海のある街

高田 朔実

第1話

 海のある街に引っ越すなんて、簡単なことだった。

 私の住む県には、海もあって山もあったけど、当時中学生だった私はよく知らなくて、海はいつも、とても遠くの、なかなか行けないところのものだという気がしていた。地図帳をちょっときちんと見れば読み解けることだったけど、足りなかったのは注意力だったのか、それとも想像力だったのか。

 当時私が住んでいたのは、山間にある小さな町だった。今では市長村合併で市になっているらしい。最寄り駅までは車かバスで行くしかないようなところだ。あのころはたっぷり一時間はかかった気がするけれど、今では少しは道がよくなって、多少ましになっていると聞く。

 引っ越す前に、一度試しに、駅から家まで歩いてみたことがあった。あえて車の通らない道を選んだせいか、民家もほとんどなくて、誰ともすれ違わない道がずっと続いていて、こんなんじゃ誘拐されてもなんの手掛かりもないよなあ、などと思いながら怖々歩いた気億がある。当時私が住んでいたのは、そんな土地だった。

 狭いところが嫌いで、教科書の後ろのほうに載っていた釧路湿原などを見ると、いつも、ああいいなと思っていた。山に囲まれていない、広々としたところに住んでみたかった。本当に湿原のど真ん中に連れていかれたとしたら、食べるものもなくてとっても困ったと思うけど、そこは、都合のいい想像力しか働かない者の特権だった。

 授業中に、窓の外を眺めながら、なにか面白いことがやってこないかと思っていた。あの山の向こうになにがあるんだろうと思っていた。

 近くに山がなかったら、そんなことを考えたりすることはなかったのだろうか。そうだとすると、山のないところで育っていたら、私は今とはまるで違う人間になっていたのかもしれないと、思わなくもない。


 あの人のことを、私の半生の中でどう位置づければいいのか未だによくわからない。彼はある日突然やってきて、そうしてある日突然去って行った。

「海のある街で生まれたんだ」

 彼が「渚君」と呼ばれるようになったのは、よくそう言っていたからだと思う。

 自分がいつどんな場所で生まれたかなんて、私も含めて、みんな特に気にしていなかった。多かれ少なかれ「どっかの病院で生まれたんでしょう」程度の関心しかなかったと思う。小学生のときに授業でそんなことを調べたような気もするけど、計算ドリルや漢字の書き取りと大差ないただの宿題の一貫として行っていただけだし、自分の出生地にロマンを感じた子はほとんどいなかったに違いない。

「でも僕は、あんまり長いこと海といられなかった。だから、僕は、海の近くに住むのが夢なんだ」

 渚君には夢がたくさんあった。

 わけのわからない子ではあったけど、それでも、簡潔に言うと、魅力的な人だった。よくある、転校生にも関わらず、あっという間にずっと前からいたように、その場に馴染むような人だった。親の転勤に合わせて、日本のあらゆる地域で転校を繰り返していたせいなのか、彼にはもともとそういう旅人のような生活が合っていたのか。


 土曜日の朝、久々に早起きしたので、午前中から海に行ってみる。

 今私の住んでいるところは、海があって都心から比較的近いためか、観光客が多い。地元の人相手だけでは成り立ちにくそうな、派手な服や、海を思わせる雑貨を扱った店をちらほら目にする。

 引っ越してきたばかりの頃は物珍しくて、小さな雑貨を買っては、部屋に飾ったりしたものだった。最近ではそうやたらめったら買いはしないけど、休みの日は近所をうろうろしているだけで、つい時間が過ぎてしまう。

 以前遊びに来た友人が、「外国みたいな街だね」と言っていたことがあった。

「海に面してる地域って、海の向こうから何がやってくるかわかんないから、住んでる人も自然とオープンになっちゃうんだってさ。まあ、こんな広い海岸だったら、どんなに頑張ったって、船とかいっぱいきたら、防ぎようがないよね」

 本当かどうかわからないけど、世間話レベルではとりあえず相槌が打てるような話題に、ひとまず納得した。道沿いの店で買ったアイスを食べながら歩いていて、素材がいいせいか、想像以上の勢いで溶けていくアイスを口に運ぶのに必死になっていた。

 引っ越してきたばかりの頃は、ほぼ毎週のように海に来ていたけど、数年経った今では、明らかに来る頻度は減っている。家から歩いて十分弱、そんな微妙な距離にあると、いつでも行けるような気がしてしまう。慣れてくると、かえってなかなか足が向かない。

 砂浜の、ちょっと小高くなっているところに座ると、辺りがよく見渡せる。近頃暖かくなってきているせいか、サーファーが増えている。

 海から近すぎず離れすぎずのこの距離からは、波の大きさや、速さがよくわかる。

 波といえば、高校の物理だ。

 先生が、「波は、こういうものです」と言って、手首を鳥の首のように曲げて、教室の端から端まで歩いて、「波を体で表現するとこうなります」と実演していたことを思い出す。数式やグラフや、そういうものは一切合切記憶から抜け落ちているけど、先生の手と体の動きだけは、ずっと覚えている。

「へびのように、こう、くねくねするのではありませんよ」

 先生の言っていたことが、斜め横から見ると本当によくわかる。波は、平らな布の下に入れられた綿棒がすーっと移動しているような、そんな現象なのだった。

 まだ本格的なシーズンではないので、人の密度も適切だ。海に入るには寒そうだけど、浜辺で放心しているには、今くらいの季節が最適だ。

 特に縁がある町というわけではなかったが、何故かここにたどり着いてしまった。たまたま勤めることになった場所から一駅の町だった。風が強いだの、潮でいろいろなものがさびるだのと言われつつも、貸家だし、この際海の近くに住んでやろうと思い、決めたのだった。

 今私、海のある町に住んでるんだよ。うらやましい? 

 心の中で呟いてみる。

 私はなにがしたいのか。約束もしていないどうでもいいことを一人だけ勝手に覚えていて、「ほら、やったよ、どう?」と言うと、相手からは「まだそんなこと覚えてたの?」と呆れられる、今私がやっているのはそういう類のことだった。そんな自慢をしたい相手は、とっくの昔からずっと疎遠だというのに。私には昔からそういう傾向がある気がする。そうでもなければ、今ごろわざわざ海のある街に住んだりしない。


 そのとき私は中学二年生で、翌日が提出期限の美術の課題が仕上がらず、居残りをしていた。

 残業が嫌いな先生は、しぶしぶ美術室を空けていた。もっとも当時の私たちに定時や残業などという概念はなく、先生の給与は残業代込みで支払われているなんてことも知らなかったから、先生、いやに不機嫌だなと、軽く思っていただけだった。

 そんな先生に気を使う生徒なんていなくて、他の残っている生徒たちも、特に真剣に取り組んでいる様子はない。いつもの授業の延長のような雰囲気でわいわいやっているので、先生は「たまったもんじゃないわ」とばかりにふてくされている。

 なんであの日に限って、私たちは居残ってまで美術の課題を仕上げていたのか。理由はよく覚えていないけど、確かそのときの課題は木彫りだった。絵のように、適当に絵筆を動かしていればひとまずは成績がつくものと違って、木彫りは慣れてくるまでなかなか時間がかかる。自分の能力を過大評価していた人が多かったのか、当初掘りたかったものが、輪郭すら掘れないまま終わってしまいそうな子が多くて、先生もしぶしぶ、提出までの最後の一週間は、毎日放課後四時半まで美術室を開放する、と宣言したのだった。


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