奴隷の女剣士、帝国の皇子に求婚される

亜逸

第1話 奴隷の女剣士

 大陸屈指の国力を誇るラグエラ帝国。

 その首都にある闘技場で、一人の少女が熱狂の渦を巻き起こしていた。


「イサラが出てきたぞ!」


「今日も儲けさせてくれよ!」


「俺が身請けしてやろうか!?」


 観客席から届く品のない声援を一身に受ける少女――イサラは、奴隷用の麻服という見窄みすぼらしい格好すらも絵になるほどの美少女だった。


 肩には届かない銀色の髪に、静謐とした碧い瞳が、神聖さにも似た雰囲気を醸し出しており、彼女がこの血腥ちなまぐさい闘技場にいること自体が奇跡に見えるほどだった。


 一八歳という年齢相応に成長した果実は、麻服の表面に豊か起伏を生んでおり、品のない声援の中には、彼女の神聖さを穢したいという欲を吐き出したものもチラホラと混じっていた。


 およそ闘技場という場に似つかわしくない少女。

 そんな彼女と青空の下、円形の舞台の上で対峙しているのは、闘技場という場に似つかわしすぎるほどに似つかわしい強面の巨漢だった。

 そして、イサラと同じく奴隷用の麻服に身を包んでいた。


 う。

 この闘技場では、奴隷の闘士――闘奴とうどの殺し合いという娯楽を帝国民に提供していた。

 先の歓声からもわかるとおり、死合の際は賭けが行なわれており、今日も今日とて観客席を満杯にした帝国民が、闘奴の生き死に一喜一憂していた。


「グラド! 小娘なんかに負けんじゃねえぞ!」


「もうイサラに勝てそうなのはお前にしかいないんだ! 頼むぞ!」


「その女の澄ましたツラ、グチャグチャにしてやれ!」


 例によって品のない声援に応えるように、巨漢――グラドはその手に持っていたハルバードを頭の上で風車のようにぶん回す。

 サービス精神旺盛なグラドにさらなる声援が届くも、それでもイサラに届く声援に比べたら、数も熱も露骨に乏しかった。


 それが不満だったのか、グラドはつまらなさげに一つ息をつき、斧槍をぶん回すのをやめる。


「女ってのは楽でいいな。ただ突っ立ってるだけで人気者になれんだからよ」


 それは、先程からただ静かに佇んでいるだけのイサラへの皮肉だった。


「あなたが思っているほど、楽でもありませんけどね」


 突き放すような冷たい物言いで、イサラ。

 もっとも、無視しても問題ないような言葉に律儀に答えているあたり、物言いほど冷たい人間ではないのかもしれないが。


「楽じゃねえなら、さっさとやめちまうことをオススメするがな」


 凄腕とはいえ少女と殺し合うことに思うところがあるのか、グラドが迂遠な慈悲を見せてくる。

 だからか、イサラは誠意を見せるように、死合をやめられない理由を添えてグラドに返した。


「私と妹を買えるだけのお金が集まったら、すぐにでも」

「はんッ。自力で稼いで、自力で奴隷をやめようってわけか。てめぇくらいの器量よしなら、オマケ付きだろうが身請け先はり取り見取りだろうに」

「そうでもありませんよ。頭に『まともな』がついた身請け先を、いまだかつて一度も見かけたことがない程度には」


 グラドは、どこか同情するように「あぁ……」と得心した声を漏らす。

 それを機に、しばしの間二人は押し黙るも、


「……俺も、自分で自分を買おうってクチでな。だからっつうわけではねえが、恨みっこなしで頼むぜ」

「ご心配なく。殺した相手を恨む趣味はありませんから」


 応じながら、イサラは腰に下げていた剣をゆっくりと引き抜く。

 闘技場に出場する男の闘奴が使っている物よりも、やや細身の長剣だった。


「はんッ。ぬかせ」


 グラドも、応じながら斧槍を構える。


 死合のルールは一つ。

 対戦相手を殺した者が勝者。

 それだけだ。


 仮に対戦相手が戦闘不能になるほどの傷を負ったとしても、命を絶たれない限りは負けにはならない。

 ひいては、相手の命を絶たない限りは絶対に勝者にはなれない。

 相手が戦えない状態だからといって、勝手に死合をやめることは許されない。

 相手の助命を請おうものなら、観客席のそこかしこに配置された弓兵によって、諸共射殺されることになるだろう。


 だからこそ、イサラもグラドも相手を殺すことに躊躇いはなく、殺されたとしても相手を恨むような真似は絶対にしない。

 自分たちの立っている場所が、そういう地獄であることを、骨身に染みてわかっているから。


 やがて、観客席の熱狂が少しずつ鎮まり……水を打ったような静寂が、闘技場に充ち満ちる。


 イサラとグラドは、この闘技場において死合数が一、二を争う歴戦の闘奴。

 今こうして生きていることからもわかるとおり、互いに無敗であることは言に及ばない。

 二人の強者が織り成す緊張感は、観客席を満たす五万超の帝国民を黙らせて余りあるものだった。


 観客席の一角、死合の進行を務める役人たちが集う席で、手旗を持った兵士が、闘技場の外縁部に設けられた鐘楼に向かって合図を送る。

