魔法のステッキがゴボウにすり替えられていたので、しばいてみた。

@vanlock

マジカルorフィジカル

「んー、ちょっと筋ばってるかなぁ。」


「食ってんじゃねぇぇぇですよぉぉぉぉッ!」


 ご近所に晩ご飯の香りが立ちこめ始める夕暮れ時、上品なのか粗野なのか、判断が難しい叫び声がこだまする。


 声の主は、一見するとモモンガにも見える小動物。この小さな体躯から人語を話している様に見えるのは、向かい合う少女が腹話術を会得しているのではなく、本人によると“魔法”の力である。


「あーん、モモチうるさい~。近所迷惑だぞ-?」


「リンは危機感がなさ過ぎますッ。無いんですよ?魔法のステッキが!弊社の英知の結晶が!!持ち出し管理区分特A級の最重要特務備品が!!!」


「備品って言い方するとなんかさ、ありがたみが90%OFFぐらいになるよねぇ。閉店セール?」


「私たちが閉店したら誰が街をフォグズから護るんですかッ。というか、今現れたら一大事ですよ。あーんもうっ、早く見つけ出さないと。だいたい何故ゴボウなんですか!」


 モモンガと会話を弾ませている少女の名は、夜桜よざくら 鈴音りん。彼女が学校から帰宅すると、今朝確かに勉強机の上に置いていたはずの魔法のステッキが、ゴボウにすり替えられていたのだ。


「多分だけど、魔法のステッキはすり替えておいたのさッ、って事を私達に伝えるためじゃないかな。ただ持って行くだけだと、私たちが単純に無くしただけだと思うかもしれないじゃん?」


「それにしたって、なんでゴボウなんですか?こんな変なものじゃなくても、他にも色々あるでしょうに。」


「んー、どうだろうね。もしテレビのリモコンとか自然なものとすり替えたらさ、元々そこにリモコンが有ったと思うんじゃないかな。すり替えに気付かないかもしれないよね。」


「まさか、魔法のステッキがゴボウにすり替えられていた理由を理路整然と説明される日が来るとは思いませんでしたよ。」


「まぁ、そこまで分かったところで何も解決してないんだけどねー・・・ボリッ、ボリッ」


「だから食ってる場合じゃぁねぇんですよぉぉぉぉ!!!」


 早く探しに行けとばかりに、リンの背中に小さな両腕で魂のビートを刻むモモンガのモモチ。しかしその抗議もむなしく、リンは炊きたてご飯の付け合わせにどうすればゴボウが合うだろうと、調味料の試行錯誤を続けるのだった。


 時刻は17時30分を回り、街に夕焼け色のカーテンが掛かる。


 この時間になってもリンの両親は不在だ。学者の父は遅くまで研究に没頭し、製薬会社の研究所に勤務する母も、また同様に帰りは遅い。


 そのため、いつからか簡単な料理はするようになったのだが、ろくに教えも受けていない。かつて魔法のステッキだったゴボウの刺身達も、もう少しウデマエがあれば美味しく頂くことが出来ただろうかと、その味に飽きてきた事実を誤魔化す様に箸で弄ぶ。


 どうやら、相棒のモモンガから送られる愛らしい抗議のバリエーションも尽きかけているらしく、徐々にトーンダウンし始めた。


 ようやく落ち着いたかな、と背後を振り向こうとした時、訪れかけた静寂を破るかの様に、けたたましい警告音が鳴り響く。


 「うわぁ、来ちゃったねぇ。」


 「どどど、どぉするんですか?!よりによってこんな時にフォグズが現れるなんて。」


 実体のない霧の魔物、フォグズ。モモチが追いかけてきたこの魔物を撃退するためには、魔法少女に変身したリンの力が必要だった。


 緊急地震速報の様な警告音は、リンのスマートフォンにインストールされたフォグズ警報システムの音だ。


 モモチが魔法の力でベンダーの審査を通した特殊なアプリケーションは、一見するとただの目覚まし時計のアプリケーションだが、リンの端末でのみ、フォグズの発生を検知して知らせる機能が組み込まれている。


