣くし、すぐに感情が出てしまうところがあったから、そこは違うのかもしれない。


「あとは夏海ちゃんも天然だと思う」

「も、って何よ。私は違うでしょ?」

「いや、君も十分天然だけど」


 むう、と亜弥は不機嫌そうに道端の石ころを蹴る。子供じゃないんだから、と言おうとしたけれどやめた。そんな風にしてふてくされる彼女が可愛かったからだ。

 心の中に留めておこうと思ったけれど、不意に笑みがこぼれてしまった。


「何がおかしいのよ」

「いや、ちょっと思い出し笑い」


 下手くそな誤魔化し方だけど、亜弥はそれ以上追及することはなかった。


 その後も俺達は実りのない会話を続けながら、いつもの別れる場所であるスーパーへと向かう。2人だけでこうやって会話できることが何よりも幸せを感じた。

 しかし夏海ちゃんに昔のことがバレてしまったらこんな幸せはもう二度と味わえないんだろうな。


 そんなことを考えていたら、あっという間にいつものスーパーにやってきてしまった。


「今日は何にするの?」

「鶏肉料理にするわ」

「焦がさなきゃいいけどな」

「うるっさい」


 ベシッと足元を軽く蹴られた。丁度脛のあたりだったのでかなり痛い。こんな脚癖どこで覚えたんだ。


 俺は亜弥の買い物の手伝いをしながら、自分の夕飯を買う。今日はハンバーグ弁当だ。


「たまには自分で作ってみたら?」

「気が向いたら、な」


 総菜コーナーを傍目に、亜弥はポツリと呟く。彼女は俺が弁当を買う度に小言を挟んでくる。食生活を心配してくれているのかもしれないが、俺にだって作れない事情というものがあるのだ。


 会計を済ませ外に出ると、ようやく空が紫色にくすみ始めていた。


「また何かあったら連絡してくれ」

「ええ。あと夏海のことなんだけど、また変なこと言い出したら𠮟りつけていいからね」

「善処するよ」


 夏海ちゃんが突拍子もないことを言い出すのは、半分亜弥の血が混ざっているからだろう、とは言いたくても言えなかった。言ったらまた脛を蹴られそうな気がする。


 将来、夏海ちゃんも母親みたいに脚癖が悪くなってしまうのだろうか。それはやっぱり嫌だな。


「それじゃあ今日はこれで」

「お疲れ様」


 亜弥は小さく手を振ると、スタスタと自分のマンションの方へ歩いて行った。

 俺も彼女の背中が見送るまで突っ立っているようなことはせず、帰り道を歩く。

 別れ際が寂しくないと言えば当然嘘になるが、でも離れたくないという寂寞の思いより、次また会えるという期待の方が大きかった。


「……よしっ」


 帰ったら飯を食って、その後テスト用の問題でも作ろう。

 一から問題を作るのは手間がかかるし骨が折れる作業だが、それでもやりがいがある。夏海ちゃんの成績を思えば、こんな仕事も楽々こなせてしまう。


 気が付けば生活の基準はほとんど彼女たちになりつつあった。仕事が終われば、夏海ちゃん用の小テストの問題集め、休日も暇があればテスト対策の工夫。


 やっぱり家庭教師として引き受けた以上、成果は出してあげたい。

 成績が伸びると、本人も嬉しいし、教えた俺だって嬉しくなる。


 だから、どんなことがあっても頑張ろうって思える。

 それが教師という生き物なのだ。

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