ヒナ鳥の育て方3
久遠さんに対して抱いてしまう苛立ちポイントは大体把握した。それの対処法も概ねできた。久遠さんに質問をするときは「はい」「いいえ」の質問ではなく三択にする。それなら、どれか自分の意思を示してくれる。
時間が経つにつれ、少しずつ久遠さんが変わってきたように見えた。私に対しては、おどおどしながらでも自分の気持ちを伝えようと努力してくれる。
だが、私以外に対しては、これまで通り「嫌」とは言えず、顔色を伺っていた。そう簡単に変えることはできないだろう。それまではできるだけフォローするようにするしかない。
私は、久遠さんのパソコンに貼られた付箋をチラリと見て、進捗状況をチェックする。かなり順調に進んでいるようだ。作業が早くなってきたようなので、もう少し仕事を任せてもいいかもしれない。
「久遠さん、今の作業が終わったら、昨日準備した資料をセッティングしてもらえる? ミーティングルームを使っていいから」
「はい、わかりました」
久遠さんは返事をすると付箋にメモを書きパソコンに張り付けた。そして、取り組んでいた作業が終わると、付箋を剥がしてノートに張り付ける。慣れてきたためか、ノートを書く時間も短くなっていた。
久遠さんが立ち上がり、空きデスクに積んである紙の束に手を掛けようとしたとき、城田くんが声を掛けてきた。最近、西島くんと城田くんが競うように久遠さんにちょっかいをかけている。
「大変そうだね、手伝うよ」
「あ、えっと……」
久遠さんは少し視線を下げて言葉を詰まらせた。観察の結果、久遠さんが間を置かず「はい」と返事をするときは、本当にそう思っているときだ。相手が喜ぶ返事が何かを考えるときは、少し視線が下がって彷徨う。
「ひとりでやるの大変だろ? 任せてよ」
城田くんは、良い人を装いながら、下心が空けて見える笑顔で言う。そして、声を潜めて続けた。
「こんな量を久遠さん一人にやらせるなんてひどいよね。自分でやれって言ってやりなよ」
私は気付かれないようにため息を付いた。城田くんは、目の前の久遠さんがあからさまに困った顔をしていることに気付かないのだろうか。
「城田くん」
私はパソコンを打つ手を止めて城田くんを見る。
「久遠さんを手伝おうという気持ちは有難いんだけど、自分の仕事を片付ける方が先じゃないの? 昨日頼んだ資料がまだ出ていないと思うんだけど」
すると、城田くんは悪びれる様子もなく笑顔で答える。
「分かってます。この手伝いが終わったらチャチャっとやりますから」
私は、あからさまに大きなため息を付いてみせる。
「あのね、久遠さんは城田くんの資料待ちなの。その資料がないと次の作業に入れないから、今、その作業をお願いしてるのね。わかる?」
「え? あ……」
城田くんは、私の顔と久遠さんの顔を交互に見て、顔を赤らめながら退散した。
その姿を見届けて仕事に戻ろうとすると、久遠さんは、私に小さく会釈をしてミーティングルームに入って行った。
その直後、「悪いな」という声が背後から聞こえた。同期の板垣くんだ。この部署の係長で、城田くんや西島くんの直属の上司にあたる。
「悪いと思うなら何とかしてよ」
私が言うと、板垣くんは久遠さんの席に座った。そして椅子を近づけて小声で話す。
「なんか、前の部署でもあの子を巡ってゴタゴタしたから異動になったらしいんだよ」
「何それ、あの子は巻き込まれてるだけじゃない」
そう言ってみたが、久遠さんにも原因があることは分かっている。久遠さんが嫌なものを嫌だと言えれば、回避できたこともあったはずだ。
「まあ、そうなんだけどな。どうしても若造どもが浮足立つらしい」
「それが分かってて、どうしてうちの部署に来たの? 浮足立ちやすそうな若造が多いのに」
「野郎どものことは、どこに行っても同じだろうって。だから、高乃の下に入れることにしたらしいぞ」
「は? どうして私?」
「あの田中さんの面倒を見てたことが評価されたんじゃないか」
私は心の中で「田中さん!」と叫ぶ。
「あの若造たちは、板垣くんの管轄でしょう」
「一応、それとなく注意はしてるんだけどな。だから、高乃は久遠さんのフォローをしてやってくれ」
「もうやってるわよ」
「そうだな。随分懐かれてるみたいじゃないか」
「そう?」
「母鳥の後をついて歩くヒナ鳥みたいだぞ」
板垣くんの言葉に反論しようと思ったが言葉が出てこない。すると、板垣くんはニヤッと笑って私の肩をポンポンと叩いた。
とりあえず、西島くんと城田くんの動向には一層注意をしておくようにしよう。
その翌日から、城田くんは仕事中に久遠さんにちょっかいを出すことは少なくなった。板垣くんに厳しく言われたのかもしれない。だが、その代わり、仕事終わりに食事に行こうと誘うようになった。それに対抗するように、西島くんも久遠さんを食事に誘い、二人の間に殺伐とした空気が流れはじめた。
心の中で、「板垣くん、悪化してるけど」と叫んでみる。
それでも最初のうちはまだよかった。「今度メシいこうよ」という誘い方だったからだ。だが、それでは埒が明かないと気付いたのか、西島くんと城田くんが「今日三人でメシでもどう?」と久遠さんを誘ったのだ。久遠さんは視線を下に彷徨わせながら「はい」と返事をした。それから何度か三人で食事に行ったようだ。
仕事中のことならば、口出しのしようもあるが、就業後のことに口出しするのは難しい。それでも、三人ならば、西島くんと城田くんが勝手にけん制し合っているだろうと見てみぬふりをしていた。だが、その均衡を西島くんが破った。
「久遠さん、今日暇? 仕事終わりに二人で食事でもどう?」
久遠さんはあからさまに俯いて視線を彷徨わせる。嫌ならば、ちゃんと自分の口で断ってほしい。私は願うような気持ちでその様子を見守る。
「イイ感じのレストラン見つけたんだよね。絶対気に入るから、行こうよ」
「あ……」
久遠さんが観念したように息を吸い込むのを見て、私は二人の会話に割って入った。
「西島くんゴメンね。久遠さんは今日、私と約束してるから」
「え? 高乃さんと?」
西島くんは眉を寄せて疑いの眼を私に向けた。
「ね、久遠さん、今日は私と食事に行くんだよね?」
そう聞くと、久遠さんは間髪を入れずに「はい」と返事をしてくれた。よかった。これで困ったように視線を下げられたらおおいに凹むところだった。
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