ブルート・ブルース

見世美屋

00-プロローグ

「ああ、うん、大丈夫だから」

 

 そう俺が言うと、電話の向こうから「本当に?」と心配げな声。狭いアパートの一室に、俺の声が響く。心配性な親からの電話のペースはとうとう隔週になってしまった。

 

 大学入学と同時に一人暮らしを始めた俺は、この親への近況報告に少し苛立ちを覚えていた。「大丈夫」と言えば、「本当?」のテンプレートを今日も繰り返す。心配してくれるのは嬉しいが、流石にこちらも疲れてくる。大学生活を初めてから7ヶ月。そろそろ連絡をやめて欲しい、という一言が口から出ることはなく、今まで続いてしまっていた。

 

「じゃ、そっちも元気でね。おやすみ」

 

 いつもは三十分に達するような電話だが、今日は早々に切り上げる。端末の中央の赤いボタンを押せば、すぐにスマホは通話履歴の画面に切り替わる。その画面を埋め尽くす母の名前にドン引きしつつ、電気を消す。

 

 正直なところ、俺はあまり大丈夫などと言える状況では無かった。高校の頃不登校気味だった俺には毎日大学に行く事だけでも苦痛で、勉強どころではない。そもそも友達作りだってろくにして来なかったから、十一月だというのに大学では孤独そのもの。自分の欠点は分かりきっているのに、それを変えることが出来ないままズルズルと今に落ちてしまった。

 

 ベッドに入り、携帯で明日の予定を確認する。暗い部屋の中、光るディスプレイを数秒睨みつけてため息をつく。

 

 俺、朝イチの講義入れてたんだっけ。

 

「……嫌だな」

 

 俺の呟きは、暗闇に吸い込まれていく。もちろん、サボりたいという気持ちはとても大きい。しかし、厳しい家計をやりくりして入れてもらった大学へ明日も行かなくては。辛いだとか、そんな感情を全て押し殺して、俺は瞼を閉じる。日課になってしまった『明日こそは』という覚悟と共に。

 

 

 ■□■

 

 

 背中に違和感を感じる。冷たく硬い場所で寝転がっているような、そんな感覚。もちろんベッドで寝たからこんな感覚になることは無いし、今まででこの状況に陥った事もない。だが、あまりにも背中が痛い。

 

 少し意識が覚醒し出すと、辺りが騒がしいのに気づく。人の話し声、動物の鳴き声に、聞きなれない足音。携帯のアラームが鳴っていないので、まだ起きるには早い時間のはずだ。しかし、耳に入ってくる雑音に嫌気がさしてくる。こんなに早い時間に外で騒ぐなんてどんな奴なんだろうか。

 

 苛立ちを覚え、俺はようやく目を開ける。

 

「……は?」

 

 視界にはいつもの部屋の天井――の筈が、その天井はどこにも無い。ただ、代わりにそこには雲ひとつない青空が。

 

 慌てて身体を起こし、当たりを見渡す。妙に薄暗い空間。両側は石の壁に阻まれ、圧迫感がある。しばらく見渡し、ようやく今俺が置かれている場所を理解する。……俺は建物に囲まれた路地に居た。

 いやいやいや、俺は絶対に自分の家で寝たはずだ。昨晩の電話の内容だって覚えているし、ベッドの中でスケジュールの確認をした事だって覚えている。じゃあどうして、俺はこんな路地で目覚めた?

 

 状況確認は出来たが、理解は全くできていない。今、俺が置かれている意味不明な状況に、寝起きの頭はパンク寸前に達する。

 

 夢なのか、と頭を下に下げると、異変に気づく。視界に写るこの黒い手はなんだ? 黒い毛で完全に覆われ、掌には肉球らしきもの。そしてその手は――自分の意思で動かせる。

 

「――嘘だろ?」

 

 慌てて俺が寝ていた横にある、水溜まりに映るモノを確認する。恐る恐る覗き、そこに写っているものを。本来なら、寝起きの俺の、くしゃくしゃの顔が反射している筈だ。頼む、頼む、頼む。

 

『水溜まりに自分の顔が反射してくれ』という、当たり前なことを懇願する俺。だが、その当たり前すら、現実は無常に壊してきた。

 

「え」

 

 水溜まりに反射していたのは、真っ黒の毛に覆われた犬――まるで、ファンタジー作品でよく見る、獣人のような生き物。

 

