26.見れなかった三枚目のカード

 締め切りには余裕をもって間に合わせることができた。

 僕はどうやら速筆の方なので、編集の鈴木さんもそれに合わせて締め切りを設定している節がある。

 今回は上下巻二冊分の原稿だったので大変だったが、なんとかやり遂げた。


 ゲラが送られて来ると、僕は羞恥に両手で顔を覆う。

 自分では気付かなかった誤字脱字や足りない文字、多すぎる文字が修正されていて、文章表現のおかしいところもチェックが入っている。

 それを訂正して送り返して、僕の仕事はほぼ終わりなのだが、今回は番外編の執筆もあった。


 靴が大好きな百足の妖怪の女の子と、彼女に恋する十一歳の小学生の男の子の物語。

 脇役としてこの妖怪の女の子は大事な場面で出てきている。

 恩返しが終わったと思って山に帰った女の子の正体を板前さんに伝えて、追いかけるように発破をかけるのだ。


 そういう重要な脇役だったからこそ番外編で書いたのだが、それを鈴木さんにみせると絶賛だった。


『こういう小さな恋もいいですね。男の子がフェラガモをカモ、ルブタンをブタに間違えるのが最高に可愛いです』


 そのネタに関しては寛のお店に来ていた百足の妖怪の女の子から取った実話なのだが、それはそれでいいことにする。

 やはり小説のネタとしてはリアリティがあるものが面白いのだ。


 番外編まで全部出来上がって、僕はサイン会に行く準備を始めた。

 サイン会は秋の中頃にある。

 板前さんと妖怪の女の子のロマンスの上下巻の発売日に行われるのだ。


「やっぱり、メープルシュガーがこんな厳つい男だったなんて、読者さんは幻滅してしまうかな」

「そんな読者は知るか。大事なのはかーくんの作品だろ?」


 俺にはよく分からんが。

 寛は寛なりに僕を励ましてくれている。

 寛に励まされて、僕はサイン会の前日を迎えた。


 サイン会の前日には新幹線で移動して、会場近くのホテルに行っておく。寛も仕事を休んでくれて、一緒に来てくれることになっていた。


「いつもすみません。ゆーちゃんを休ませてしまって」

「いいのよ。これでこの店も、メープルシュガー先生ご用達って宣伝できるかしら。サインも貰わなきゃ」


 お弁当を手渡してくれながら女将さんははしゃいでいるようだった。

 僕のサインでひとが来るとは思わないけれど、女将さんに頼まれたら書かないわけにはいかない。


「戻ったらサイン、書きます」

「お願いします。気を付けて行ってらっしゃい」


 お店のお弁当を持たせて送り出してくれる女将さんは、寛の母親よりもずっと母親のように見えた。

 お通夜で会った母親の印象が悪すぎるせいかもしれない。


 新幹線の席に座ると、寛の膝の上に不動明王が座って、その膝の上に猫又が乗って撫でられている。不動明王は怖い顔をしているのに、優しい手つきで猫又を撫でていて、猫又はうっとりと喉を鳴らしていた。


