始末屋繁盛記:the 3rd
大竹久和
プロローグ
プロローグ
それはヨーロッパの民間伝承によれば魔女や悪魔が跋扈する時間帯とも言われる、午前三時頃の事であった。月明かりも届かぬほどの重く分厚い雨雲に覆われた夜空からは滂沱の雨が降り注ぎ、絶え間無い落雷が大気を焼き焦がしつつ、奈落の底の様に真っ黒い海水で満たされた大海原はこの世の終わりもかくやと言うほどの
「!」
嵐の中を航行するコンテナ船の甲板上で、船長を務める乗務員の最後の一人が三叉の矛の切っ先でもって喉笛を刺し貫かれると、悲鳴を上げる間も無くその場に崩れ落ちて息絶える。
「■■! ■■■■■■■■!」
すると船長を刺し殺した三叉の矛の使い手が、背後に控えていたおよそ十人ばかりの彼の手下達に、人類には聞き取れないような不思議な言語でもって指示を下した。指示を下された手下達は三々五々に散らばりつつも、雨に濡れた甲板上を此処彼処へと行き交いながら、積載された数多のコンテナの中から目当ての一つを探し出そうと奔走する。
「■■■■! ■■■■■■■■■、■■■■■!」
やがて奔走していた一人の男がそう言って、コンテナ船に積載されたコンテナの一つを指差しながら、彼らのリーダーである三叉の矛の使い手の名を呼んだ。そして三叉の矛の使い手は他の手下達を背後に従えたまま指差されたコンテナに歩み寄り、そのコンテナに印字されたISO番号、つまり英字四字の所有者コードと数字六桁のシリアルナンバーを確認してから新たな指示を下す。
「■■! ■■■!」
新たな指示を下された三叉の矛の使い手の手下の一人はロックを解除し、ハンドルに手を掛けると、重く頑丈なコンテナの扉をゆっくりと引き開けた。
「?」
しかしながらコンテナの中は真っ暗で、扉を引き開けた男の魚眼では、その中身を検める事が出来ない。そこで三叉の矛の使い手の手下であるその男がコンテナの中へと足を踏み入れた次の瞬間、彼の脳天が手斧の切っ先によって左右真っ二つに叩き割られ、先程の船長と同じく悲鳴を上げる間も無く息絶える。
「■■■!」
眼の前で手下を殺された三叉の矛の使い手がそう言って、その三叉の矛を素早く構え直しながら、やはり人類には聞き取れないような不思議な言語でもって問い掛けた。すると真っ暗なコンテナの中から身長が優に2mを超える浅黒い肌の大女が姿を現し、逆に問い返す。
「そう言う貴様らこそ、誰だ?」
コンテナの中から姿を現すなりそう言って問い返した浅黒い肌の大女こそ、黒光りする革手袋と革靴を履き、真っ赤なネクタイを締め、黒い三つ揃えのスーツの上から駱駝色のトレンチコートを羽織った始末屋であった。そして始末屋は、彼女の足元に転がっている脳天を叩き割られた男の死体から手斧を回収すると、それを構え直しながら三叉の矛の使い手を睨み据える。
「もう一度だけ問おう。貴様らは、誰だ?」
「……手斧を振るい、トレンチコートを身に纏った褐色の肌の大女……さてはお前、噂に名高い『
するとコンテナ船の船長を刺し殺した三叉の矛の使い手が、今度は普通の人類にも充分に聞き取れるような平易な言語でもってそう言って、彼に手斧の切っ先を向ける始末屋の正体を改めて看破した。
「ほう? 貴様のその口ぶりからすると、どうやらあたしの名声は、貴様ら
手斧を構えながらそう言った始末屋の言葉通り、彼女をぐるりと取り囲む三叉の矛の使い手とその手下達は、魚類から進化した亜人の一種である
「それで、その始末屋が、何故コンテナの中に居る? 本来ならばこのコンテナの中に有るべきだった荷物は、どこに消えた?」
「コンテナの中に有るべきだった荷物? ああ、貴様が探しているその荷物とやらは、これの事だな?」
始末屋は雨に濡れながらそう言って、手斧を握る右手とは逆の左手を、三叉の矛を構える
「あたしはこのアタッシュケースとその中身を、モナコ公国で待つ依頼主の元まで届けるよう依頼された。そしてまた同時に、もし仮にこのアタッシュケースとその中身を奪い取らんとする者が現れた場合には、如何なる手段を講じてでもこれを退けよとも依頼されている」
「成程。つまり始末屋、残念ながらお前と俺様は、決して相容れる事の無い敵同士と言う訳だな」
「俺様は
「あたしの名は始末屋。それ以上でも、それ以下でもない」
そう言って啖呵を切り合ったエノシガイオスと始末屋、そしておよそ十人ばかりのエノシガイオスの手下の
「■■!」
やがて沈黙を打ち破るような格好でもって、死と殺害を意味する罵声と共に最初に動いたのは、エノシガイオスの手下の名も無き