 合図を確認した鐘楼の兵士が、死合開始の鐘を鳴らした瞬間、


 グラドは地を砕かんばかりの激烈な踏み込みで突貫した。


 開始と同時に仕掛けるグラドの勇猛さに、静寂に満たされていた観客席が一転して熱狂に包まれる。

 そんな熱とは対照的に、イサラはあくまでも静かにグラドを迎え撃つ。


 次の瞬間、


 熱狂に後押しされたかのように、グラドは大地を割らんばかりの勢いで斧槍を振り下ろした。


 成人男性すらも一閃のもとに両断する豪撃を前に、イサラは半身になることで紙一重で回避する。と同時に、豪撃直後の隙を狙おうとするも、地面を捉えるはずだった斧槍がこちらに向かって斧刃を返すのが見えた瞬間、一も二もなくグラドから飛び離れた。

 半瞬後、振り下ろしからはすの斬り上げに変化した斧槍が、イサラのいなくなった空間を豪快に薙いだ。


 その風圧で髪をなびかせながらもイサラが着地する中、グラドはすぐさま地を蹴って肉薄。

 間合いに入るや否や、斧槍にあるまじき速度で次々と豪撃を繰り出し、一方的に攻め立てた。


「いいぞぉ! グラドォ!」


「おいおい、イサラ! 手も足も出ねえじゃねえか!」


「小娘がグラドに勝とうなんざ、一〇年早かったんだよ!」


 歓声と野次が飛び交う中、荒れ狂う嵐にも似た斧槍の連撃を、イサラは身のこなし一つでかわし続けてみせる。

 かわして、かわして、かわし続け……いよいよ異常に気づき始めた観客たちが、徐々に静まり返っていく。


 当たらないのだ。

 間合いに入ったが最後、一〇秒と経たずに対戦相手を屠ってきた嵐の如き連撃が、イサラにはかすりもしないのだ。


 一八歳の小娘が、闘技場で勝ち続けてこれたことには、当然理由がある。

 その理由が、未来が視えるとまで噂されているだった。


 いくらなんでも、それは誇張がすぎる。

 格下ばかり相手をしていたから、そういう風に見えていただけだ。

 観客たちの多くが、そう思っていた。

 少なくとも、グラド相手には十全に機能しないというのが大方の予想だった。


 だが蓋を開けてみれば、嵐のように荒れ狂う斧槍が全く当たらない。

 グラドの連撃が素人目でもその凄まじさが伝わりやすい分、観客たちの受けた衝撃はなおさら大きかった。


「クソが! 言うだけはありやがる!」


 悪態をつきながらも、グラドは斧槍を振り下ろし、横に薙ぎ、斜に斬り上げ、刺突を放ち、なおも攻め立てる。

 そのことごとくを、イサラは紙一重でかわし続ける。

 グラドをパートナーに、舞を舞っているかのような優雅さで。


 舞の美しさに魅入られたのか、静まり返っていた観客席から、少しずつ少しずつ熱狂の声が上がり始める。

 やがては巨大な渦となり、今日一番の熱が闘技場を震わせた。


「やっぱりイサラは最高だッ!!」


「おいおいどうしたグラドッ!? そんなんじゃイサラには一生当たんねえぞッ!?」


「はははッ!! 今日も儲けさせてもらえそうだッ!!」


 そんな声援を受けながらも、イサラは眉一つ動かすことなく、嵐の如き連撃をかわし続ける。


 一方のグラドは、このままでは埒が明かないと思ったのか、イサラの足元を狙うように見せかけて、斧槍を地面に突き刺し、


「少し汚くいかせてもらうぜ!」


 そのまま思い切り振り上げて、イサラに向かって土砂を浴びせかけた――かに思われたが、


「ちぃ……!」


 グラドは舌打ちしながらも、すぐさま視線を上に向ける。

 地面に突き刺した斧槍を振り上げる直前、イサラは斧刃に足をかけ、グラドが振り上げるのに合わせて頭上へと飛び上がったのだ。


 その動きに即応しておとがいを上げたのは、さすがの一言に尽きるが、だからこそグラドは文字どおりの意味で致命的な失策を犯してしまう。


「!?」


 太陽の光が、グラドの視界を真っ白に塗り潰した。

 攻撃を当てることに躍起になるあまり、太陽の位置が自分たちの直上まで来ていたことに気づかなかったのだ。


 視界を潰され、完全にこちらを見失っている相手の背後に、イサラは音もなく降り立つ。


 そして、


 この死合、イサラが初めて見せた一閃が、グラドの首を宙に舞わせた。

 視覚的には残酷だが、相手を苦しませずに殺すという点においては慈悲すら感じさせる、そんな一閃だった。


 グラドの首がゴトリと地面に落ち、遅れて、切断面から噴水のように血を撒き散らしながら胴体が仰臥する。

 血を見たいがために集まっていた観客の狂喜が、天に衝き上がる。


「勝者ッ!! イサラッ!!」


 死合の進行を務める役人が、勝ち名乗りを上げ、最大級の熱狂が巻き起こる。


 その渦中にいる少女は剣を鞘に収めると、勝利の高揚など微塵も感じさせない面持ちで天を仰ぐ。

 まるで、今この手で殺した相手を悼むような、そんな佇まいだった。

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