 前の座席についている小さなテーブルを出して、僕はタロットクロスを広げる。タロットクロスが大きいのではみ出てしまうが気にしない。

 タロットカードを落とさないように気を付けながらよく混ぜると、僕はスリーカードという過去、現在、未来を見るスプレッドで占うことにした。


 一枚目の過去のカードはワンドのクィーンの正位置だった。

 意味は、魅力。

 周囲が引き寄せられるという意味もある。


 『あなたの作品にたくさんのひとたちが魅了されて来たわ。それが売り上げとしてもはっきりと出ているでしょう?』と猫又の声が聞こえた。


「どうなんだ?」

「作品には魅了されてるみたいだけど」


 寛に聞かれて答えながら二枚目の現在のカードを捲る。

 ソードの十の正位置だ。

 意味は、岐路。

 自分の弱さや置かれた現状を受け入れて、次のステップに進むという暗示がある。


 『やっと自分のことを認めて、自分がメープルシュガーだと明かそうとしているのよね。とても勇気ある行為だわ』と猫又が言っている。


「僕が自分の弱さを認めて自分のことを明かそうとしているのはいい兆候だって出てるね」

「そうだろう。かーくんは大丈夫だよ」


 三枚目の未来のカードを見ようとしたとき、新幹線が揺れた。

 タロットクロスの端に置いていた三枚目のカードは床の上に落ちて、その上にばさばさとタロットカードの山も落ちて行って、三枚目のカードが何だったか分からなくなる。


「どうしよう、分からなくなっちゃった」

「心配することないよ。いい兆候だって出てたんだろ」

「それはそうだけど」


 三枚目のカードがどうだったのか。

 僕は気になっていた。


 新幹線の中でお弁当を食べる。

 今日のお弁当はカレイの唐揚げだ。サクサクに揚がったカレイは身もほろほろとしてとても美味しい。身までしっかりと味が付いていてご飯が進む。


「これは昨日から漬けてたの?」

「下味をつけることで美味くなるからな」


 カレイの唐揚げの美味しさに感動している僕に、寛は誇らし気な顔をしていた。


 新幹線が着くと、電車を乗り継いでホテルまで行く。この時点で僕は何がどうなっているか分からなかった。

 色んな電車の線があって、それが絡み合っていて、乗り換えに駅を移動しなければいけなくて、寛がいなければホテルまでは絶対に辿り着けなかっただろう。

 ホテルにチェックインして、ホッとしたところで寛が聞いてくる。


「晩ご飯はどうする?」

「コンビニで何か買えばよくない?」

「昼はしっかり食べてるし、それでいいか」


 コンビニに行くのにも僕は寛の後をついて行った。ホテルのすぐ近くにコンビニがあって、そこでおにぎりと唐揚げを買う。寛はサンドイッチを買っていた。


「ゆーちゃん、それ、半分こにしない?」

「いいよ。それなら、おにぎりを一個買おう」


 具沢山の卵サンドが美味しそうで申し出た僕に、寛は快く返事をしてくれて、おにぎりを選んでいた。


 ホテルに戻ってから、具沢山の卵サンドを一個ずつ食べて、僕はおにぎりと唐揚げを食べて、寛はおにぎりを一個食べて、買っておいたカップみそ汁にお湯を入れて飲む。

 温かい飲み物があると、食事の満足感が全く違った。


 食べ終えると、寛がシャワーに入ってパジャマを着て出てきて、僕もシャワーに入ってパジャマを着て出て来る。

 普段からシェアハウスでパジャマ姿は見慣れているが、ホテルのパジャマなので、寛はぶかぶか、僕は丈が足りないという事態になっていた。胸の辺りも僕は苦しい気がしてボタンをだらしなく開けている。


「コンビニで明日の朝ご飯も買っとけばよかったな」

「あ、そうだったね」

「明日買いに行けばいいか」


 そんなことを話しながら、僕と寛はそれぞれのベッドで眠りについた。


 朝にはコンビニに行って朝ご飯を調達する。

 寛と僕はマスクの下で顔を見合わせていた。


「昨日買わなくてよかったかも」

「そうだよね」


 昨日と品物が変わっていたのだ。

 涼しくなってきたからか、おでんが店に出ていた。昨日までは出ていなかったし、昨日買っていたら冷えていたので、今日の朝来られたのは本当によかった。


 僕は卵と大根とこんにゃくを買って、おにぎりとカップみそ汁も買う。

 寛は糸こんにゃくと大根とはんぺんを買って、おにぎりとカップみそ汁も買っていた。


 部屋に戻っておでんとおにぎりとカップみそ汁と食べる。おでんの温かさが身に染みる。

 最後にカップみそ汁を飲み干して、僕と寛は歯磨きをしてホテルをチェックアウトした。


 サイン会の会場は超大型の本屋だった。

 そこまで僕は寛に連れて行ってもらっていた。

 寛は本屋の従業員の控室で僕と一緒に呼ばれるのを待っている。


 編集の鈴木さんが顔を出して会場の様子を伝えてくれた。


「整理券は全部売り切れです。サイン会会場にもお客さんが来始めてますよ」

「まだ一時間以上あるのに」


 上下巻セットとの交換なので、サイン会の整理券は上下巻の値段で売られていた。それが全部売り切れているとなると五十人はひとが来るということだ。

 パンデミックのこのご時世なので、マスク着用で、アクリル板の衝立越しのサイン会。お客さんも整理券を配って、時間ごとに区切って部屋に入れられる予定だ。


「本当は百人入れたかったんですけど、このご時世ですからね」


 本屋の方も検温や消毒といった煩雑な作業をしなければいけない。

 それで百人受け入れるのは無理だという判断で五十人になったのだと鈴木さんは説明してくれた。


「メープル先生なら百人は絶対に集まってましたけどね」

「そんなにサインを書いたら、僕は自分の名前がわけわからなくなりそうです」


 正直な感想を口にすると、鈴木さんが真面目に頷く。


「同じ文字を書き続けていると、これってあってたっけ? って疑問になっちゃうことって、ありますよね」

「あります。小説で文字を書き過ぎたときもそうなります」

「メープル先生一日何万字書いてます?」

「最高で三万字くらいかな? それ以上は形にならないです」


 その三万字も、入念にプロットを立てて、先の展開を決めてからしか書けないのだが、鈴木さんにそれは届かなかったようだ。


「メープル先生は、まだ書ける……」

「ちょっと!? 今回の締め切り本当にヤバかったんですからね!?」


 慌てる僕に、鈴木さんが悪い顔をしていた。


 もうすぐ、僕のサイン会が始まる。

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