恋は盲目、愛は軽率。

studio some notes

file1:あなたの手紙

「何の本読んでるの?」


 それが私たちだけの秘密の合言葉。彼と学校で交わす数少ない言葉のひとつだった。




 田舎町の小さなこの学校では噂話がすぐに広がる。だから、のことを誰かに知られないために合言葉を決めていた。


 そのゲームというのが、図書室にある本に挟んだ手紙を探す、といういたってシンプルなものだった。


 受付で本の返却の手続きを終わらせてから、手紙を挟んで本棚に戻し、彼が昨日返した本を合言葉で聞き出したヒントを元に本棚から探し当てて手紙を抜き取る。


 私は新しく本を借りてから、図書室を後にする。


 後日、彼は昨日私が返却した本を探しに行き、彼もまた、新しく手紙を隠す。


 もしこのことを誰かに知られたら、手紙をすり替えられたりされて台なしになる。それを危惧して学校で交わす言葉は合言葉とヒントだけという決まりになった。




 ことの始まりは、私が教室で本を読んでいるときに、彼の方から何の本を読んでるのかと話しかけてきたところからだった。


 その日、私が読んでいた本は、恋愛ものだった。愛の告白の場面で一本の赤い薔薇を渡すような、そんな恋愛小説。


 私はその小説が大好きで、何度も借りては、繰り返し読んでいた。


 しかし、本の好みはその人の人柄を表すと言われているので、題名を明かすのが恥ずかしい私は、短い髪をいじりながら、恋愛小説だよ、とだけ答えた。


 当然のように彼は題名を聞き出そうとする。


 私が恥ずかしいから嫌だと拒み続けていると、彼は、じゃあ当てさせて、と言い出した。


 そうして題名を聞き出すために彼が考案したのが、この宝探しのようなゲームだった。


 どんな本が好みなのか知られるのは恥ずかしかったけれど、彼の熱量に負けてしまい、私はゲームに参加することにした。




 今日は私が探す番なので、彼が前回借りていた推理小説というヒントを元に、そのコーナーの中から、手紙を探し当てる。


 彼が読みそうな題名を見つけては取り出して、パラパラとページをめくって手紙がないことを確認してはまた本を探す、ということを繰り返していた。


 そうやってようやく見つけた本の概要を読んでは、次は少ない回数で見つけ出せるようにと題名をメモに残す。何回で手紙を見つけられるか競い合っているのも、お調子者な彼の提案だった。


 私は以前から読もうと思っていた恋愛小説を迷うことなく借り出し、図書室を後にした。


 帰り際、借りた本のことよりも、手紙に何が書いてあるのかということで頭がいっぱいだった。




 その手紙の内容というのが、初めのうちは、おめでとうといった趣旨のメッセージだけだったけれど、段々と文章が長くなって、自分の好みの話だとか最近あった出来事をお互いに書くようになっていった。


 彼がどんな人なのか、手紙からわかったことといえば、苦いものと高いところが苦手で、甘いものと冗談と小説が好きだということ。特に、小説の話になると彼は、手のつけようがなくなるほど頭の中がそのことでいっぱいになる。