 「どぉするんですかって言ってもねぇ。ほっとく訳にはいかないじゃない?行くよモモチっ。」


 「行くって、行ってどうするんですかっ!今のリンには何も・・・」


 「何も出来なくても、何もしない訳には行かないよ。それに一応、私にも考えがある。」


 警報が予測したフォグズの発生場所は、某企業の従業員駐車場だった。企業規模が縮小し、今では建屋から遠いスペースはほとんど利用されていない。


 予報の場所までの距離は近く、自転車を使うより商店街を駆け抜ける方が早かった。


 「おやリンちゃん、そんなに急いで買い忘れかい?」


 「うん、ちょっとねっ。」


 「あら、今日は一段と元気ねぇ。」


 「おばさんこんばんわーっ!」


 自分で料理のまねごとをするようになってから、商店街は行きつけだった。近所には大型の店舗もあるが、ちょっとした世間話も出来る商店街がお気に入りだ。おそらく、両親の帰りが遅い寂しさを誤魔化したかったのもあるだろう。


 すっかり顔なじみになってしまい、皆が気に掛けてくれる。この暖かい人たちを護るためにも、すぐ近くに現れるであろう魔物を放置するわけには行かなかった。

 

 「おう、嬢ちゃん、そんなに急いでっと危ねぇぞ!」


 「おっちゃんゴメン、これとっといて!明日また来るからー。」


 最後に八百屋のオヤジさんと一言交わし、商店街を抜ける。そこからしばらく進むと、目的地の駐車場にたどり着いた。


 「うぅ。ひとまずフォグズの発生前に到着はしましたが、これからどうするんですか、リン?」


 「任せてモモチ。ちゃんと代わりを・・・持ってきたよ!」


 いつの間にかリンの右手には、失われたはずのソレが握られていた。掌からは、確かな生命力を感じる。


 いよいよ実体化を始めたフォグズを前にしても、リンの瞳に宿る決意は揺るがない。たとえ魔法のステッキは失われていたとしても、今握りしめた右腕を天高く掲げ・・・


 「代わりのゴボウを持ってきてどうするんですかーーーッ!」


 「大丈夫、ちゃんとお金は払ってきたから。おつりも明日返して貰うから。」


 「さきほど八百忠やおちゅうの大将さんに話掛けてたのはソレですか、っていや、そんなの今はどうでも良くて、ゴボウで何しようってんですかアナタは!」


 「とりあえず、やってみなくちゃ分からないでしょ?」


 モモチにそう告げると、再び右腕を掲げたリンは魔法の呪文を唱え始める。


 「双界の光よ風よ、私はここにことわりを繋ぐ者。代行者にして闇を夜に還す者。二つの名と一つの意思を証とし、今こそ執行のすべを借り受ける・・・いっくよーっ、変身、魔法少女プリティベル!華麗に参じょ・・・あれ?やっぱダメかぁ。」


 夜空にゴボウを掲げて魔法少女変身ごっこに興じる女子中学生。クラスメイトに見られていたら絶対にやらないはずだが、無人の駐車場であるのをいいことにやりたい放題である。


 「やっぱダメかぁ。じゃねぇんですよっ!むしろ何故いけると思った?!20文字以内で簡潔に述べて下さいコンチクショーっ!!!」


 「いやね、実は魔法のステッキは形だけで、本当は私自身に眠れる力が有るんじゃ無いかなぁって思ったんだよねー。私が自分の力を信じるために暗示を掛ける目的でモモチが用意したアイテムだったりするのかなって。」


 「そんなわけ有るかッ!あと20文字超えてるんですよ大幅にーーーっ。」


 小動物のツッコミにより、“考えがある”はずだったリンの一縷の望みは儚くも切り捨てられた。そして間が悪く、というかむしろタイミング良くと言うべきか、ここにフォグズがその姿を形成する。


