大文字伝子が行く14

クライングフリーマン

大文字伝子が行く14

ある朝。伝子のマンション。

何やら騒がしい。電話が鳴っていた。家電も、スマホも。高遠は何やら胸騒ぎを覚えながら、両方の着信履歴を見た。出版社からだ。真鍋編集長?入念にチェックしたし、今回は『虫食い』も無かったが。虫食いとは、下訳で翻訳仕切れなかった部分を残して入稿し、出版社の方から原本の会社に不明な単語を確認して貰う前提で空欄部分を設定しておくやり方で、他の出版社で同様のことを行っているかは高遠には分からない。

専門用語で調べきれない単語なのだが、大抵は原本のスペルが間違っている。それで、判明したら、校正係が直した上で校了させて、印刷に回す。たまに不明な場合があり、その場合は翻訳者が調べ直して再入稿する。編集長が血相変えてやって来たのは、そういう想定外の締め切り延期が発生する可能性があるからだ。

今回は、その虫食いがないのだから、土下座による『泣きの延長締め切り』には間に合った筈なのだが。

高遠は、家電の留守番メッセージと伝子のスマホの留守番メッセージを再生させた。

「この声は副編集長の声だな。来て下さい、だけじゃ分からないよ。」

「なんだ、どうした?」と伝子もあくびを殺して言った。やっと起きてきた。

「副編集長が来て欲しいって。」もう時刻は夕方だ。「分かった。準備しよう。」

「なんだよ、一体。ひとの子作りの邪魔すんじゃねえ。」伝子がハンドルを握りながら、ぼやいていると、伝子のスマホが鳴った。「学。出てくれ。」「はい。ああ、副編集長。今、そっちに向かってます。入稿した後、仮眠していたんで、電話に気づかず申し訳ありませんでした。」

電話を切った後、高遠は「とにかく急いでくれって。」と報告した。

「勝手だなあ。こんな時愛宕がいたら、パトカーで先導させるのに。」「ダメですよ、それは。」「分かっているよ。学。途中、自販機見付けたら教えてくれ。眠くてたまらん。居眠り運転しそうだ。」「了解です。」

みゆき出版社。副編集長が待ち構えていた。「どうしたんです?校正は?」と伝子が副編集長に尋ねると、横から伊達緑子が応えた。「校了済みです。」

副編集長は黙って、一枚の紙片を差し出した。「編集長は誘拐した。」と書いてある。いや、よく見ると、新聞の切り抜き等を使った切り貼りだ。

「これを見付けたのは?」「3時頃。」「なんで?」「昨日は大文字さんの所に行ってから帰社しなかったんですが、直帰したと思っていたんです。偶然、編集長の机の上のお茶をこぼした時に、引き出しから出てきたんです。」「学。110番。」「はい。」

「身代金等の電話はないまま?見付けた時に既に24時間経っている気がするが。そうだ。」伝子は愛宕にLinenで電話した。

「はい。先輩、もう仕上がりました?あ、仕上がったんですよね。何か急用ですか?」「今、どこにいる?」「立てこもり事件の現場です。キングスビル。」

「すぐ近くだな。こちらは、みゆき出版社だ。久保田刑事は?」「近くにいます。いや、おられます。」愛宕のスマホの画面に久保田刑事が顔を出した。「今、勤務中なんですが、急用ですか?」「実は、みゆき出版社に今いるんですが、編集長が誘拐されたらしいんです。暢気な編集者達に代わって、今110番しました。ところで、何回か使った。伯父が開発した追跡システムですが、編集長の行方分からないかな、と思って。編集長はガラケー派なんですよ。」

「なるほど。電源切れていないなら、場所を特定出来るかも、と。分かりました、『私の伯父』に頼んでみます。番号を愛宕に送って下さい。」

Linenのテレビ電話が切れると、通報を受けた警察官たちがやってきて、副編集長が応答した。逆探知班が機器を設定にかかった。警察官の一人が名乗った。「分文署の葵です。あなたが大文字さん?」と高遠に確認した。「はい。一応。」