 彼はよくふざけているけれど、本を読むときはとても真剣な顔をする。そんな彼を見るたびに、本当に小説が好きなんだなと私は思っていた。


 友達とするようなごく普通な話も、内容の薄いくだらない話も、たくさんした。


 そんなたわいのない話でも、手紙を通すことで、何だか特別なことをしている気分になれて嬉しかった。


 何より、手紙を通してではあるものの、彼と話すことがとても楽しかった。




 ある日、いつものように手紙を挟んだ本を本棚に戻そうとしていると、いつもなら受付カウンターにいるはずの図書室の先生が隣に立っていて、声をかけてきた。


「文通ですか?」


 私は思わず、誤魔化しようがないほどに動揺していて、うんともすんとも言えずにいた。


「いいですね」


 先生は、何の返事もしない私を咎める様子はなかった。


 私は借りる本を直ぐに決めて受付へ向かい、お願いしますと本をカウンターへ置いた。


 先生は手続きをしながら言い出した。


「一応、他の人が借りにきたら、なんとか違う本をお勧めしておきますから」


 あまり話したことはないけれど、この先生は生徒たちにとても理解のある大人だった。


、引き続き、気兼ねなく、図書室をご利用くださいね」


 私は先生の言葉に一瞬だけたじろいでしまったけれど、本を受け取り、お礼を言ってからその場を後にした。


 そう、数ヶ月前には既に噂で耳にはしていたけれど、この学校は一つ上の三年生が卒業すると同時に、廃校になる。当然、あの図書室も使えなくなる。


 彼との時間に限りがあるということをわかってはいるはずなのに、今更ながら焦りを感じ始めた。


 私たち一、二年生は、学校のサポートを受けながら各々で転校先を決め、編入手続きを進めている。学校が支援してくれるということもあって、これを機に都会へ出ようとする人も少なくない。


 この田舎町では、高校を卒業するとほとんどの生徒が町の外へ出てしまうような小さなところだけれど、私が幼い頃に両親は離婚していて、母子家庭の我が家には金銭的にも余裕はなく、母親を置いては行けないと、卒業後の進路として上京を早々に諦めていた。だから、編入先も家から電車で通える学校にした。


 彼は、この町を出るのだろうか。


 自分の気持ちを勘ぐられるのが嫌で、私から質問することはなかった。


 手紙には何かヒントとなることが記されていないかと期待して開いてみるけれど、今日の手紙に書かれていたことといえば、自分が読む小説のヒロインがみな黒髪ロングだとか、そんなヒロインが出てくる小説を知らないかとか、相変わらず彼の頭の中は小説のことでいっぱいだった。


「彼はロングが好きなのか」


 私の不安に気づきもせず、お調子者な彼に、私は少し、笑ってしまった。




 ここ最近の私は、彼を見つけては目で追っていた。


 私は彼の制服姿しか見たことがない。


 普段はどんな服装をするのか、とか考えたりはするけれど、私は彼の制服姿が好きだった。


 背が高く、がっしりとした存在感のある体。


 薄っすらと、でも確かに血管が浮き上がる腕。


 すらっと長くも、しっかりと骨張った指。


 指を動かすたびに浮き彫りになる手の甲の筋。


 そんな体格に、制服のブレザーとか、ワイシャツとか、フォーマルな格好が似合っていて、とても格好よかった。


 そう思っていたのが私だけではなかったみたいで、彼のことを気になっている女の子はたくさんいたらしい。


 それを知って焦っている自分がいると同時に、私たちにはがあると納得させ、焦りを打ち消そうとしている自分もいた。


 そんなぐるぐるとしてしまう考えを振り払っては、自分の気持ちを痛感させられる。


 私は彼が好きで、彼が好む女性になりたいと思っていた。


 手紙に私の想いを書いてしまおうかと、何度もペンを走らせたけれど、結局、本に挟む手紙の内容といえば、行きつけの喫茶店の話だとか、そこは小説の舞台になっただとか、当たり障りのない話をしてしまっていた。




 期限は三年生が卒業するまで。まだ少し時間がある。そうやって先送りにしていたせいで、私たちの特別な関係は、あっけなく、幕を下ろされてしまう。


『図書室の利用を禁止します』


 掲示板にそんな張り紙がされていた。


 手順よく取り壊すために、利用する人の少ない図書室から解体の準備が行われるということをたった今、図書室の先生が教えてくれた。その下見として図書室へ来た二人の作業員の様子を先生と並んで見ていた。


「今回の件については、私の方からも謝らせてください」


 先生はいつになく真剣な表情で、私に頭を下げてきた。


「仕方ないですよ。大人の事情ってやつですものね」


 いつもは私が黙り込んでしまうのに、今回は先生の方が何も言えずにいた。


 私は空気を変えようと一つ質問をした。


「先生、ここにある本、どうなるんですか?」


「きっと廃棄処分になるでしょうね。もし欲しい本があれば、持って帰ってもいいですよ。あ、もちろん他の人には内緒ですからね?」


 さっきあんなことを言ってしまった私に気を遣ってくれたのか、先生は笑顔で提案してきた。


 私は一冊の本を手に取り、とあることを考える。


「それだけでいいんですか? もう二、三冊なら、バレないと思いますよ?」


 先生はそう言った後に、私の表情を見るなり、何かを悟って話し始めた。


「学生のうちにできることは学生のうちにしかできません。先生にはできないんです。時には、今回の件のように、大人の勝手で自由を奪われることもあります。だからこそ、挑戦するチャンスがあるのなら、怖気づいてほしくはないと、私は思います。力になってくれる大人もいますから」


