ひいばあちゃんの迷信その96 『雷の日に鯉を捌くと喋り出す』
林きつね
前編
「『雷の日に鯉を捌くと喋り出す』……うちのひいばあちゃんが言っていた迷信だ……」
中井のひいおばあちゃんは御歳102歳になる。腰は曲がりその歩みは遅く、顔のシワは深い。けれど食卓に肉が並べばペロリと平らげ、世間話をふれば饒舌に語り、毎日夜の十時に寝ては六時に起きてテレビを見ている。たまにボーッとカレンダーを眺めては「ギネスまであと20年か……」と呟いている、おおよそくたばりそうにない元気な老人だ。
村の年寄りが誰一人聞いたことないというような嘘かほんとかわからない迷信を100は知っており、ことある事に俺と中井に聞かせてきた。
『村外れの滝には、滝を登って生きる滝人がいる』
『駄菓子屋でとある合言葉をいうと拳銃を売って貰える』
『藤山のおじさんは禿げているのに3万円のシャンプーを使っている』
『満月の夜に東の山に向かって遠吠えをすると、巨大な犬が迎えにくる』
……などなど、あげればキリがない。ただその迷信のあまりの奇想天外に興味を惹かれた我々は、中学の頃から大学生になった今に至るまで、ことある事にその迷信を検証していた。
当然、そのほとんどが真実でなく、俺と中井が目撃したのは滝人と、藤山のおじさんの高級シャンプーの購入履歴のみである。
そして今回、偶然にもその一つが真実であると立証された。
『雷の日に鮭を捌くと喋り出す』
「でもなあ……これじゃあなあ……」
「なんだよ不二原! これどう見ても喋ってるだろ!」
確かに、まな板の上でビチビチと痙攣している鮭の口は、横に伸び縦に伸びすぼんで突き出し音を発している。
だが、なにを言っているのかがわからない。日本語と中国語のちょうど中間のようなその奇っ怪な発音の数々を理解するすべは俺達にはなく、ただ視界と耳にグロテスクが入ってくるのみだった。
「……よし捌こう」
「だめだめだめだめだめ!!」
勢いよく振り上げおろそうとした右腕を、中井が必死に抑えつけてくる。
それと同時に、鯉がけたたましい声をあげた。なにを言っているかはやはりわからないが、それが罵詈雑言の類であることはなんとなくわかった。
「お前は言葉を話す命を躊躇なく殺すのか?!」
「呻き声をあげるクリーチャーにしか見えないからな」
鯉のけたたましい声は続く。その黒く大きな目が俺を睨みつけているような気がして、そっと目を逸らした。
「そもそもお前が鯉食いたいって言うからわざわざ調達してきたんだろうが!!」
「もう食いたくないけどな、これ」
昨日の昼、なんとなくつけていたテレビには、グルメ番組が流れていた。
芸能人が商店街にある古そうな店に入って、そこにある名物らしい料理を食べて褒めるというよくあるやつだ。
そこで紹介されていたのは、とても珍しい肉を使った唐揚げだという。
テロップとcmを挟んでもったいぶった挙句出された回答は、『カエル』だった。
その時俺はふと思った。鯉ってどんな味なんだろう……と。
昔から一番気になったことは確かめないと気が済まない性格の俺は、どうしても鯉が食べたくなった。
そして、その旨を読み終わるのに十分かかるような文量のメールで中井に伝え、一夜明けた。
それは一体どこから? という質問には頑として答えなかったが、昼前には一匹の鯉をバケツに入れて俺の家の呼び鈴を鳴らした。
手馴れたものだ。
さすが、出会った頃から散々俺の好奇心に振り回されてるだけはある。
「何に関心してるか知らんけど、さっさと包丁下ろせ? 鯉も多分同じこと言ってると思うし……」
「確かに、このままだと本当に呪われそうだな……」
というわけで、鯉をバケツの中に戻して作戦会議だ。
未だに理解不能の言語がバケツの中から部屋中に響き渡っている。
俺達はいいとして、この豪雨では家族が予定を切り上げて帰ってくるかもしれない。
玄関のドアを開けて、家族とその友達と理解不能の言語を話し続ける鯉がいたら間違いなく卒倒するだろう。
