ヒナ鳥が巣立つとき5

「ん? もう朝?」

 高乃さんが目を覚ましたようだ。私は布団の中で丸くなったまま動けない。高乃さんは体を起こしながら布団をめくった。

「おは、よ? え、な、なんで泣いてるの?」

 顔を隠して嗚咽を堪える私を高乃さんが覗き込む。

「な、泣いてません」

「いやいや、泣いてるじゃん。どうしたの?」

「なんでも、ありません」

「なんでもないのに泣かないでしょう?」

 高乃さんは、少し強引に私の体を引き上げる。そして、両手で私の頬を押さえて私の目をじっと見た。高乃さんの顔を見たら、余計に涙がこぼれ落ちてしまう。

「高乃さんは、私のこと嫌いになったんですか?」

 嗚咽を堪えて私は聞く。

「は?」

「どうしたら、好きになってもらえますか?」

「ちょっと待って、どうして突然そんなことになってるの?」

「甘えてばっかりだったから、高乃さん、私のことがイヤになったんですよね」

「イヤになんてなってないよ」

「だって、高乃さん、ヒナ鳥が、巣立ってほしいって……言って……」

 言葉にすると、さらに悲しくなってきた。もう嗚咽が堪えられない。ウッグ、ウッグと息を詰まらせると、高乃さんは私を抱きしめてゆっくりと背中をさすってくれた。

「途中で寝ちゃって、最後までちゃんと聞いてなかったな」

 高乃さんは少し笑いを含んだようなやさしい声で言う。そして、私の耳元でささやいた。

「私は久遠さんが好きだよ。久遠さんを手放すつもりなんて、まったくないから」

「本当に?」

「うん、本当。不安にさせてごめんね」

 その言葉を聞いたら、今度はホッとして力が抜けてしまった。高乃さんは、私をなだめるようにポンポンと背中を軽く叩いく。ようやく落ち着いた私は、涙の跡を拭きながら高乃さんから体を離した。

「だったら、巣立つって、どういう意味なんですか?」

「んー、ヒナ鳥みたいに、私に従って後ろを付いてくるんじゃなくて、ちゃんと自分の翼で羽ばたいてほしいなって。それで、その翼で私のところに飛んで来てほしい」

 私は首をひねる。結局、高乃さんの側にいるのなら、今と同じような気がする。高乃さんは何を望んでいるのだろう。

「久遠さんはちょっと私のことを過大評価しすぎだよ。私だって間違えるし、失敗だってする」

「そんなこと……」

「私は、久遠さんと対等でありたいと思ってる。年上だし、仕事では上司だけど、恋人としては対等でありたい」

 そんなのは無理だ。高乃さんと私が対等にできるなんて思えない。だって、高乃さんは、私なんかよりもずっと大人で、やさしくて、強くて、すごい人なんだから。

「どうしたらいいんですか? もっと仕事を頑張ればいいんですか?」

「んー、もっと精神的なことなんだけどね。だから、ゆっくりでいいよ」

「どうなったら、対等なんですか?」

「とりあえず敬語をやめるとか?」

 それは難しそうな気がしたけれど、がんばればできるかもしれない。

「わかりまし、わ、わかり……わかっ……た」

「ごめん、ちょっと冗談だった。敬語を止めるのはいいんだけど、無理しなくていいよ」

 高乃さんは笑いを堪えて言う。なんだか、ちょっと腹が立ったような気がする。

「そんな顔しないで。えっと、そうだね……。例えば、私が間違えたときに、それは違うって言えるようになることかな?」

「高乃さんが間違えることなんて……」

「あるよ。私だって間違える」

 高乃さんは笑みを浮かべていたけれど、その目は真剣だった。

「それに、今の久遠さんだと、私がしたいって言ったら、たとえイヤでも断れないでしょう? そんなの怖くて手が出せないじゃない」

 そう言うと、高乃さんは私の頭を撫でた。

「ちゃんと待ってるけど、できるだけ早く巣立って、私のところに飛んで来てね」

「どうすればいいのか教えてください」

「それは自分で考えなきゃ」

 仕事はいつも丁寧に教えてくれるのに、こんな大事なことを教えてくれないなんて、高乃さんは意地悪だ。

 私は、どうすればいいのだろう。

 今まで、人と対等であろうなんて考えたことはない。どうなったら対等なのかもわからない。高乃さんが出した宿題は難しすぎる。このままでは、いつまでも高乃さんを待たせてしまうことになってしまう。高乃さんがいつまで待っていてくれるかなんてわからないのだ。

 そのとき、脳に雷が落ちるような衝撃が走った。

「高乃さん、分かりました!」

「ん?」

「私、高乃さんが間違えるところなんて想像ができないです。高乃さんが好きだから、高乃さんを拒否することなんてできないと思います」

「……そっか」

「だったら、私から、したいって言えばいいんですよね?」

「へ?」

「私からしたいって言う分には問題ないんですよね?」

「えっと、いや、ちょっと論点がズレてるというか、その一点に限った話ではないとうか……」

 勢いに任せて高乃さんに迫ると、高乃さんは少し身を引いた。

「高乃さんのすることにイヤとは言えないかもしれないですけど、私から言うなら大丈夫ですよね?」

「なんだろう、久遠さんは突然振り切れるね」

 高乃さんは、両手を突き出して私を制しながら言った。

 そういえば、以前もこうしてキスを迫ったことがある。

「私、高乃さんとしたいです」

「えーっと、まだ朝だけど」

 高乃さんは苦笑いを浮かべている。

「高乃さんが好きだから、高乃さんとしたいです」

 すると、高乃さんは目を細めてやさしい笑顔を浮かべた。そして、両手を広げて「おいで」と言った。

 私は迷うことなく高乃さんの胸に飛び込む。

 高乃さんの出した宿題は、とても難しいと思ったけれど、答えは意外と簡単だったのかもしれない。そう思ったら、私の心は羽が生えたように軽くなった。



ヒナ鳥が巣立つとき  おわり


『ヒナ鳥が寝てる間に…』に続きます。

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