十.はやてと勘解由
場面は一気に飛んだようで、武家屋敷の門前にすっかり背が伸びた迦楼羅丸とはやてがいる。編み傘を被り風呂敷を肩掛け
「迦楼羅丸……」
「もう迦楼羅丸ではないと言ってるだろう? 今は加治屋
迦楼羅丸改め勘解由は、はやての頬にそっと触れた。
「はやてにとってだけは、迦楼羅丸でいても良いかも知れないね」
「迦楼羅丸様……っ!」
記憶によれば、勘解由はその剣の腕前を藩主に認められ、元服祝いとして兄上様と共に江戸の高名な道場へ修行に出るのだそうだ。少なくとも免許皆伝まで帰って来ることはなく、つまりは二人、初めての長い別れになる。
はやては勘解由の胸にひしっと抱き付き、その逞しい胸板に顔を埋めた。
「私もお江戸について行きたい……っ!」
勘解由は震えるはやてを抱き締めながら、優しく諭すような声で語る。
「それは出来ないよ。それに私も、はやては待っていてくれる方がいい」
「どうして?」
「その方が早く帰ろうと、稽古にも身が入るだろうから」
「っ!」
勘解由ははやてをそっと押し離すと、その髪に風車を挿した。
「しばらくは壊しても新しいのを作ってやれないから、それを大事にするんだよ?」
勘解由がそっと微笑むと、はやては涙を拭った。そして……、
「あ、あ、あ、き、あれはキス顔では!? キスしてしまうのでは!? アギギギギギ……」
「うるさいよ桃子ちゃん」
「江戸時代にキスなんかしてんじゃねぇーっ!」
「豊臣秀吉の書いた手紙に『口吸い』という言葉が残っているので、普通のことですよ」
しかし桃子の念が通じたのか、勘解由の唇がいざ鎌倉しようとしたところで、
「おーい勘解由! まだかー! いつまで待たせるのだ!」
兄上様の呼ぶ声が聞こえて、間一髪(?)それは中断された。勘解由はそのまま傘を目深に被り直し、
「じゃ、じゃあもう行くから……!」
「は、はい!」
足速に行ってしまった。後には胸に手を当てて切なく見送る、はやてが一人いるばかり……。
「感動ですね〜! キュンキュンしちゃう! あはぁ〜」
「そう? 私としては展開が速いからそんなに移入出来ないけど。腰据えて映画か二時間ドラマで見たい感じ」
人の記憶に好き放題言う紡とつばきだが、その横で桃子は
「……」
「「し、死んでる……!」」
死んでた。
それからはやての待つ日々が始まった。勘解由に手紙をしたためようとするが、一文書いては止まり、もう一文書いては紙を丸めて一から書き直し、そうやって膨大な時間と情熱を注ぎながらようやく少しばかりの文を書き上げる。
そして返事が来れば躍り上がって喜び、胸に抱き締め何度も読み返し、優しくも生真面目な彼らしいかっちりした筆遣いを何度も指でなぞる。
文が届かずこちらから送る内容も思い付かない間はひたすら風車を眺めて過ごす内、
「そうだ! 迦楼羅……勘解由様が帰って来たら相応しい女であれるよう、私も同じ風車を作れるようになろう!」
なんていう論理の飛躍から、見様見真似の記憶から風車を作ったりして
「あれ? 全然回らない?」
と試行錯誤しながら春を、夏を、秋を、冬を何度か越えて……。
ある秋の日、はやては早起きして門前を女中にもやらせずせっせと掃き掃除していた。例え記憶を共有していなくとも、この様子を見れば今日がなんの日か一目瞭然である。その後も執拗に玄関を掃除し、程よく打ち水をしたり、昼飯が喉を通らなかったり、ソワソワするのを持て余して軽く踊ったりしている内に、
「姫様!」
「!!」
女中が声を掛けるが速いか、はやては自室を飛び出した。
「きゃっ!?」
「姫様!?」
家来達が驚くのも気にせず武家の嗜みも忘れ、廊下をドタドタ風が如く走る。そして玄関に飛び出ると……、
「迦楼羅丸様っ!!」
「はやて!」
以前に増して逞しくなった愛しき胸に、はやてはその身を投げ出した。
「すまない。待たせたね」
「ずっと、ずっと……、ずっと! お待ち申し上げておりました!」
勘解由はまるで昔の風車を壊した少女のように震えるはやてを、そっと抱き締める。
「免許皆伝が済むとしばらく塾頭を務めることになってね。それなら学問も修めて来なさいと言うことで、こんなに時間が掛かってしまった」
「迦楼羅丸様っ! 迦楼羅丸様っ!」
「だから勘解由だとあれほど……」
勘解由は呆れながらもその背中を
「おいおいはやて、兄に対して出迎えの言葉は無いのか?」
「あっ」
この一言でお出迎えに出て来た他の家人もどっと湧いて、なんとかその場は収まったのだった。
「よかった……、本当によかった……」
「うわっ、びっくりした!」
あんなにスレていた桃子は、紡が引く程涙収まらぬ様子であったが。
それからの日々は、はやてにとっても輝くような日々だった。
勘解由は加治屋の家督を継ぎ、江戸で学んだ剣術の腕と最先端の学問を見出され、藩の中枢で目覚ましく働いている。忙しくはしているが、何年も手紙だけの日々を思えば、会いに行ける距離で愛する人が「あれは藩の未来を背負って立つ人だ」と評価されるのを耳にするのは、誇らしいことだった。
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