 先生の話を聞きながら、私は色んなことを思い出していた。先生の言葉はもちろん、親の言葉に、小説の言葉、そして彼の言葉。


 心に溶け入るその数々に、胸が静かに熱を帯びる。


 今まで私に向けられてきたすべての言葉に感謝して、私は決心した。


「先生、一つだけ、お願いがあります」




 その後数日間、何事もなかったかように学校生活を送った。


 彼の方から話しかけてこないかと期待していたけれど、本を読んでいない私に声をかけてくることはなかった。


 放課後、先生と話があったので図書室へ向かった。


「解体準備が始まっていない箇所を一部、明日と明後日の二日間だけ、開放してくださるよう交渉できました」


 普段なら言葉数が少ない私だけれど、そのときばかりは思わず嬉しさが声に出た。


「先生、お礼といってはなんですが、私、手紙書いたんです。読んでくれますか?」


「あらまあ。私にですか? それはどうも。恐縮です」


 先生は、受け取った手紙を見つめながら徐ろに言った。


「読んでくれるといいですね、彼も」


 相変わらず、私の考えは先生に筒抜けで驚いてしまったけれど、今回は元気よく、はい、と返事をした。




 次の日、学校に着くなり私は、何食わぬ顔で図書室の本を読んだ。


 もう図書室は使えないということを彼も知っているはずだけれど、彼は何事もなかったかのように、いつも通り『何の本読んでるの?』と聞いてきた。


 私は、いつもと違ってこう答えた。


「私の大好きな本」


 一瞬、彼はキョトンとした顔をしたけれど、それ以上何も聞かずに自分の席へ戻った。


 これでいい。これでいいの。


 私は図書室へ行き、手紙を挟んだ本を棚へ戻した。




 きっとこれが最後になる。


 彼が見つけ出せなければ、手紙も、想いも、願いも、そのままどこかで処分される。


 彼が探し当ててくれるのか、私の気持ちが彼に届くのか、彼が私にをくれるのか、どれも彼にかかっている。


 どうか、


 私は、そう願った。





 昼下がり。そよ風で漂う木漏れ日。並木道を抜けた先にあるお店。


 今日は休日。学校はない。


 どこかで耳にしたことのあるクラシック音楽が流れるこの喫茶店で、熱い珈琲を飲みながら小説を読むことが、私の休日の過ごし方だった。


 ステンドガラスの窓を通して輝く色とりどりな光が、とても奇麗な場所。


 彼とここに来れたらなあ、と何度も思っていた。その想いが叶うかどうか、今日、決まる。


 時計の針が約束の一時を指す。


 私の前は空席のまま。


 あのヒントだけではわからなかったかなとか、探し出せなかったんじゃないかとか、そもそもここにくる義理なんてどこにもないとか、そんな悪いことばかりをぐるぐると考えてしまって憂鬱な時間が続いた。


『からんからん』


 ドアについたベルの鳴る音がする。


 さっきまで、既に飲み干してしまった珈琲カップの底を見つめていた私の視線は、反射的にドアの方を向く。


 息を切らしながら、Tシャツをパタパタと仰いでいる青年がこちらへ駆け寄ってくる。


 彼だ。


 私は嬉しさのあまり涙を浮かばせた。


「遅れてごめんね。このお店、探すのに手間どっちゃって。君のが難しいから」


 無邪気な笑顔で彼は笑う。


 手紙を見つけてくれたんだ。私を見つけ出してくれたんだ。


 私は堪えきれず泣いてしまう。


「ど、どうしたの?」


 彼は、あたふたと慌てた様子で私を見つめていた。


 それでも涙が止まらない私は、返事をできずに息を詰まらせた。


 涙でボヤけた世界から彼を捉えるのは大変だったけれど、彼のくれたなら一目でわかった。


 だって、彼の手には一本の赤い薔薇が握られていたから。

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