 大蛇。巨大な蛇の姿をかたどったフォグズは、唸るような音を発しながらリン達を見据えている。


 「蛇かぁ。わたしチョット苦手かも。」


 「フォグズは人々の恐怖を感知して実体化しますからね。最近、アミニシキヘビが逃げ出してニュースになっていましたから、その影響でしょう。まったく迷惑な話です。」


 「いやいや、飼い主の人もこんな影響出るなんて思わないでしょう。あんま責めちゃ可愛そ・・・」


 フォグズが世間話を待ってくれるはずも無く、話の途中で咆哮を上げるといよいよリンに向けて牙を剝く。


 「あーあ、参ったねどうにも。」


 「参ったどころじゃないですよ、ひとまず一旦退きましょう。ここは危険です。」


 「それは嫌。アイツ思いっきりこっち見てるし。このまま進ませたら商店街に行っちゃうもん。」


 モモチの忠告を聞かず、リンは大蛇の懐に飛び込む。無謀ではあったが判断が速かった事が幸いし、フォグズの牙を間一髪かわすことが出来た。


 「くっらえぇぇぇ!」


 魔物の懐で、今度は魔法のステッキの代わりでは無く得物として振りかぶる。ただまあ、なにぶんゴボウである。決意に反して見た目の緊張感が無いことは勿論、振り下ろしてもダメージを与えることは出来なかった。


 「だ・か・ら!無駄だって分かってるでしょうっ。」


 「やってみなけりゃ分からないっていうのが、わたしのモットーなもんでね。でも、やって分かっちゃった。ダメだコレ。せめて霧を飛ばすぐらいは出来ると思ったんだけどなぁ。」


 リンの魂を込めたゴボウの一撃は、大蛇の胴体を素通りして轟音を立てて空を切っただけだった。


 「不公平じゃない?!わたしの攻撃は素通りするのに、アイツの牙はドカンって地面えぐっちゃってさー。」


 いつもならモモチの反応が有るはずだが、答えが返ってこない。そのせいで独り言みたいになってしまった。もしかして先ほどの攻撃でダメージを負ってしまったのかと心配したものの、モモンガは元気に飛び回り右肩に回りこんでいた。