「遅い!」
そう言った始末屋は素早く身を翻し、名も無き
「■■! ■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■!」
するとそう言ったエノシガイオスの号令に従い、彼の手下である
「ふん!」
しかしながら百戦錬磨の
「ぎゃあっ!」
「ひいっ!」
季節外れの雷雨と高波に翻弄されるコンテナ船の甲板上で、始末屋が手斧を振るう度に断末魔の叫びを上げながら、およそ十人ばかりの
「さあ、エノシガイオスとやらよ、残るは貴様だけだぞ?」
気付けばそう言った始末屋の言葉通り、無慈悲な彼女の手によって鏖殺の憂き目に遭った
「おのれ! おのれ! おのれ! おのれ始末屋め! 志半ばで倒れた我が手下どもに成り代わり、今ここで、必ずやこの俺様がお前を亡き者にしてくれようぞ! 覚悟するがいい!」
「ふん、生臭い腐り掛けの
「抜かせ!」
怒り心頭のエノシガイオスはそう言って、魚類の特徴を色濃く残すその顔に憤怒の形相を浮かべながら跳躍し、
「始末屋よ、死ね!」
しかしながらそう言って突き掛かったエノシガイオスが始末屋の喉笛を刺し貫くより一瞬早く、彼女は手斧の斧腹でもって三叉の矛トリアイナの切っ先を弾いて受け流すと、眼の前の獲物との距離を一気に詰めて反撃に転じる。
「死ぬのは貴様だ、この
一切呼吸を乱す事無く、冷静沈着を旨としながらそう言った始末屋が振るう手斧の切っ先が、怒りに我を忘れたエノシガイオスの頭部を上下真っ二つに叩き割った。
「ぷお」
叩き割られた頭部の断面から真っ赤な鮮血と共に薄灰色の脳髄を露出させ、ぱくぱくと開閉する
「……」
彼らのリーダーであったエノシガイオスがコンテナ船の甲板上に力無く崩れ落ち、全ての
「……おい……始末屋よ……」
すると頭部を上下真っ二つに叩き割られ、呆気無く絶命したかと思われていたエノシガイオスがそう言って、蚊の鳴くようなか細い声でもって始末屋の名を呼んだ。
「なんだ貴様、未だ生きていたのか」
そう言った始末屋の言葉通り、甲板上に大の字になって転がるエノシガイオスは致命傷を負いながらも即死はしておらず、その喉元の
「……始末屋よ……これで勝ったと思うなよ……」
「この期に及んで負け惜しみとは見苦しいぞ、この
今まさに死なんとするエノシガイオスを見下ろしながらそう言った始末屋に、頭の上半分が無くなった
「……この船の乗務員は……全員殺しておいた……もはやお前一人だけの手で……港まで航行する事は出来ないだろう……それに船の各所には……俺様の忠実なる手下どもの手によって……時限爆弾が仕掛けられている……お前は俺様と共に……この船を棺桶にしながら……死ぬ……のだ……」
まるで捨て台詞を残すような格好でもってそう言ったエノシガイオスは、硬い
「まったく、面倒臭い事をしてくれる」
文字通り如何にも面倒臭そうな表情と口調でもってそう言った始末屋は、エノシガイオスと彼の手下の
「ふん!」
雨に濡れる甲板上で大きく息を吸い込み、アタッシュケースを胸に抱えた始末屋は転落防止用の柵を乗り越え、一切躊躇する事無く夜の海へと飛び込んだ。どぼんと言う大きな水音と水飛沫を伴いながら、およそ20mの高さから垂直落下した彼女の身体が海中に消え失せたかと思えば、やがて地球の重力とは反対の方向に働く浮力に従って海面へと浮かび上がる。
「ぷはっ!」
海面へと浮かび上がった始末屋は、ジュラルミン製のアタッシュケースを胸に抱えたまま必死に水を掻き、可能な限りコンテナ船から遠ざかろうと嵐の海を泳ぎ始めた。高波が荒れ狂う嵐の海は只でさえ泳ぎ難いと言うのに、水を吸った三つ揃えのスーツとトレンチコートに身を包んでいては満足に手足を動かす事も出来ず、その困難さは殊更である。そして水の抵抗に抗いながらようやく充分な距離を確保したところで、遂に
「!」
しかしながら仕掛けられていた時限爆弾の数と威力は始末屋の想定を超えており、コンテナ船が跡形も無く吹き飛んだかと思えば、凄まじいまでの爆風と爆炎が高熱を伴った衝撃波となって周囲一帯の海と空を焼き焦がす。
「……」
核爆発もかくやと言うほどの衝撃波に翻弄されながら、始末屋は静かに、暗く冷たい海の底へとその姿を消した。滂沱の雨と絶え間無い落雷に晒された地中海沖の大海原は、いつまでも荒れ狂い続けるばかりである。
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