三.この上司にしてこの部下あり

 翌日の晩、桃子はあるアパートの一室を訪問していた。表札には『二〇五』、その横に『香月かつき』と書かれた紙切れが一枚。ボロアパートでインターホンも無い。桃子がドアを叩くと、長身長髪、幸薄そうな顔立ちの女性が玄関を開けた。照柿てりがきのロングワンピースを着ている。


「はい。どちら様でしょう……警察の方?」


こういう時制服は便利だと思う桃子であった。一目で身分証明出来るしファッションセンスを馬鹿にされることもない。


「私、京都府警大将軍たいしょうぐん警察署から来ました、地域課の沖田桃子です。ドアチェーンは掛けた方がいいですよ」


桃子は一応警察手帳も見せておく。しかし相手はそれを見てもいなければ桃子の忠告も聞こえていないようだ。ただただ安堵の表情を浮かべている。


「来て下さったんですね……!」






 時間を昨日に遡る。ちょうど桃子が近藤に捕まった時の話である。


「なんですか、頼みたいことって……」


近藤はスポーツ新聞を畳む。


「今日地域課に市民の方が来てね。要請があったんだ」

「面倒ごとじゃないでしょうね……」

「大丈夫。ちょっとヤバめの不審者が出るだけだよ」

「何処が大丈夫か言ってもらえます!?」


近藤は「へへへ」と笑うばかりで取り合わない。


「お客さんは香月翔子しょうこ。アパートに高校生の娘と二人暮らし。僕と同じくらいの年齢の別嬪さ」

「いりますかいりませんよね最後の方の情報は」

「彼女のアパートのドアノブを、夜な夜な弄り回す奴がいるらしい」

「絶対ヤバい奴やん!」

「決まって二時頃」

「ますますヤバい奴やん!」


桃子が自身を抱きしめてクネクネ回ると、近藤は容赦無い追撃を加える。


「というわけで沖田、お前さんは明日から交番行かずに夜勤だ。夜間に張り込んで、その不審者しょっ引いちゃって」

「『頼みたい』ですよね? 拒否権は?」

「沖田に拒否権があるように、上層部には職員を懲戒免職する権限があるんだよな」

「不当解雇!」


桃子は近藤のデスクを叩く。


「と言うかですね、まさか行くのは私一人とか言うんじゃないでしょうね!?」

「さすが、よく分かってるじゃないの」

「課長が個別に呼び出す時は大体そう……っていうのはどうでもよくて! そんな真夜中の不審者相手にか弱い女性一人を派遣するとか、気ぃ狂ってんとちゃいますか!?」

「まぁヤバそうだったら夜番の人に応援要請したらいいよ」

「だったら最初から付けて下さいよ!」

「お前以外は暇じゃないのよ」

「ギィーッ!!」


近藤は桃子の態度を咎めはしないが相手にもしない。メモ用紙を桃子の前に置く。


「ほら、これが香月さんの住所。頼むよ。落とすなよ」


桃子は渋々それを手帳に挟むと、


「そもそもこういう事件の時なかなか警察が動かないって、度々たびたび問題になりますけど、ウチは迅速なんですね」


大問題発言を平気で繰り出した。すると近藤も


「そりゃウチには遊兵化した署員がいるし、もしかしたらこの前の強盗殺人と関係あるかも知れないし、何より……」

「誰が遊兵ですか!」

「香月さん別嬪だからね」

「地獄に堕ちろ!」


更なる問題発言で切り返した。






 そういうわけで桃子は今、翔子のアパート前に来ているのだった。


「私は近くで車停めて待機しておきます。一応二時を過ぎても朝までいますからご安心下さい」

「ありがとうございます」

「あと、何かあったらこちらの番号に電話して下されば、すぐに駆け付けますので。では」


必要事項の伝達を終えた桃子が一度車に戻ろうとすると、


「お巡りさん!」


奥からTシャツとジャージの、やや小柄な少女が走って来た。


「あちらは娘さんですか」

「はい。娘のです。ひなげし、もう寝なさい」

「まぁまぁ。それでお嬢さん、なんでしょう?」

「張り込みですよね? はいこれ、どうぞ」


ひなげしが差し出してきたのは、アンパンとパックの牛乳。なんとステレオタイプな……、桃子は一応受け取りながら、少女に大切なことを伝えた。


「お嬢さん。時代はメロンパンとミルクセーキなんですよ」


時代(桃子のマイブーム)。






 車に戻った桃子は早速スマホを取り出し、つばきに電話を掛けた。勤務中の張り込み中だというのに。近藤の致命的人選ミス、いや、人事の悪魔的採用ミスである。


『もしもし』

「もしもしつばきちゃん。紡さんは起きてますか?」

『起きてるかは知りませんが、もう寝室に引っ込んでますね。日付も変わったことですし』

「そうですかぁ。来てくれそうにはないですね」


実は桃子、いつかの今井老人の件のように性懲りも無く、紡達を道連れにしようとしていた。しかし


「アホか」


にべも無くフラれたのであった。今日の昼頃の話である。


『むしろ私がわざわざ起きてあげてるんですから、良い方ですよ』

「でも正直幽霊って寝なくても問題無いでしょ?」

『切りまーす』

「待って待って!」

『そもそも勤務中で、何かあったら即応しなきゃいけない仕事なんでしょう? 遊兵化してる場合じゃないですよ』

「つばきちゃんまでそんなこと言う!」

『あは』


無慈悲にも通話は切られた。いや、無慈悲ではなく常識的な判断なのだが。


「あの子、なんかあったら『あは』って言っとけばいいと思ってるフシがあるよな……」


仕方無く桃子は真面目に張り込みをすることにし、


二十分後には寝落ちした。






 不意にスマホが鳴って桃子は飛び起きた。


「ふあっ!? 寝てません! 寝てませんよ!?」


通話に出る前から言い訳をする桃子。周りに自分を説教する上司や先輩がいないのを確認して、


スヤァ……


「はっ! 危ない危ない、寝るところでした」


スマホを取ると着信はつばきからだった。


「もしもし」

『もしもし。起きてましたか?』


桃子の肩がギクリと跳ね上がる。


「も、もっちろん、起きてましたよ? ばっちり」

『そうですか。ならよかったです。寝てるんじゃないだろうなって思って』

「そ、そんなわけ! どんだけ信用無いんですか私は!」

『あは。もうすぐ例の二時ですからね。頑張って下さい』

「えっ!? もうそんな時間!? 危ねっ!」

『あーっ! やっぱり寝てたなこのタコむす』


都合が悪くなったので桃子は通話を切って、今度こそ目の前の張り込みに集中した。


しかしそこで、



「な、なんと!?」



桃子は衝撃の光景を目にすることになるのである。

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