 俺が手を挙げると、水溜まりの犬も手を挙げる。俺が口を開けると、水溜まりの犬も口を開く。困惑する俺も、しっかり水溜まりには写っていた。

 

「うわあああ!」

 

 意味の分からない状況に、理解が追いつかない。目覚めると知らない路地で、自分の身体は犬になっている。その現実を受け止められず、俺はあてもなく走り出す。

 

 どこへ向かえば? ……知らない。

 そもそもこの身体は? ……分からない。

 ここは何処? ……見覚えすらない。

 

  

 無駄な自問自答を繰り返しながらただ走り続けると、ようやく路地の終わりが見える。ただ、路地を抜けるだけ。だが、それだけのことが俺にとっては今、最も重要なことだった。……ここを抜ければ何かが分かるかもしれない。そればかりを考え、薄暗い路地を一人でひた走る。

 

 走って、走って、路地を抜けた俺の目に映るのは。

 

「いや、もう、どうなってんだよ……」

 

 明らかに日本ではない、見たことの無い街だった。

 

 屋台のような物が道の両端に並んでおり、どの店も賑わっている。建物は全て中世ヨーロッパのような建築で、機械のような物は見当たらない。そして一番は。

 

「獣、人……」

 

 道行く生き物は全て獣人。人間の姿は一つも無かった。

 犬、鹿、虎……よく分からない爬虫類。多種多様な生き物達が会話をしたり、買い物を楽しんでいたりとをしている。そんな人たちを見ながら呆然と立ち尽くしていると。

 

「うおぁっ」

 

「何棒立ちしてんだガキ」

 

 俺の横からぶつかって来たのは黒い馬。俺が見上げなければいけないほど身長が高く、高圧的な態度に俺は。

 

「え、あ、すみません……」

 

 ――情けない声で謝罪を口にした。

 

「よそ見すんなよな」

 

 そう小さくため息を吐いて、馬は去っていった。

 

「言葉は、通じるのか」

 

 すぐに去ってくれた事に安堵しつつ、少しでも情報を整理する。コイツらは、見た目こそ人間からはかけ離れているが、言葉は通じる。……尚更分からなくなってきた。

 

 このままだとまた棒立ちになってしまうと危惧し、俺は雑踏に紛れることにする。そして、屋台を一つ一つ見て回る。野菜屋に、肉屋と……武器屋? それらの店を注意深く観察し、もう一つある事に気づく。

  

 言葉は通じるが、文字は知っているものと違う。

 

 日本語や英語どころか、見たことも無い文字。例えるなら昔教科書で見た、象形文字のようなものだった。

 

 たまたま目の前にあった、建物の看板を見てみる。そこ書いてあるのは。

 

「探偵……ペット、人、探します……」

 

 もちろん俺はこの世界の文字など知らない。だが、何故だか読める。……というか、獣人だらけの世界なのにペットはいるのだろうか。

 

 こうして、『何故か読める文字』も謎リストの仲間入りを果たしたのだった。

 

 それから暫く歩き続け、この世界の情報を集めた。分かったのは、地球とは別の場所であること、人間は居ないこと、この国の通貨は『ドナーク』というもので、俺は現在無一文であること……。そしてこれらを踏まえ、今の俺の状況を一言で表すと。

 

「絶望的だ……」

 

 一時間弱歩いて、得られた情報がこれだけな上に、肝心の自分についての情報は何一つ得られなかった。歩き疲れ、広場のような場所のベンチに腰をかける。

 

 とりあえず、今ある謎を頭の中で整理する。まず、どうしてこんな事になったかだ。未だに異世界に来たことを完全に信じた訳では無いが、これだけ歩いたから分かる。……これは夢では無い。では何故転移したのかだ。俺はいつも通りの生活をして、就寝した筈。トリガーになるような事は何も無い。

 

 そして次に気になったのは、俺の容姿だ。異世界に転移するだけでなく、何故獣人になったのか。しっぽの存在は気持ちが悪いし、視界に写り込む鼻は邪魔くさいし。

 

 最後に、衣服。この世界の服は勿論日本のようにTシャツやパーカーなんて物じゃない。ファンタジーでよく見る、飾り気のないシンプルな服ばかりだ。そして、俺は昨晩部屋着のパーカーで寝た筈だが、今着ているのはこの世界の服。

 

「意味わかんね……」

 

 つい本音がこぼれ落ちてしまう。これから、俺はどうすれば。先の事を考えようにも、金はもちろん俺は何も持っていない。

 

 またこの世界の情報を探ろうと立ち上がり、ズボンのポケットに手を入れる。と、手に何かが当たる感触に気づく。

 

「紙?」

 

 ポケットから出てきたのは、四つ折りになっている紙。勿論俺が入れた記憶など無い。このズボンは、この世界に来た時に着ていたものだ。つまり、この紙は初めから入っていた?

