第20話 考えるな、感じろ

 残ったあんこの粗熱を取り、保存用のタッパーに詰めた後で、俺は自分の部屋に戻った。

 さっき焼いた餅とあんこと、冷たいお茶。そして志乃からもらったクッキーを床に置き、そのかたわらにあぐらをかいて座り込む。

「………」

 数秒、クッキーとにらめっこした後に、意を決して封を開ける。

 中には一口サイズのシンプルなクッキーと、手紙が入っていた。

 二つ折りにされていた手紙を開いてみる。

 中には、志乃のまるっこい文字で一言、『元気出してね!』とだけ書かれていた。

「ほんと、どうしてこういう時だけ勘がいいんだろうな、あいつは」

 クッキーを一つ取り出し、おそるおそる一口食べてみる。

 ……まずく、ない。

 もう少しバターを入れてもいいとか甘さが足りないとか、言おうと思えばまだまだ改善の余地はある。だが少なくとも、口に入れた瞬間にトイレに駆け込みたくなるような代物ではなかった。

 志乃も日々、成長している。

 じゃあ、俺は?

 『らいこう』の一員になって、ちょっと大人の仲間入りをした気分になっていた。それだけだ。

 泣いて、助けを求めていた女の子一人救えない。

『……♪魔法少女~』

 またクローゼットの中からアニソンアラームが聞こえてくる。

 また鬼が出たのか。てか、いつになったら電源落ちるんだよ……

 みのりが連れ戻されたわりに、鬼が出る頻度は減っていないように思えた。忌々しくクローゼットの奥を見つめながら、あんこ餅に手を伸ばす。

 不意に、アラーム音がやんだ。

 突然、バンッ! となにかを叩くような物音がして、思わず身をすくめる。次いで、ガラッ! と乱暴に窓が開けられる音がして、俺はあんこ餅の皿を手にしたまま、反射的にそちらを向いた。

 ベッドの上には、ひん曲がった目でこちらを見ている兎呂がいた。

 兎呂はメンチを切った不良よろしく、はあ? みたいな表情をさらしている。

「なにしてんですか」

「……は?」

「……は? じゃないですよ。なにしてんですかって聞いてんですよ」

 突然の出来事に気おくれを起こすが、俺はすぐに我に返った。

「お前こそなにしに来たんだよ」

「あーあー、なんですか、なんですか、呼び出しがかかってるというのにのんきにおもちですか、しかもあんこですか」

 兎呂は俺の問いかけを無視して、ぺたぺたとこちらに近づいてきた。

「粒あんですか、こしあんですか」

「粒、だけど」

「もちなんて食べてる場合じゃないんですよ!」

 言うが早いか、兎呂は俺の手からあんこ餅をひったくった。

 皿のふちに口をつけ、一気飲みの要領で餅をかき込んでいく。

 もぐもぐもぐもぐ、ごっきゅん。

「おかわりはないんですか、おかわりは」

「お前マジでなにしに来たんだ」

「お茶も出してくださいね」

「帰れ」

「帰れませんよ」

 急に兎呂の表情が真面目な雰囲気を醸し出す。

 俺はその空気の変化に少し気圧されて、息をのんだ。

「微妙におもちが喉に詰まりました。成海さんの飲みかけでいいんでお茶ください」

「お前バカだろ」

 兎呂は俺のお茶に手を伸ばすと、一息に口に流し込んだ。空になったコップを片手に、ふー、と一つ息を吐く。

「呼び出されている意味、分かってるんですか?」

 一区切りついたところで、兎呂は単刀直入に切り出してきた。

「知らねぇよ」

「アラームが鳴るってことは、鬼が出たってことなんですよ?」

 ブロック塀すら一撃で破壊する鬼の力が、一瞬だけ頭をよぎる。が、俺はぷいと兎呂から顔をそむけた。

「夏希がいるだろ。それに……頼さんだって。俺一人、鬼退治から抜けたところで別になにも変わらないだろ」

「みのりさんとのことは、聞きましたよ」

 兎呂の一言に、つい、ぴくりと反応してしまう。

「みのりさんを助けたいと、訴えたそうですね」

「そこまで知ってるなら分かるだろ。俺は行かない」

「分かりませんね。みのりさんを助けられなかったことは、鬼退治を放棄していい理由にはなりませんよ」

 正論をぶつけてくる兎呂を、横目でにらむ。

「……お前さ。みのりが脱走した翌日、速攻で俺の部屋に来たじゃん。俺を鬼退治にスカウトしたのは、ここにみのりが逃げてくるかもしれない、って算段があったからじゃねぇの?」

 攻撃の意図を持って口にした俺の質問に、兎呂は珍しく言葉を詰まらせた。

「……確かに、鬼とゆかりのある桃原神社を押さえておきたい、というのはありました。組織の外をほとんど知らないみのりさんの逃亡先候補でしたし、万一かくまわれてしまったら面倒ですからね」

「やっぱりか……どうせそんなことだろうと思ったよ。ますます俺が鬼退治をしなきゃいけない理由なんてないじゃないか。お前が来なきゃ俺はじーさんを呼んで、みのりに引き合わせるつもりだったんだ」

