三題噺 灰・透明・小鳥

枝葉末節

お題、灰・透明・小鳥

 火葬場は騒然としていた。小さな妹の遺骨は見当たらず、それどころか遺灰も見当たらない。

 葬儀屋の人たちがバタバタと忙しく走っていった。何事だろう、とぼんやり眺めているうちに、ふと風が肌を撫でて室内へ舞い込んだのを感じる。

「アッシュバードだ! 早く密閉と網を――」

 ……あっしゅばーど?

 聞き馴染みのない単語だった。授業で学んだ英語が、辛うじて灰と鳥という意味を想起させる。

 どうしてそんな言葉で、皆慌てているのだろう。妹が枯れるように病死したときは、もっと静かだったのに。人が死ぬよりも大事なのだろうか。

 疑問を抱いて首をかしげたとき、不意に肩へなにかが触れた。誰かに掴まれたワケでも、虫が落ちてきたワケでもない。なぞるように優しく、眠るように弱々しく。

「愛佳……?」

 それは、握るだけで折れそうなほど儚い妹の手付きを思い出させた。生まれながらに病弱で、結局そのまま死んでしまった、愛らしい妹の。

 思わず妹の名を呼ぶと、肩に触れていたなにかが跳ねる。姿は見えないのに、どうしてか小さな鳥が僕の肩より跳んで行ったのだと分かった。

 ぱさり、と微弱な音を立てて、不思議なものが見える。宙からひとかたまりの灰が、揺らめいて落ちてきたのだ。花びらか、あるいは羽が舞い降りるみたいに、ひらひらと。

「遺族の皆様、ご協力をお願いします! アッシュバードが発生したため、今しばらくこのままお待ち下さい!」

 バタバタ走り回る葬儀屋の人たち。不安げな話し声を制する形で、館内マイクによる慌ただしいアナウンスが入った。

「母さん、アッシュバードってなに?」

 そわそわと落ち着かない様子の母へ問いかける。なにか言いあぐねているみたいで口を開閉していた。

「その……愛佳は、お墓で眠るんじゃなくて、空を飛ぼうとしているのよ。誰かと一緒に居ることより、どこか遠くへ行こうとして、見えない鳥になってしまったの」

 冷静であろうと取り繕って淡々と説明していたが、母の声は震え、ひどく悲しげだった。子供相手だからと、言葉を選んでいるせいもあっただろうけれど。ただそれがために、僕はムッとしてしまう。

「鳥になったのなら、飛ばしてあげればいいじゃんか」

「そんなこと言ってはダメ。空っぽのお墓なんて、ご先祖さまたちも良く思わないわ」

 ため息を吐いてしまう。この人にとっては、病に伏せたまま逝った娘より、とっくの昔に亡くなった人の方が大事なんだ。仕事のせいと言って、いつも娘の側に居なかったこの人には。

 僕は暇なときがあればずっと妹のところに居た。だから愛佳がどうしたいか知ってる。どうして見えない鳥になってまで羽ばたいたかも。

「先輩! 頭の上です!」

「ど、どこだ! 見えたんなら網振れ網!」

「叩いたら文句言うじゃないですか! ああ、もうどこ行ったか――」

 スーツ姿の大人たちが、何人も虫取り網を振り回している。遠目に見てる限り、遺灰混じりの羽が落ちたときだけ可視化されるみたいだった。けれど遠慮なくぶんぶんと振り回している様に、怒りが湧いてくる。あの人たちも、妹のことなんてどうでもいいんだ。

 おそらくこの場に居る中で、僕だけが妹の真意を分かっている。だから僕は駆け出した。両親の制止も無視して、締め切った扉へと。

 バン、と扉が大きな音を立てて開かれる。舞い込む風が内外の隔てを取り払ったことを知らせた。

 眼の前でふわりと、灰の羽が舞う。まだ温もりを感じるそれを掴むと、顔をくるりとなぞられて、そのまま愛佳は飛び去った。

「なにをしているの!」

 母が絶叫した。掴んだ羽だけ差し出して、口を開く。

「愛佳はずっと、外に行きたいって言ってた。母さんも父さんも、葬儀屋さんも知らないだろうけど」

 続けた言葉に、大人たちが言葉を失って唖然とする。そいつらを真っ向から睨んで、僕は続けた。

「ほんとの本当に最後なんだ。だから、愛佳を想う気持ちがあるのなら、最期くらい好きにさせてやりたかった」

 羽を握った母が、膝から崩れ落ちる。そんなのはどうでもよくて。

 ただ握った羽が冷めていくのを、静かに眺めて手離した。

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三題噺 灰・透明・小鳥 枝葉末節 @Edahasiyou

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