 

 ゆっくりと紙を開いてみる。

 

「レイディス・フォード……?」

 

 紙に殴り書きされていたのはこの『レイディス・フォード』の文字のみ。誰かの名前だろうか。聞いたことも無い名前が、俺には希望に見えてくる。右も左も分からないこの場所での、唯一のヒント。

 

 ……この人に会えば、何か分かるのか?

 

 しかし、この世界の事を何も知らない状態での人探しなんて不可能に近い。自分の衣食住すらままならないのに、どうしろと。

 

 ――神は乗り越えられる試練しか与えない。

 

 誰かが言った、そんな言葉を思い出す。俺は神なんて信じていないし、なんの根拠も無いこの台詞が嫌いだった。もし本当に神様が居たのだとしたら、あの世界の俺は相当嫌われていたのだろう。そんな人生を俺は送っていた。

 

 だが、ここは俺の居た世界とは違う。誰が言ったかも分からないこの台詞を信じるとするならば、今まで歩いてきた道で、何かヒントは無いか。目が覚めてから今までずっと歩いてきたから、どうせまた歩き続けても何も変わらない。なら、これまでに見てきた物、場所で解決するしかない。必死に辿って来た一本道を振り返る。

 

 何か、何でもいいから、この紙の正体を暴ける物は。

 

 ――ペット、人、探します。

 

 俺がこの世界に来て初めて読んだ文字。その内容を思い出す。

 

「探、偵」

 

 記憶の中の看板の文字を呟く。探偵なら、この『レイディス・フォード』とやらの正体が分かるんじゃないか。何一つ知らないこの世界の、手がかりが分かるんじゃないか。

 

 沈み始める夕日を背に、走り出す。見たことのある景色をとにかく駆ける。俺の唯一の希望――知らない誰かの名前を握りしめて。

 

 冷たい風が頬を掠める。起きてから酷使していた脚に痛みが走るが、アドレナリンのせいだか足の踏ん張りは効く。ヒントが得られた以上、一刻も早く答えに近づきたい。その一心で人をかき分ける。

 

「ここ、だ……」

 

 やがて着いた、街の一角の建物。陽はとうに落ち、昼間の喧騒は嘘のように消えていた。暗くて見にくい看板を確認すると『コルド探偵事務所――ペット、人、探します』の文字。まずはもう一度戻ってこれたことに安堵する。

 

 絶え絶えの息を整え、意を決する。少し大きい、目の前のドアを俺は睨みつける。この中に、答えがあるかもしれない。異世界に来た理由、この姿の真相、紙に殴り書きされていた謎の人物。全ての謎の答えがある可能性に、高揚感とはまた別の心臓の高鳴りを覚える。

 

 ノブに手を伸ばし、深呼吸をする。覚悟は決まった。ドアノブを下げ、その建物に足を踏み入れる。

 

「……は?」

 

「ん?」

 

 ドアを開けた先は、小洒落た部屋。シックなカーペットの上には高価そうなテーブル。そのテーブルを囲むように革製のソファが。窓辺には観葉植物が沢山飾ってあり、丁度その植物達に水を上げていた人物を見て、俺は硬直する。

 

「お客さんかな? ようこそコルド探偵事務所へ」

 

「いや、え?」

 

 歓迎の言葉を述べるは、無機質な金属音を発しながら、俺に近づいてくる。困惑する俺を完全に無視しながら。

 

「いやー、最近依頼が減っていて困っててね。丁度良かったよ」

 

 は陽気に両手をフラフラ遊ばせながら、俺の目前まで来たところでピタリと止まる。身長二メートルはあるであろう巨体を俺は見上げ、一言口から零す。

 

「ロボット……」

 

 ――俺を見下ろしているのは、スーツを綺麗に着こなし、首を傾げる人の形をしたロボット。

 

「どうなってんだよこの世界は……」

 

 ようやく掴めたと思ったこの世界がまた遠ざかった気がした。

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ブルート・ブルース 見世美屋 @misebaya

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