第二百九十話:エピローグ③
扉を開けるとふわりとした紅茶の香りが漂ってきた。
ここは俺の――ロルツィング邸の別館。
彼女がいるであろう部屋にアルフレッドに案内され踏み込んだ。
すると最初に漂ってきたのがそんな香りで……次に漂ってきたのは独特なスッとするような匂い――インクの匂いだった。
「ああ、アリーいらっしゃい。今日は遅かったね?」
「朝も昼も来客がね」
「随分と楽しそうに話し込んでいたってアルフレッドは言っていたよ?」
「うっ、見られていたのか」
見られていたのは間違いなくスピネルたちとの話のことだろう。
俺の知らない『Hunters Story』の話にルキと一緒に色々と盛り上がったものだった。
「酷いなー、病弱な妻をほったらかしにして楽しくお喋りなんてー」
「ほったらかしにはしてないって。ほら、キチンと来てるし」
「昨日来るって言ってた時間からだいぶズレている様だけど?」
「それはその……なんだ。話に熱が入ったというかなんというか」
「んー?」
「……ごめんなさい」
「うむ、許す。夫のことを許すのも妻の務めだからね」
そういってエヴァンジェルはクスクスと笑い声をあげた。
その様子はとても元気そうで健康そうに見えるが、彼女の髪は灰色に近い色合いのままだ。
体力だって全体的に落ちている。
それだけエヴァンジェルの体に負担になったのだろう、≪龍の乙女≫の力は……。
そのことに関して俺はどうしようもなく罪悪感を抱く。
彼女は気にするな、というがそう簡単な話ではない。
特に今までの婚約者、恋人という関係でなく――
「夫婦、か」
「ん、どうしたの?」
「いや、未だに慣れないなって」
夫婦という関係性になった今では。
「……アリーの方からしてくれたのに」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」
戦いが終わり、何とか≪グレイシア≫にたどり着いた時、俺もエヴァンジェルもボロボロだった。
意識は殆ど途切れかけていたし、防具は原型を辛うじてとどめているぐらいに破損し、中の肉体も酷いもので――だからこそ、と思った。
ここで言うべきだと思った。
もしかしたら次はないかもしれないと考えたからだ。
俺も酷い状態ではあったが、エヴァンジェルの場合はどれだけの負担がかかったか不透明だった。
無茶な≪龍の乙女≫の使用の弊害で二度と目を覚まさないかもしれない、その可能性は十分にあり得た。
だからこそ、俺は敢えて気持ちを伝えた。
≪アー・ガイン≫を倒し、ようやく少し肩が軽くなったからこそ出来たのだと思う。
告白の返事に関して。
それは敢えて言う必要もないだろうが。
「……式はちゃんとしたいな。アンネリーゼ様も首を長くして待っているって」
「それは……怖いな。出来なかったら延々と愚痴を言われそうだ」
「なんだったら僕よりも気合が入っているというかなんというか。あっ、勿論、僕も楽しみにしているからね」
「わかってる。……俺だって……その、ちゃんとしたいとは思っているし……」
流石に状況が状況ということで式を執り行うには時期を見る必要はあったが、それでも確かに以前よりも距離が縮まったような気がする。
精神的な意味で。
「えへへ」
いや、物理的な意味も含むかもしれない。
部屋のベットで休んでいるエヴァンジェルの近くに寄ったら、彼女は嬉しそうに擦り寄ってきた。
以前ならドギマギして少し距離を置こうとしただろうが、いつの間にか平気になっていた。
それどころかそっと手を重ねるのも自然になっていた。
この三ヶ月、こうして語り合うのが日課のようになっていたのもあるのだろうがやはり最も大きな影響を与えたのは慣れというよりも心境の変化なのだろうと思う。
とても愛おしく感じる。
そんな思いがちゃんと伝わって、そして返ってくるという充足感。
「それで今日はどこまで書いたんだ?」
「んー、知りたい?」
俺はそうエヴァンジェルに尋ねた。
彼女がベットの上で休みながら書いているもの――それは絵本だった。
内容は俺こと――≪龍狩り≫の戦いの軌跡の物語。
「結構進んだよー? 時間は有り余るほどにあったしね」
「六龍討伐と創世龍との戦いについて改めてまとめているんだっけか」
「うん」
前から絵本自体は作ってはいたのだがエヴァンジェルはこの機会に再編して作ろうとしているらしい。
「ちゃんと後世に残さないとね」
「今更だから特にうるさくは言わないけど、変な脚色はつけないでくれよ」
「むしろ、普通に書いたのに後世では「脚色して描かれた」なんて評価されないかが心配だよ。≪龍種≫七体の討伐だけでも大概なのに、最終的には空を飛んで戦ってましたとか……」
「まあ、装備も壊れてしまったからな」
ルキの作り出した傑作、≪龍殺し≫はどちらも修復不可能なほどのダメージを負って今では姿形だけを手直しし、屋敷に飾られているだけの存在となってしまった。
「随分と無茶をさせたからね」
「ああ、ルキには文句の一つでも言われるかと思ったんだけどな」
「役目を果たしてアリーを守って≪龍種≫も討てたんだ。本望だったんだろうさ。それにしても、そうか。直す目途も今のところは……」
「まあ、あれは色々と特殊過ぎる装備というのもある。下手に直して今の「ノア」に目を付けられる可能性を考慮すると――それでよかったのかもしれない」
愛着が無いわけではないし、むしろ苦楽を共にしたので俺個人としては寂しくは思ってはいるのだが……封印した方が無難ではあった。
「だが、そうなってくるとやはり信じられないだろうね。≪龍狩り≫は空を飛んで≪龍種≫と戦ったなんて。実際に飛んで戦っているのを見ている今の世代はともかくとして……」
「後世では噓八百だなんて言われたり?」
「実際に≪龍種≫は討たれて遺骸も回収されているから実績自体を疑う人はいないだろうけど、その実績自体が馬鹿げているからね」
「馬鹿げているってのは酷くないか?」
「実際に脅威を目の当たりにした者の感想からすれば、モンスターの中でも極まった≪龍種≫全部と戦って勝って生き残っているだけで大概だよ。僕の英雄様はね」
やれやれと言わんばかりのエヴァンジェルの様子に俺は苦笑する。
必死こいてやってきた結果だが、どうにもゲーム主人公と同じ立場になってしまったらしい。
冷静に客観的に見てやっていることが色々とおかしい。
そんな主人公様と同じ立ち位置に。
「俺はただ頑張っただけなんだけどな」
「知ってるさ。だけど……いや、だからこそかな。君の頑張りを正しく出来るだけ多くの人に知って欲しいから――僕は描いてみるよ」
彼女は笑った。
その様子につられるように俺も笑った。
やるべきことはまだまだたくさんある。
未だに俺たちの世界は「楽園」の中にしかなく、「楽園」の外はどうなっているかも未知数。
「楽園」も今後はどうなっていくのか見通しが立っているわけではない。
「楽園」の真実においても知っている人間は少数で、ほとんどの人々は真実すら知らないという状況だ。
その辺りの問題をどうするべきか、そこら辺も色々と協議の末に舵取りをする必要がある。
つまるところ、大きな山場を越えられただけで俺の人生はエンドロールを迎えたわけではないということ。
数多くの問題が控えているということだ。
それでも俺はこの生と死があふれた世界で生きていく。
空想のような現実の世界、現実のようで空想の世界で。
人とモンスターとで命のやり取りをしながらもプレイヤーは物語を紡いでいく。
それこそが、
――『
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