 「リン、左後方に人影が。」


 肩口から小声で囁く様な声に従って確認すると、そこには見覚えのある顔があった。


 「逃げなさいリン!早くこちらに!」


 「お父さん?!」


 間違いない、そこには大学で研究に没頭しているはずの父の姿があった。リンは指示に従い逃げると言うよりも、フォグズを前にした父を護ろうと急ぎ駆け寄る。


 「お父さん、どうしてここに?大学はいいの?」


 「ああ。午後の講義は院生に丸投げしてきたよ。」


 「え?それってパワハラとかじゃ無いよね、大丈夫?」


 命の危険を前にしてする会話では無いのだが、それを指摘する役割のモモチは父を前にして口をつぐんでいる。


 幸い、大地をえぐった大蛇は勢い余って頭を地面に突っ込んだまま動かない。これまで相手にしてきたフォグズも、実体化して直ぐは自身の力を制御できない傾向にあった。


 「大丈夫さ。娘の魔法少女を辞めさせたいから協力してくれと頼んだら、何故か可愛そうな人間を見る目で納得してくれたよ。」


 「えー、それって何か大事なもの失ってない?・・・て、お父さん知ってたの!?」


 「分かるさ、愛する娘の事だからな。モモチ、お前が授けた力なんだろう?」


 父が話しかけると、リンの背後に隠れていたモモンガは彼女の肩口から姿を現す。


 「そこまで、知られてしまっていたのですね。」


 「うわぁぁぁ、しゃべったぁぁぁぁ!」


 「嘘ぉ!?そこまで知られてて私がしゃべることは知らなかったのーーーッ?」


 意を決して口を開いたモモチは、しゃべるモモンガにおののく父の反応に驚愕を返しつつ、自身の早計さを反省する。


 諸々行き違いがあったものの、今にも首を戻しかねない大蛇を前にしては動揺している余裕は無く、父は疑問を口にせず自らの行いのみを語り始めた。


 「と、とにかくリン、お前はここから逃げなさい。まったく、なんのためにあの杖を遠ざけたと思っているんだ。」


 「お父さんだったんだね、早く返してっ。このままじゃ、街が、皆が大変なことになっちゃう。」


 「何度も言わせるんじゃ無い、逃げなさいリン。これ以上、年端もいかない愛娘に命を掛けさせるつもりは無いのだよ。あとは私たちに任せなさい。」


 私“たち”。娘に言い聞かせる様な口調の父がそう語ると、彼の背後からもう一人の影が姿を現す。


 「お母さん!?」


 「そうよリン。ここは私とお父さんでなんとかするから、あなたは逃げなさい。」


 「ダメだよお母さん、あれは普通の力でどうにか出来るものじゃないのっ。」


 母に訴えかけるリンの言葉は、かつてモモチがリンに投げかけたものと同質だった。そして、その忠告が受け入れられる事は無いのもまた、同様だった。


 「そうね、普通の力ではね。でも、普通じゃ無い力なら、なんとか出来ると思うの。」


 「え、どういうこと?」


 動揺する娘をよそに、父が母に語りかける。


 「すまないね鈴子すずこさん、本当なら私が・・・」


 「何言ってるのよ、一音かずおさんに抗体が出来ちゃったのも、それまでずっと一人で検証してきたからでしょう?それに、私だって少しだけ、楽しみにしてたんだから。」


 “抗体”、そして“検証”。リンにとって不穏な単語を交えて父に言葉を返すと、母は懐から注射器を取り出す。慣れた手つきで止める間もなく左腕に液体を注ぐと、彼女の髪が、目が、肌が、目に見えて変質し、その色を失っていく。


 「お父さん!、お母さんは何してるの?今の、何?」


 心配し、すがる娘に対し、父は心配ないと一言前置きをした上で母に起きた現象を説明する。


 「私たちはね、リン、お前が魔法少女として戦ってきたことに気付いていたんだ。できれば代わってやりたい、でも、戦う力がなかった。だからこそ、力を手に入れるために自分たちの出来る限りのことをしてきたんだ。」


 自分たちに出来ること。遺伝子工学者である父と、製薬会社で研究職に就く母がそれを求めた結果、一つの答えにたどり着いた。


 「ヒトの細胞を変質させ、圧倒的なフィジカルを手に入れることができる病原体。感染力は皆無だが、便宜上私たちはこれを椿ウィルスと呼んでいる。私が遺伝子操作の試行錯誤を重ね、母さんが仕事の合間を縫って秘密裏に完成させた。残念ながら私の身体は、桜花ウィルスから重ねた試作品の影響で抗体が出来てしまったがね。」


 「そのウィルスを、お母さんは打ったってこと?それって、危なく無いの?!」


 母の安否を気遣う娘に対し、父が返す答えは無情であり、しかし真摯に事実を伝えていた。


 「危険性は全くの不明だ。それでも、私たちに後悔は無いよリン。娘を護るためであれば、いかなるリスクも恐れるに足りはしないさ。」


 語る間に、大蛇は首を引き抜き、母は変質を終え静かに呼吸を整える。


 「もう逃げる必要はないか。見なさいリン、あれが私たちの母さん。私たちのフィジカルプリンセス、アイアン・ベルだ!」


 「いやいやいや、だから物理的な力じゃどうしようも無いんだってば!」


 娘の否定を意に介する事無く、アイアン・ベルは一足で大蛇との間合いを詰める。蛇はその口を開くと、先刻の失敗を繰り返さない様牙を剥くことは無く、喉奥から炎を吐き出した。


