第2話「"元"彼女との再会」

 丁度、あの少女と同じくらいの頃だったと思う。


 告白は彼女からだった。あれは7月のもうすぐ夏休みという時期、部活が終わった2年3組の教室でのことだった。

 あの時の彼女の恥ずかしそうな表情は今でも鮮明に覚えている。


 当時の俺は女性と付き合ったことなんてなかったから、かなり舞い上がっていた。

 しかも学年、いや学校一の美人ともてはやされていた彼女に告白されたのだから、これで喜ばない男はいないと思う。


 もちろん返事はOKで、それから俺達は付き合うことにした。

 それからすぐに夏休みになり、あまり会えなかったけれど、一緒に行った夏祭りは本当に楽しかった。


 だけど夏休みが終わる間際、突然向こうから別れを切り出された。

 本当に前触れもなく唐突で、その時は世界が終わるのではないか、という絶望感でいっぱいだった。


 後で知った話だが、俺への告白は一種の罰ゲームだったらしい。そして罰ゲーム期間が終わったから別れるのだそう。

 つまり、俺と一緒にいた彼女は全て演技だったわけだ。


 考えてみれば、中学時代の俺はいつも窓際で目立たずにぼうっと外を眺めているだけの根暗な人間だった。

 一方彼女は誰からにも人気があり、クラスの上位カーストグループに位置していた。

 共通点といえば同じクラスということだけ。まず釣り合うはずがない。


 そういった事情を知った後、彼女に理由を問いただすと全て白状してくれた。嘘であってほしい、という淡い期待は見事に裏切られたのだ。

 電話越しに「ごめんね」と彼女は申し訳なさそうに言っていたけれど、なんだかそれさえも演技に聞こえて無性に腹が立った。


 俺の純情を弄ばれた。


 そんな気がして、それ以降彼女と口を利くのをやめた。

 中学卒業後は俺達の進路は別々になってしまったから、その後彼女がどうなったかは知らない。




 けれどまさか結婚して子供が生まれていたなんて、想像してもいなかった。

 もう30代半ばだから、子供がいてもおかしくはない年齢だけれども。それにしても娘は中学生か。逆算すると彼女は20代半ばで出産したことになる。


 藤本、改め吉岡よしおか亜弥は、ばつが悪そうにぎこちない表情を浮かべていた。それもそうだろう。きっと彼女の中にも思い出したくない思い出がよみがえってきたに違いない。


「ひ、久しぶりだね」

「お、おう……」


 明らかに良くない空気が流れ込んでいたが、そんな俺達の様子を知ってか知らずか、警官は簡単に事情の説明をしただけで、その場を立ち去ってしまった。


 家の前に俺と元カノ。非常に居心地が悪い。

 旦那にも悪いしそろそろ帰ろうか、と俺が切り出そうとした時だった。


「とりあえず立ち話もなんだし、入っていきなよ。お茶出すから」

「は?」


 頭にハンマーで殴られたかのような衝撃が走った。

 仮にも、俺は「元」恋人だ。そんな人間を簡単に上げていいのか?


「いや、でも、旦那さんや娘さんにも悪いし」

「いいから。お礼させて。お願い」


 早く、と催促され、俺は渋々彼女の家へと入る。

 正直、緊張感が拭えない。いくらなんでもここまでするだろうか。


 それにしてもお礼、か。

 ひょっとしてこれは……いやいや、相手は既婚者だぞ。しかし……俺は煩悩を振り払うようにブンブンと頭を振った。


「本当にいいのか?」

「いいって言ってるでしょ。娘を保護してくれたんだから。ちゃんとお礼はしないと、私の気が済まない」

「そうか……」


 リビングに通され、俺は椅子に腰掛けた。白を基調とした部屋は、俺に謎の威圧感を与える。


「綺麗な部屋だな」

「物を置かないだけよ」


 コトン、とテーブルの上に麦茶入りのコップが置かれた。


「市販のものだけど、どうぞ」

「あ、いただきます……」


 ちびちびと麦茶を飲む。正直喉を通らない。

 一体何を企んでいるんだ。そんな疑念がぐるぐると頭を駆け巡る。


「ありがとね、夏海なつみを保護してくれて」


 彼女は俺の目の前に座り、ちび、と麦茶を飲む。どうやらあの少女の名前は夏海と言うらしい。


「そ、そういえば、あの子『お母さんと喧嘩した』って言ってたんだけど、何かあったのか?」


 おそるおそる尋ねてみる。緊張感で苛まれているため、これくらいしか話題が思い浮かばなかった。


「まあ、夏海の成績のことでちょっと揉めたのよ」


 目の前の母親は頭を抱える。はあ、と重たい息が彼女の口から洩れた。


「中学に上がって、バレー部に入ったのはいいのだけれど、勉強が全然できなくて、特に理数系がね……この前の中間テストが散々だったから、次のテストまで部活禁止って言ったら『お母さんのバカ!』って怒り出しちゃって。今思えば、最低なことをしたと思うわ」


 なるほど、と俺は相槌を打つ。話を聞いている限りだと、母親の方に非がある。何も部活禁止までいかなくていいだろう。


「で、君はあの子に謝ったの?」


 彼女は首を振る。


「これから謝るつもり」

「そっか」


 その時、キイ、とリビングの扉が僅かに動いた。その隙間から少女がチラリとこちらを覗く。

 風呂上がりだったのか、黄色いパジャマを着ていた。見てはいけないものを見た気がして、俺は目線を逸らす。


「夏海」


 クイクイ、と少女の母親は手招きをする。少女もそれに応じて母親のところにゆっくり寄ってきた。

 母親は立ちあがると、少女と向かい合う。


「ごめんなさい。さっきはあなたに酷いことを言ってしまって」

「私も勝手に家出してごめんなさい。あの、怒ってない?」

「そりゃ、怒ってるわよ。でも……あなたが無事でいてくれて本当に良かった」


 ぎゅっと2人は抱きしめ合う。俺は場違いなところにいるのではないか、と焦りながら、彼女たちのこの光景に少しほっこりしていた。

 抱擁が終わると、2人は俺の方を向く。


「本当に娘がお世話になりました」


 2人揃って頭を下げる。なんだか申し訳ない気分でいっぱいだ。


「いやいや、俺は別に何もしてないし、そういうのに弱いからさ。顔上げてくれないかな」


 そう言うと2人はゆっくりと顔を上げ、同じはにかんだ表情をしていた。やっぱり親子なんだな、とつくづく思う。

 少しだけ緊張もほぐれてきた。俺はあることに気が付く。


「そういえばまだ旦那さん、見てないんだけど、ひょっとして今日は帰りが遅かったりする?」


 俺がそう言った途端、一気に空気が沈んだのを感じた。親子揃って顔が暗い。

 やってしまった、と血の気が引いたが、この重たい雰囲気を打破する解決策は何も思い浮かばなかった。


 やがて、母親がようやく口を動かした。しかし、その言葉はこの場の空気をより一層重力を強めた。


「…………亡くなったのよ。もうこの世にはいない」

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