第121話 シャーロットの立場

「――ハッ! もうお昼すぎだ!?」


 私がベッドからがばっと体を起こすと、すでに窓の外は明るくなっていた。


「えぇ~……」


 まさかこんなに寝てしまうとは。実家の魔力、恐ろしいね……。


 ベッドからのそのそ起き上がったタイミングで、コンコンとノックの音がした。すぐに「朝のお仕度をさせていただきます」という声が聞こえてくる。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 入ってきたのは、私がこの屋敷で暮らしていた際に侍女をしてくれていたアンネマリー。子爵家の三女で、ココリアラ家に行儀見習いとして来てくれている。金色に近い薄黄緑色の髪を一つにまとめ、侍女服のドレスに身を包んでいる。ほがらかな優しい子で、年齢は一七歳。いつも細やかな気遣いをしてくれる子で、私は何度も彼女の優しさに助けられていたのだと思う。


「…………っ」


 アンネマリーは私を見るとすぐに、目を細めて……じわりと涙を浮かべた。


「アンネ……!」

「す、すみません。シャーロット様のご無事なお姿を見たら、安心してしまって……」

「昨日は夕食後、すぐ寝てしまったものね。帰ってすぐ顔を見せれなくてごめんなさい」

「いいえ、いいえ……! 旦那様と奥様も、ずっとシャーロット様のことを心配されていましたから。わたくしのことは、後回しでいいのです」


 ふるふる首を振ったアンネマリーは、ゴシゴシ目元を擦ってから笑顔を見せた。


「わたくしは、こうしてまたお会いできただけで十分です。……朝のお支度をさせていただきますね」

「ええ、ありがとう」


 私は苦笑しつつも、アンネマリーに朝の支度を任せた。




 身支度を整えてから食堂に行くと、ルルイエが美味しそうに昼食を頬張っているところだった。すぐ隣には料理長がいて、料理の説明をしている。


「おはよう」

「シャロン! おはよう」

「おはようございます、シャーロット様。すぐに食事の準備をいたしますね」


 料理長が給仕の使用人に指示を出し終わったのを確認して、私は相談事を口にする。


「実は調理してほしい食材があるんです」

「食材ですか? もちろんです」


 料理長は二つ返事で頷いてくれたので、私は持ってきたカゴをテーブルの上に置いた。その中に入っているのは、〈桃源郷〉で手に入れた〈大きな桃〉だ。甘い香りが充満したのに、料理長が大きく目を見開いた。


「な、なんですかこれは!? ものすごい香りだ……。それに、こんな大きな桃は見たことがありません。どこで手に入れたのですか!?」


 〈大きな桃〉は、料理長にとって未知の食材だったようだ。目をランランと輝かせて、「私がこれを料理できるなんて!!」と感動している。

 私はクスクス笑いながら、この桃を手に入れた場所が〈桃源郷〉であことを伝える。


「〈桃源郷〉……幻のような場所があるのですね。そのようなところへ足を運ばれるとは、さすがはシャーロット様です」

「みんなと一緒でしたからね」

「心強いお仲間ですね」

「ええ」


 料理長の言葉に、私は大きく頷く。私は支援職なので、攻撃することは得意としていない。そのため、冒険するためにはどうしても強い仲間が必要不可欠。


「この〈大きな桃〉を、今日の夕食に使ってください。ルーディットお兄様とオーティスお兄様も帰ってくると聞いていますから、たくさんお願いしますね」

「かしこまりました!」


 やる気に満ち溢れた料理長が桃を持つと、ルルイエが「手伝いたい!」と目を輝かせた。最近のルルイエは、食べるだけではなく、作る方の食にも興味津々なのだ。

 しかし、料理長は「とんでもない!」と焦る。


「お客様に料理をさせるようなことはできません。ましてや、手伝いなどと……」


 フルフルフルッと首を振ったのを見て、それもそうだと私は苦笑する。特に身分うんぬんに関しては何もないけれど、全員が公爵令嬢である私のお客様だ。料理はもちろん、雑用や、手を煩わせることなどあってはいけないのだ。それは、ココリアラ家の使用人全員の共通認識でもある。