「学。私が応えるよ。編集長は私が締め切りを守れなかったので、激怒して乗り込んで来たんです。で、二人して土下座して2日延期して貰ったんですが。」「何時頃?」

「10時半頃です。」「その後、どこかへ行くとは言ってなかったですか?」「いいえ。」

「あなたたちが誘拐したんじゃ?」「冗談じゃない。私は、夫と仲間達に手伝って貰って、つい2時間前に入稿して、仮眠を取っていたんです。」

「ふうむ。で、なんで今頃110番を?」と葵は副編集長に向き直って言った。

「はい。まずは大文字さんに相談してから、と思って。」「あんた、株主さん?」と今度は伝子に向き直って言った。「いいえ。」「大文字さんは、警察にコネがあるし。」と、副編集長は言った。「コネ?」

「それは、私が説明しよう。」と久保田管理官が言った。警察官たちは、直立不動で敬礼をした。「実はね。非公式だが、大文字伝子夫妻には、ボランティアで、色々世話になっている。まあ、顧問みたいなものだ。」

「そうでありましたか。失礼致しました!」と後の台詞は伝子に言い、葵は敬礼した。管理官は紙片を見ていたが、随分簡単な脅迫状だなあ。ああ、大文字君。手配はしたよ。もし、電源が入っていたら、犯人から連絡があった時に役に立つだろう。」

「あのー、管理官。指紋は?」「ああ、もう来るだろう。一応調べなくては。もし編集長以外の指紋が出て、前科があったら、『めっけもの』だな。」

「何が『めっけもの』かな?」と後から来た鑑識班の井関が言った。

「事件が大文字伝子を呼ぶ、ってか?ははは。」井関は部下達と作業にかかった。出版社編集部の部員の指紋が採取され始めた。

「管理官。」と、部下が来て言った。「ガラケーの場所が分かりました。が、そのう。」「何だ?」「場所はキングスビルです。」「キングスビル?立てこもり犯のいるビルじゃないか。誘拐とは無関係なのか?大文字君、移動しよう。高遠君、進展があったら、連絡してくれ。」

「了解しました。」と、高遠は応えた。

向かいのビルなので、少し歩くと、警察の待機場所だった。伝子は急いでいたので、出版社の裏口から入ったので気づかなかった。

「どうかね?」と管理官は久保田刑事や愛宕に言った。

近寄って来た男がいた。「柴田が担当か。実はな。」とかいつまんで久保田管理官は柴田管理官に言った。

「ふうん、君が、かの有名な『ワンダーウーマン』か。この際、警察にリクルートしないかね?」「いつも誘っているんだが、つれなくてねえ。」と二人で何故か笑った。

「で、状況は?」と、久保田管理官は柴田管理官に言った。

「犯人は3人。あのビルのフィットネスクラブの元インストラクターとかトレーナーとか。で、要求は社長に会ってから話すから連れてこい、と。昨日の時点では社長はグアムに行っていた。まだ小1時間はかかるかな、到着まで。」

その時、高遠から伝子のスマホに電話が入った。伝子はテレビ電話に切り替えた。

「副編集長が思い出しました。編集長は、そのフィットネスクラブの会員だそうです。」「詰まり、大文字君のところから帰社せず、フィットネスクラブに行き、事件に巻き込まれた、か?ますます誘拐事件から遠くなったな。」

「管理官。我々はどうしましょう?」と高遠の横から葵が尋ねた。「そうだな。鑑識は作業終わり次第、撤収。逆探知班は、午前零時を過ぎても犯人から連絡無かったら、一旦撤収だ。」

久保田管理官と柴田管理官はビルの見取り図を睨み、部下に何やら指示していた。

1時間後。社長が到着した。「あれ?高島じゃないか。」と伝子がその社長に声をかけた。その声に反応して高遠が振り返った。「え?あのフィットネスの社長って、高島さんですか?」

「何だ、知り合い、大文字君。」と久保田管理官が言った。「大学の翻訳部の1年後輩です。」「大学の翻訳部の2年先輩です。」と、伝子と高遠が口々に言った。

「それなら、話が早い。お前が私の夫達にパワハラしたことは水に流してやる。その代わり、私の台本通りに動け。学。書くものあるか?あ、いないんだった。」

「先輩。私のものを使ってください。」と、みちるがペンとメモ帳を差し出した。

伝子は数分で書いた。「いいか。高島。彼らを説得出来るのは、社長であるお前しかいない。ベースアップを約束し、グアム旅行に勝手に言ったことを詫びた後、『リンゴなんか嫌いだ。特に津軽は。』を2回、大きな声で言うんだ。後はアドリブでご機嫌取りだ。」