平然と会話を続けている俺達がおかしい。その自覚ぐらいはある。
「さて、どうしようか」
「あー、やっぱりそうなるか」
俺の発言が『この鯉どうしよう』ではなく『どうやってこの鯉の言語を解析しよう』という意味であることを即座に理解した中井は、よたよたバケツの鯉に近づいた。そして──
「おはよう」
「……こんにちは」
「今から言う質問に、イエスなら一回、ノーなら二回、水を跳ねさせてくれ」
「てめえぶち殺すぞ魚類風情が」
「このバケツの中にうんこしていい?」
しばらく話しかけると、首を振りながらこちらに戻ってきた。
「こっちの会話なら理解出来てるんじゃないかって思ったけど、無理そうだな」
鯉は中井がなにか喋る度に、変わらず理解不能の言語を喚き散らしていた。ただそれは言葉の意味を理解しているのではなく、ただ目の前で発せられた音に対して反応してるだけのようだ。
「あるいは、あの鯉も俺達と同じなのかもしれない……」
「あん?」
「彼もまた、俺達の言葉がわからず理解しようと懸命に努力しているのかも……」
二人揃って、ちらりとバケツに目をやる。ピシャン! と雷の音が聞こえた。
それに反応して、鯉もまたなにかを発していた。
雷が怖いのか、それともあの雷こそがあの鯉を鯉たらしめるなにかなのか……。
「気になるなあ……」
突発的な好奇心は自然と消え去ることはない。俺が納得のいく答えを得るその時まで残り続ける。それが昔からの性質だ。
それに長年付き合わされてきた中井には申し訳ないと思わなくもないが、こういったものの解決において中井ほど便利な人材はおらず、手放すわけにはいかない。
「……滝人ならなにかわかるかも」
「……魚だからか?」
「魚だから」
ポツリと飛び出たその案は、確かに頷けるものがあった。
餅は餅屋というように、魚は魚に解決してもらう。恐ろしく理にかなっている。
滝人のことを魚と言い切るにはいささか怪しい箇所がいくらかあるが、現状早々に出来る手段が尽きている。
この際藁だろうが、謎の滝登り半魚生命体であろうが掴んで見せよう。
と、いうわけで早速荷物を整え、バケツの中に冷蔵庫の魚をすり潰したものを放り込んでおいた。
謎の言語を喋ろうが鯉は鯉だったらしく、食料を放り込んだ瞬間喋るのをやめて見慣れた大口をあけてそれらを喰らっていた。
あとは外に出られるよう天気が回復するのを待って――
「いやだめだ!!」
「うお?!」
右手でバケツを持ち上げ左手で中井を掴み玄関へと向かう。
靴箱を開けて、丁寧に整えられた全く履かれていない靴の数々を散らかして奥に手を伸ばすと、一体いつからそこにあるのかわからない汚らしい雨合羽が三着ほどあった。
その雨合羽の一着を中井に投げ渡すと、急いでそれを着込む。
少しばかり沼の底のような匂いがするが、この際贅沢は言ってられないだろう。
「いやいや待て待て待て急になんだよまさか外に出る気か?! せめて雷が止んでから……あ――」
どうやら気がついたらしい。
『雷の日に鯉を捌くと喋り出す』
つまり雷でなくなればそれっきり鯉は喋らなくなるかもしれないということだ。
もちろん、一度喋りだした鯉は快晴でも喋り続けている可能性はある。喋らなくなってもまた雷の日を待てば喋り出す可能性もある。
だが確実にそうなるという保証はどこにもない。
それについての可能性を検討するための材料もなければ時間の余裕もない。
この好奇心を満たせるのは今この時だけなのかもしれないのだ。
「不二原ぁ……外あぶねえって……鯉もこう言ってるしさあ……」
「そうだな、一刻も早くどう言ってるか知らなきゃ行けないな」
「俺お前と死にたくねえよ〜……」
「じゃあ生きて帰ればいいさ」
「かっちょいいなあ……」
と文句を垂れながらも中井は既に雨合羽の着用を終えていた。
目指すは村外れの滝。雷雨の中、今日も滝を登っているであろう滝人に会いにいくとしよう。
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