 ……とはいえ、ルルは純粋に料理を覚えたいんだよね。


「ごめんなさいね、料理長。もし手間ではなければ、ルルに料理を教えてほしいの」

「え、ですが……」

「……この子は、ずっと閉じ込められていて、自由をほとんど知らないの。そんななかで、興味を持ったのが食で――」

「そのようなことがっ!!」


 閉じ込められては言い過ぎだったかもしれないと思ったが、料理長はぐっと胸にきてしまうものがあったようだ。


「私からお教えできることであれば、喜んでお教えさせていただきます!」

「本当? ありがとう、料理長」

「一緒に桃料理を作りましょう、ルルイエ様」

「ん」


 二人は頷きあい、〈大きな桃〉を持って厨房へ消えていった――。




 給仕をしてもらいながら朝食兼昼食をとっていると、母がやってきた。


「起きたのね、シャル。おはよう」

「おはようございます、お母様」


 母は私の向かいに座ると、紅茶を用意させて使用人を人払いする。


「……何かありましたか?」

「シャルには気が思いかもしれないけれど、聞いてちょうだい。今回の婚約破棄騒動を始めとして、シャルの国外追放。これに関しては、すべて手続きが終わっています」


 その言葉に、私は頷く。

 婚約破棄自体は、婚約破棄という形ではなく、イグナシア殿下側に瑕疵があったものとしての婚約解消手続きがとられている。また、私に対する罰などは一切なく、国外追放というものは取り消し――というより、正式な手続きも何もされていないので、そもそも国外追放自体されていないという。


 ……まあ、そうだよね。


「それで、イグナシア殿下から謝罪の場を設けたいという申し出があったわ。とっても嫌かもしれないけれど、王城に顔を出せるかしら?」

「……いまさら謝罪なんていらないですが、わかりました」


 私がすぐに了承を示すと、母は少しだけほっとした様子を見せた。私が了承したことというよりは、このことを伝えられたということに対する安堵かもしれない。

 それに、母はイグナシア殿下の母――王妃ベルティアーナ殿下と仲がいい。きっと、そのことで気をもむこともあったのだろうと思う。


「日取りは決まっているんですか?」

「……明日と言っているわ」

「ずいぶんと早いですね」


 ため息を吐きたそうに告げる母に、私は苦笑するしかない。本来、王族との公式な面会は日程が早くても数日後になる。それを明日ということは、そうとう焦っているということだろう。


 ……でもまあ、王城見学ができると思えばいいかな?


 仕方がないので、私はそんな風に気楽に考えることにした。



 ***



 夜になると、王城勤めの兄たちが帰宅した。


「「シャル!!」」

「おかえりなさい、ルーディットお兄様、オーティスお兄様」


 私が玄関ホールで迎えると、ルーディットが私を抱き上げてくるくると回って、全身でその喜びを表現してくる。嬉しいけれど、とても目が回る。


「兄上、そんなに回ったらシャルが目を回すぞ」

「チッチッチ、わかってねぇなオーティス。シャルはめちゃめちゃ強ぇんだぜ?」

「強いとしても、シャルは女性ですよ。淑女の扱いというものがあるでしょう」

「わーったよ」


 オーティスがルーディットを諫めてくれたおかげで私はすんなり床に下してもらえたけれど、かなり目がくるくるしている……。


「うう、嬉しいけど回しすぎですよ……」

「ハッハッハ!」


 私はふらふら具合から立ち直ると、改めて久しぶりに会う兄を見る。とはいっても、ルーディットは私のことを捜しにツィレまでやってきたので、そこまで久しぶりではない。けれど、次兄のオーティスと最後に会ったのは、私が婚約破棄をされるよりも前だ。懐かし上が胸に込み上がってくる。


「お久しぶりです、オーティスお兄様。ご心配をおかけいたしました」

「ああ。こうしてまたシャルと会えたことに、心の底からほっとしているよ」



 そう言って笑顔を見せた兄――オーティス・ココリアラ。

 歳はルーディットの一つ下、私の三つ上の一九歳。私と同じミルクティーに似たホワイトブロンドの髪色なのだけれど、体格だけは父に似ている。身長は一八六センチとルーディットより一〇センチ高く、筋肉モリモリのマッチョ体型だ。しかし別に毎日鍛錬をしているわけではない。ときおり運動の代わりに軽い鍛錬をしているくらいなので、もともとそういう体質なのだろう。しかし見た目とは違って、本人は穏やかで優しい性格をしており、争いごとは一切好まない。肉弾戦ではなく、法廷での戦いに持って行く。

 仕事は王城で文官をしている、バリバリの文系人だ。朝早く登城したにも関わらず、日付が変わるころに帰宅することもしばしば。おそらく昨日も仕事のせいで帰ってこられなかったのだろう。……ブラック城だね。



 ……シャーロットはお兄様の過労死が心配です……。


「あ、そうだった。オーティスお兄様にもみんなを紹介しますね」

「お願いするよ」


 玄関ホールには、私だけではなく、タルト、ルルイエ、ココア、ルーナ、リーナ、ミオが一緒に出迎えに来てくれた。そして帰って来たルーディットたちは、ケントとフレイが一緒だった。騎士団の鍛錬に混ぜてもらっていたようだ。疲れ果てた顔をしているけれど、その表情は充実感に溢れている。