「遅くなりました。管理官。ビルの非常口の鍵を預かってきました。」「うむ。この非常用脱出シューターは使えるな。」「はい。下に部下を配備させました。あのー、大文字先輩と私が突入でよろしいんですね。」

「言われなくても、その積もりだ。」と、伝子が言うや否や、あつこは伝子の頭にヘルメットを被せた。すぐにあつこは伝子を後部座席に乗せ、バイクを走らせた。

「あうんの呼吸とは、このことか。大文字伝子がワンダーウーマンなら、渡辺警部はスーパーガール?」と、柴田管理官が真面目な顔で言った。

高遠が、「後で言っておきます、妻に。」というと、「え?君の奥さんなの?大変だねえ。」「はい。大変です。」と高遠は応えた。

5分後。久保田管理官のキューで、高島は説得し始めた。

「町田君。大島君。高木君。君たちを解雇したのは、私の大きな間違いだった。手違いとは言え、退職金を受け取っていないのは、私の管理ミスだ。君たちは私の大事なパートナーだった筈なのに、血迷ってしまった。グアムでは何故か日本のリンゴがデザートに出てきてね。私はリンゴが苦手だ。特に、津軽なんて食えたもんじゃない。何で、みんなあんなものを美味しい美味しいってくのか、気が知れない。リンゴなんてもう食いたくない。特に、津軽はな。利用者の皆さんは、取りあえず解放して貰えないかな?無理かな?」

立てこもり犯は、電話を指したようだった。高島は、メガホンを外して、柴田が差し出した、ウォーキートーキーに向かって、話し出した。

「うん。反省している。退職金は払う。割り増しで。裁判になったら、『嘆願書』を出す。だから、自暴自棄にならないでくれ。君たちはまだ若い。まだ可能性があるんだ。」

高島の説得が続く中、非常階段から非常口に侵入した伝子とあつこは、少しずつ移動してきた編集長たちと遭遇。すぐに、非常口(脱出口)を解放して、脱出シューターをセット、一人ずつ階下へ下ろした。そして、二人も飛び降りた。

立てこもり犯は、投降した。正面玄関から出た彼らを警察官が取り囲み、連行して行った。数分後、あつこの元部下の白バイ隊隊員二人が、人質達を誘導して出てきた。最後尾に愛宕とみちるが続いた。

マスコミが、人質達に近づこうとしたのを柴田管理官が阻止、久保田管理官は、マスコミの緊急記者会見に応じた。「あそこにいる二人が突入班の愛宕刑事と白藤刑事です。勇敢な二人を讃えてやってください。」途端に、マスコミは二人に質問を嵐のごとくぶつけた。愛宕やみちるは適当にあしらった。

「な!帰らなくて正解だったろ?」と、まだ帰っていなかった井関が部下に言った。部下達は頷いた。

バイクで遠回りして戻って来た、あつこと伝子に「お疲れ様。」と高遠は声をかけた。

「あ、高島は?」「柴田班の警察官が連れて行きました。参考人ですからね。」

「じゃ、帰るか。」「先輩、送らなくて大丈夫ですか?」「こっちのビルの裏手にある駐車場に車を止めてあるから。」

車の所に行くと、編集長と副編集長が頭を下げた。「いいよ、もう。警察は?逆探知班の?」

「さっき帰りました。」と、副編集長と高遠が応えた。

「よく分かってくれましたね、編集長。」「勿論よ、大文字くうん。おかまは勘がいいのよ。私が津軽大好きなのを知っているから、逆のこと言うことで、助けに来てくれることを知らせたんでしょ。すぐに他の人質にも話してたから、助けに来てくれた時、迅速に動けたわ。」「で、少しは痩せたんですか?」「それ、私に聞く?残酷ねえ。とにかく、原稿も救助もありがとう。」

翌日。伝子のマンション。物部と逢坂、依田、福本、それに愛宕夫婦が来ていた。

「今日は臨時休業だ。ブランチ持って来てやったぞ。スパゲッティとサンドイッチだ。愛宕氏から事情は聞いた。何でこの二人が?と思っていたら、やっぱり大文字だったか。久保田刑事の奢りらしいぞ。」と物部が言った。

