貝渚キコ 3月――サトミにて6
「イギリスのプログレッシブ・ロックの代表的バンド、ノーの代表曲、10125でした。この10125という意味深な番号は、ただのレコードの品番号だけだという意味らしいですぅ。ところで、レコードって何なんでしょうね。続いては——」
「あっ、この曲弾けるかも……」
キッチンで皿洗いをしているロイネが、今、ラジオから流れていた音楽を、鼻で歌っていた。
「店を閉じたら、セッションしてみるか?」
「いいかも……ってうか、まだ三時なんだよね。今日は随分と、午後が長く感じるなぁ……」
「相対性理論ってやつだろ。要は暇だから、時間が長く感じるんだろうな」
「やめてよ、キコ。今月のお店の売り上げ、あまり良くないんだからさ……」
皿洗いを終えたロイネが、俺が座るテーブル席に突っ伏した。俺はロイネの頭をポンポンと撫でる。
「まあ……ポイントとかの資金回りのことは心配するなよ」
「また、探索関係の仕事を増やさないといけないのかな……私たちはあくまで、カフェ店員なのにね」
「大崩壊前の時代でも、あまり、カフェ経営って難しかったみたいだな。金持ち老人の道楽だって、云われていたらしいぜ」
「そんな事、百も承知だよ……」
ロイネがチラッと、ロッカールームの方に目を向けた。以前、ロイネに頼まれて俺が制作したメイド衣装の事だろう。かつて、都内に存在していたメイドカフェと呼ばれる店で、女性店員が着ていたフリフリの素っ頓狂な衣装の事だ。そもそも、メイドとは家政婦の事であって、カフェ給仕だけではなく、家事手伝い全般を行う職業を指すはずだ。どうしてその制服で、スカートを短くし、肌の露出が増え、カラフルで光沢のある色彩を放つ生地を使って、給仕をする店が、普通のカフェに比べて流行っていたのかが、未だによく分からない。
「アレを着たからって、客足が伸びる訳じゃないぞロイネ」
「えーっ! そんなー! 絶対、キコ似合うのにー!」
「似合う、似合わないとかの問題じゃねーよ。俺はあんな恥ずかしい恰好で接客なんて嫌だよ」
「恥ずかしいって……見せる客も来ないし、そもそも、あの衣装作ったのキコでしょ。私だけじゃなくて、わざわざ自分用の衣装まで作っているのに……キコ、実はやる気あったんじゃないの?」
「それはだな……クソッ!」
頭を撫でていた手で、そのままロイネの頭にチョップを食らわせた。
「いったー! なにも、ぶつことないでしょ!」
「うるせー、とっとと、仕事に戻れよ」
「だから、仕事で着て欲しいのに!」
「い・や・だっ!」
「き・て・よっ!」
「あのー……やってますか?」
チリンチリンとドアの呼び鈴が鳴り、見知らぬ探索者と思しき人物たちが俺たちの取っ組み合いを、不審の目で向けていた。
「……あ……いらっしゃいませ」
「えーっと……カフェ・テコナへようこそ……」
俺たちは、何事もなかったように接客を続ける。まだまだ、今日の午後は長くなりそうだと、そんな予感はしていた。
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