「わたしは弟子のタルトですにゃ。よろしくお願いしますにゃ!」

「おお、君が弟子のケットシーの女の子か。ケットシーはほとんど見かけることがないから、驚いたよ。シャルのことをよろしく頼む」

「いつもお師匠さまによくしていただいていますにゃ」


 タルトのにこやかな挨拶から始まり、全員が挨拶を終えた。



 食堂へ行く道中、私はケントとフレイに声をかける。


「騎士団の鍛錬に混ざってたの?」

「ああ。ルーディット様とも手合わせして、しごいてもらったんだ!」

「この国の騎士団は活気が合っていいな!」


 二人とも目がランランに輝いている。


「私は百人抜きにチャレンジしたんだ!」

「ひゃくにんぬき!? ひえ、体力オバケかな……?」


 騎士百人連続と対戦なんて、恐ろしい……と思ったけれど、狩でレベル上げをしているときはもっと連戦することに気づきはたとする。


「そういえばシャロン、今日の夜はやっとあれを食べるんだろ!? 俺、ずっと楽しみにしてたんだ……!」

「私もだ」

「うん、そうだよ。料理長にお願いしてあるから、期待してて」


 私がそう告げると、二人は「よっしゃ!」とガッツポーズを取る。〈桃源郷〉で食べた普通の桃も美味しかったのに、その上をいくんだから……無意識のうちに喉が鳴っちゃうね。

 すると、私たちの会話が気になったらしいオーティスが会話に入ってきた。


「あれとは、いったいなんのことだい? すごく美味しいものらしいことはわかったが……」


 不思議そうに首を傾げるオーティスに、私はふふりと笑う。


「めちゃめちゃ美味しい食材を、お土産に持ってきたんです」




 前菜は一口サイズにカットされた桃と、桃の果実と桃ドレッシングを使ったサラダ。瑞々しいリーフに添えられた桃は、キラキラ輝いているかのようだ。


「本当は調理したものを……と思ったのですが、ぜひ、この桃そのままの味を最初に楽しんでほしいと思い、お出ししております」


 料理長の期待させるような発言に、無意識のうちにみんなの喉が鳴る。


「この桃はシャルの土産と聞いたが……こんなに瑞々しくて芳醇な香りの桃は初めてだ。これも、シャルが冒険で手に入れてきたのか?」


 目を大きく見開いて驚いた父が、〈大きな桃〉のことを私に聞いてきた。母、兄たちもそれは同様のようで、じっと私に視線が集中している。

 家族には隠すつもりはないので、私は頷く。


「これは〈桃源郷〉で特別に売ってもらった〈大きな桃〉です。みんなで食べようと思って、私たちもまだ食べてないんですよ。……だから、食べたくて食べたくて仕方がないんです。まずはいただきませんか?」

「それもそうだ。シャルの土産をありがたくいただこう」


 父が頷いて桃に手を伸ばすと、ほかの皆も頷いてフォークを手に取った。


 ……ああっ! 待ちに待った〈大きな桃〉!!

 このゲーム世界で私が楽しみにしていることは、自分の足で歩いて景色を見ること。そのほかに、美味しいものを食べることも楽しみの一つになっている。


「いただきます!」


 私が桃にフォークを突き刺すと、すっと果肉の中に入っていった。そして刺した穴から溢れ出た桃の香りはいっきに私の鼻を駆け抜けていく。思わず桃のすごさに体が震える。早く食べたいと、私の体と心が訴えかけてくるかのようだ。

 ぱくりと口に含むと、一瞬で桃の味が体の中を通り抜けていく。口に含んだだけなのに、全身が桃になってしまったみたいだ。


 ……こんなの、飲み込んだらどうなっちゃうの!?


 しかしながら飲み込まないという選択肢は私にはない。勢いよくごくんと飲み込むと、果汁が身体の中で溢れそうになる。たった一口の量だけなのに、圧倒的な桃の存在感。


 ……はあぁぁ、美味しい……。

 この世にこんな食べ物があったのかと、ただただ感動するしかない。

 本当はもっと食べ進めたいけれど、体が〈大きな桃〉の余韻を感じていたくて手が動かない。食べたいのに食べられない、変な気分だ。全員が食べた後、少しぼおっとしていたが……真っ先にハッとしたのはルルイエだった。


「もっと食べる!」

「ハッ! そうだ、もっと食べよう」

「美味しすぎて言葉を失っていましたにゃ……!」


 ルルイエが二口目を頬張ると、みんながそれに続いて桃を食べだした。もちろん私もだ。


「こんな美味しい桃、いくらでも食べられちゃう……!」


 そんなことを言いながら、今日の夕食は〈大きな桃〉パーティーとして大いに盛り上がった。

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