「責任転嫁ですか?」

 頼さんからも突きつけられた、責任、という言葉に強い拒否反応が出る。

「成海さんがみのりさんをかくまっていたら、閉じられなかった次元の裂け目から出てきた大型鬼によって、夏希さんは死んでいたかもしれませんよ?」

「っ……ほんっと、ああ言えばこう言うよなお前は……っ!」

 俺はいら立ちを抑えきれずに、兎呂の胸ぐらをつかみ上げた。

 赤くて丸い瞳を正面からにらみつけるが、兎呂は俺に吊り上げられながらも表情を変えない。

「みのりさんが身に着けているブレスレット。あれはまだお針子への慰問が許されていた頃に、桃原神社から来た少年にもらったものだそうですよ」

 唐突に告げられた事実に、心臓を射抜かれる。

 急に、手のひらが汗ばんできた。

 胸ぐらをつかまれているのは兎呂なのに、つかんでいる俺の方の呼吸が浅くなっていく。

「ちょっとしたことでもSNSなんかで拡散されたら取り返しがつかなくなってしまうので、今は外部との接触を極力断つようになってしまいましたがね。縫合作業に従事するお針子たちを慰める……そんな時代もあったんですよ。もちろん、それも鬼やお針子の歴史に偏見のない、一部の有識者に絞ってお願いしていましたがね」

 慰問、という言葉からシチュエーションが思い浮かび、一気に脳内に検索がかかる。

 相当昔……まだ、五、六歳の頃だろうか。

 知らない施設に連れていかれて、知らない女の子と遊んだ。そんな記憶の断片が引っかかる。

「思い出しましたか?」

 腕から力が抜けていき、兎呂の身体がゆるゆると下がっていく。

 ちょっと待て……なんで俺はそんな大事なことを、今の今まで忘れていたんだ?

 いや、違う。俺にとっては、些細なことだったんだ。

 幼稚園の時にどこに行ったとか、小学生の時になにを作ったとか。俺にとっては無数にある、そんなようなことと同列の思い出。

 でも、みのりにとっては違った。

 時が経てば簡単に忘れてしまうような、そんな些細な思い出がいつまでも残るほど、みのりの世界は閉ざされていたんだ。

「みのりさんに希望を与えた責任を取れ、なんてことは言いません。ただ、今の自分になにができるかですよ。今すぐにすべてを解決できなくても、みのりさんとともに戦うことはできるはずです。力がないことは、なにもしなくていい理由にはならないじゃないですか」

 浮いていた兎呂の足が、完全に床に着く。

「自分は無関係だって、見て見ぬふりをして。なにも感じず、平和という結果だけを享受して。それこそがみのりさんが一番嫌がったことじゃないんですか?」

 なにも、言い返すことができなかった。

 なにもできない自分を見たくなくて、あわよくば自分の力のなさを誰かのせいにしたくて、現実から目を背けただけ。そんなことは最初から分かっていた。

 でも、こんなにも無力なのに。救える未来が見えないのに。

「手を離してください。成海さん――」

 言われるままに、俺は力なく兎呂の胸ぐらから手を離した。

 兎呂が珍しく、穏やかに笑いかけてくる。

 バチコーン!

 突然、横っ面を丸い手で殴られた。

 勢いで完全に首を真横に向けながら、殴られた頬をかろうじて押さえる。

「へ、は……?」

「成海さんはスーパーヒーローか天才科学者にでもなったつもりなんですか? みのりさんを助けて平和も守る。それが両立しないからって全部投げ出すなんて、思い上がりもはなはだしいんですよ!」

 あっけにとられて混乱する俺に、兎呂はずけずけとのたまった。

 添えた左手の下で、殴られた頬がじわじわと痛みだす。その痛みに触発されるように、身体の奥底から新たな熱が込み上げてくる。

「だからって殴ることないだろ! 俺にも一発殴らせろ!」

 片膝を立てて身を乗り出し、こぶしを振り上げて兎呂を追う。兎呂は華麗な身のこなしで、俺の拳をひらりとかわした。

「さぁ、ぐずぐずしてないで行きますよ!」

 ……出かけられるか?

 空振りしたこぶしを抱え、机の上で出番を待っている升と豆に目をやりながら、自問してみる。

 自然に升に伸びた手、それが答えだった。

 確約された未来なんてない。結末がどうなるかなんて分からない、けれど。

 いつものカバンに升を詰め、それを肩から下げて立ち上がる。

 兎呂はすでにベッドの上で、出発に備えて窓を開けていた。その後ろ姿で、ふと、兎呂と初めて出会った日のことを思い出す。

 逃げようと思えば逃げられたはずの兎呂が、さっきは大人しく俺に胸ぐらをつかまれた。そのことに、ほんの少しだけ感謝する。

「ちょっと待て」

 呼び止めたことで、早々に部屋を出て行こうとしていた兎呂が振り向く。

「なんですか? この期に及んで怖気づきましたか?」

「違ぇよ」

 言いながら、俺はクローゼットの扉を開けた。

 積み上げた段ボール箱や、季節ものの服の奥に落ちたスマホを拾い上げる。

「……成海さんなりに、本気だったわけですね」

 あきれたような兎呂のつぶやきを背に、俺は地図の点滅を確認してから部屋を出た。

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