急.

 翌日の夜。桃子が仕事を終えて紡邸によると、紡はカツオノエボシの浴衣に身を包み、ご機嫌な様子でテレビを見ていた。機嫌が良くても煙草、酒、ツマミの死の三角形は変わらないようだが。


「どうしたんですか紡さん。私そんな幸せそうな顔で食べる人初めて見ましたよ」

「幸せだもーん」

「なんですか。知能が溶けて精神年齢つばきちゃんより下になってませんか?」

「あは」


百年は過ごしたから下手したら一番精神年齢が高いかも知れないつばきは、否定もせずスモーク鯖を持って紡の対面に座った。キロネックスの浴衣が翻る。

桃子はつばきの隣に座った。


「で、何がそんなに幸せなんですか」

「仕事が多分片付いたの」

「多分」

「結局球団が強くなったかはシーズン、せめてオープン戦くらいは始まらないと分からないからね」

「それはそうですね」


テレビ画面では現役水泳オリンピックメダリストが三人編成の芸能人チームと平泳ぎ背泳ぎクロール各一往復競争をしている。


「それで、紡さんは何が問題だと思ってどう解決したんです?」

「色だね」

「色」


紡はスマホで画像検索をする。


「こちら、ウィングスのホームユニになります」

「散々見ましたよ」


紡が画面をスライドさせる。


「こちらはビジターユニ」

「知ってますって。で、色なんですよね? それぞれ白とアイボリーですね」

「そう。で、ウィングスはホームでの成績が非常に振るわなかった」

「つまり白が良くなかった、と?」


紡は満足気に頷いた。


「飲み込みが早いね。だから私は嶋さんに電話したの。チームカラーを変えるようにね」






『もしもし』

「もしもし、嶋さんでよろしかったですか? 私、陽です」

『あぁ、陽さん! はい、嶋です』

「今お時間よろしいですか」

『どうぞどうぞ。どうされました?』

「えぇ、今シーズン不振の、おそらくの原因が分かったのです」

『本当ですか!? それは一体!?』

「ウィングスのユニフォーム、ホームが白基調でビジターがアイボリーですよね?」

『えぇ、そうですが』

「白基調と言えばどの球団でもそうですが、調べたらウィングスはチームカラーそのものが白なんですってね。それでビジターユニも白に近いアイボリー。しかしレオポンズ時代はまた違う色だったとか」

『それが何か……』

「白という色の『意味』をご存知ですか?」

『意味?』

「象徴するものとも言えます。カラーセラピーや宗教など、思想で色々変わるのですが、陰陽道では『太陰たいいん』が象徴するカラーとされています」

『たい……?』

「まぁざっくり言って神様です。それで、『太陰』が象徴するものは他にもたくさんあるんですよ。『清貧』とか『神職』とか『正直』とか、『消極的』とか」

『消極的……!』

「えぇ、確かホーム球場、いえ、ホームユニで試合した時だけ足自慢の選手が盗塁を企図しなかったり、振り回す選手が見逃し三振したり、コントロールの良い投手が勝負に行けず四死球を出したりしてたんですよね?」

『そうです! みんな「消極的」だったんです!』

「そう言えば調べたんですが、監督が電撃退任しただけでなく、ベテランの引退が相次いでいるんですよね? 『太陰』は『隠居』の意味も持っています」

『そ、そうだったんですか……』

「えぇ。ビジターはアイボリーだからまだマシなものの、チームカラーが白で白基調のホームユニを着て試合をしてしまうと、選手達は完全に『太陰』に飲まれてしまうのでしょう」

『ということは』

「球団と掛け合って、チームカラーとユニフォームのデザインを変更されることをお勧め致します」

『分かりました。……ちなみに何色がいいでしょうか?』

「え?」

『白の代わりに何色を使うべきか、ご提案いただけたら』

「……浅葱あさぎ色」

『あさぎ……?』






「というやり取りがあってね。つまり良くなかったのは球場の風水じゃなくてチームカラーとユニフォームの色だったんだね」

「はえー」


テレビに映る水泳リレーはメダリストの勝利で終わった。


「まぁ返すがえす、結局野球が始まらないと確かめようもないけどね」


そうは言うが自信はあるのだろう、紡は仕事の達成感をそうするように鮭とばを噛み締める。桃子はそれを一つもらいつつ、


「そう言えば、どうして嶋さんは白の影響を受けずにあんなハキハキ頑張れてたんでしょうね?」


紡は鮭とばで空に円を描く。


「人ってさ、組織の『色』に染まり切るには時間が掛かるでしょ? 嶋さんはシーズン終盤でやって来た人だから、開幕前からあのチームで活動していた人とは影響度が違ったんでしょ」

「そんなもんですか」


桃子も鮭とばを噛み締める。


「そこは分かりましたけど紡さん」

「何かな?」

「浅葱色にはどんな意味があるんですか?」


一番大事な部分を聞いたのに、紡は熱燗をチビっとやると一言。


「さぁ?」

「さぁって!」

「何さ」

「わざわざ指定したんでしょう!? この流れで! だったら意味が大事でしょう!」

「知らないよそんなマイナーな色まで」


桃子は紡から鮭とばを取り上げる。


「じゃあなんで浅葱色なんですか!」


紡は悪びれずスモーク鯖の方に手を伸ばす。


「だって本拠地が『新撰組スタジアム』でしょ? 新撰組と言ったら浅葱色の羽織だろうが。沖田なのにそんなことも知らないの?」

「名字は関係無いでしょう」


鮭とばを紡に返そうとする桃子の横でつばきがニヤリと笑う。


「まぁ浅葱色のだんだら羽織は不評ですぐ廃止されたんですけどね」

「ダメじゃないですか! で、何が不評だったんです?」

「あは。発案者が内ゲバで粛清されたとか赤穂浪士のコスプレで恥ずかしいとかもあったんですが、一番は当時の浅葱色が『田舎者』で『貧乏』、直属の上司である会津あいづ藩の身分制で一番卑しい色だったからですね」

「全然ダメじゃないですか! どうするんですか紡さん!」

「あれぇ? おかしいな?」


桃子は返しかけた鮭とばを、やっぱり没収することにした。

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