「今回は巻き込んでしまったから、と珍しく久保田先輩のポケットマネーで。」

「ふうん。あ、そうだ。日取りはまだだが、あつこに確認したら、是非ヨーダに結婚式のMCやって欲しいってさ。」

「うーん、結局そうなるかあ。」と依田言うと、高遠が

「MCと言えばヨーダでしょう。」といい、伝子も

「MCと言えばヨーダでしょう。」福本も

「MCと言えばヨーダでしょう。」と続けた。

栞とみちるがケラケラ笑い出し、栞が「何それ?流行ってんの?」と尋ねた。

「何年経っても、『お惚け3人組』・・・待てよ?高島、変なこと言ってたな。『リンゴのふじが嫌い』?」と物部が伝子に尋ねた。「津軽だよ。」

「暗号ですよ、副部長。人質の一人の編集長の『大好物』です。」と高遠が解説した。

「あの時、咄嗟に思いついた。現役の頃と違い、大人しかった。尤も。パワハラのことは後で知ったからな。信用なんかしていない。『水に流す』なんて言ったけど、許す訳がない。」

「そう言えば、パワハラのこと詳しく聞いた事無かったな。俺たちがいる頃はおとなしかったのに。」

「俺から説明しますよ。副部長。高遠は難解な翻訳を時間指定されて、やらされました。今で言う『無理ゲー』ですよ。依田はかなり遠い所までタバコ買いに行かされました。品切れしていたら、別のタバコ屋探してまで行かなきゃならなかった。」

「で、福本は?」「俺は芝居に興味持ち出していて、演劇できる大学の転入試験受けるか劇団に入るか迷っていました。それを嗅ぎつけた奴らは『いつ辞めるの?』って毎日聞きに来るんです。結局、劇団に入団しましたけどね。」と、福本は吐き捨てるように言った。

「多分、私たちが卒業して天下取った気分になったのね。福本君達の方が、部活歴長いのに、上級生だからって。まるで体育会系クラブみたいだわ。」

「そんな高島が元従業員にちゃんと支払うかな?」と物部が首を傾げると、伝子が「一度締めるか。」と言った。皆が笑った時、愛宕のスマホが鳴った。

暫く聞いていた愛宕が電話を切って、報告した。

「先輩。編集長が発起人になって、あの会社社長に賠償請求するそうです。それと、建立てこもり犯の3人の『嘆願書』を出すキャンペーンをするそうです。」

今度は、伝子のスマホが鳴った。「うん。今聞いた。『千人針』が必要なら、いつでも協力しますよ。次の仕事?後でPC開いて確認しておきます。はい。はい。」

電話を切った伝子は、「愛宕の言った通りだった。オカマでもやる時はやるのよ!だって。全く珍しいよな、今時自分から『オカマ』って言うのは。」

「近頃は『ジェンダー』だとか『LBGT』とか言いますからね。でも、案外ご当人たちよりマスコミがうるさいんだとか。」と高遠が続けた。

南原兄妹がやって来た。「先輩見ましたよー。犯人が投降した時、人質解放していたのは、先輩の活躍でしょう?愛宕さん夫妻じゃないでしょう?」と、南原が言った。

「お前、今日学校は?」「今日は土曜日でしょ。」「やっぱり、お兄ちゃんの言った通りだったね。」

「行きがかりでな。」「南原さん、あの人質の中に、私や伝子さんの世話になっている出版社の編集長がいたんですよ。」と高遠が解説した。

「あの社長、締めてやろうか?って冗談言っていたところだよ。」と、苦笑いして伝子が言ったら、

「ヌンチャクで?」と依田が言った。

「三節棍だろ?」と福本が言った。

「棒術も使えるんでしたっけ?」と南原が言った。

「やっぱり一本背負いとか。」と愛宕が言った。

「いえいえ。巴投げよ。あつこから聞いたけど、凄く決まったらしいわよ。」と、みちるが言った。

「いやいや、諸君。甘いな。大文字なら『デコピン』で額を陥没させるさ。」と、物部が言った。

「みんな、悪乗りしすぎ!」と栞が締めた。

―完―



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