 「お母さん!」


 その身に業火の息吹を受けるアイアン・ベル。しかし、心配する娘の声を否定する様に、微動だにせず大蛇の前に立ちはだかる。


 「心配ない、母さんは、アイアン・ベルはあの程度では傷一つ負うことは無いさ。」


 アイアン・ベルは父の台詞に呼応する様に腕を伸ばすと、吹き付けられた炎を片手で払いのける。払った炎が消えはじめる中、言葉が通じるかも分からない大蛇に呼びかける。


 「最早、うぬの力は我には通じぬ。ここからは一方的な蹂躙ぞ。」


 「お父さん!?、アレ本当にお母さんなの?なんか台詞回しが世紀末覇王なんだけどっ」


 姿だけで無く、精神まで変わり果てた母を前に動揺するリン。そんな娘に対し父は両肩をしっかりと掴み、言い聞かせる様に真実を伝える。


 「いいかリン。お前は信じられないかもしれないが、母さんはな。母さんは今・・・ノリノリなんだ。」


 「へ?」


 「ノリノリだ。」


 「いや聞こえなかった訳じゃないから。」


 「なんだか私、リンがこのご両親の娘さんであることに、ものすごく納得しています。」


 しばらく唖然とするだけだったモモチだが、ようやく事態を飲み込んだ。一方で、今度はリンの方が混乱している。


 「その、なんだ。母さんは研究職とは言え企業勤めで、父さんは学問畑だろう?まあそれでお互いの業界の愚痴を言い合うことも有るんだが、あっちはあっちで大変らしくてなぁ。昨今の不景気のあおりで。」


 「お父さん、私今混乱してるけど、これだけは分かるよ。今から凄くどうでも良い話が始まるよね?」


 我ながら聡明な娘を持ったものだと喜びを隠さない父は、呆れる娘を前に構わず話を続ける。


 「娘のために手を抜けないって状況になったことでな、予算やしがらみに囚われることなく研究に集中できた結果、研究者の性なんだろうな、もうめっちゃくちゃ楽しくなってきちゃって。」


 「そっか。私は心配しているのがバカバカしくなってきたよ。」


 いつの間にか父の肩に移り乗って、少しはリンに振り回される私の気持ちが分かった様ですね、という表情でふんぞり返るモモチの仕草も若干腹立たしい。


 リンがカチンときていることに気付いてか気付かずか、モモチは思い出したかの様に父に警告を促す。


 「リンのお父さん、確かにアイアン・ベルなら負けないかもしれないですが、このままじゃフォグズを倒すこともできません。早くステッキをリンにっ。」


 「そうはいかないのだよ、モモチくん。娘をこれ以上危険に遭わせないためにも、大人の私たちで解決できることを、証明する必要がある。そうだろう?鈴子さん、いや、アイアン・ベル!」


 その言葉には、倒すことが可能であると言外に語りかける力強さがあった。そして、呼応するように鉄人は答えを返す。


 「そうね、一音さん。そろそろトドメを刺してみせるわ。」


 「あ、本当にさっきの台詞回しはノリだったんだ。」


 娘が呆れと安心の入り交じった感想を呟いたのを確認すると、アイアン・ベルはチャーミングなウィンクを送り、大蛇に向き直る。


 「さあ、検証の時間だアイアン・ベル。奴は本当に実体の無い悪魔なのか、それとも、実体が無い様に見える“霧”なのか。まあ、あちらの攻撃がこの世界に干渉している以上、予測は出来ているがね。」


 アイアン・ベルは父のアドバイスに同意を示すと、大蛇に向かいパンチを繰り出す。1発、2発、それらは空を切りダメージを与えることは無い。だが、それでも繰り返す。


 その行為に意味が無いことを否定する様に、繰り出される突きは速度を増していく。気がつけば、最早彼女の腕は視認出来ないほどの速度に達し、周囲に嵐を引き起こす。


 霧の魔物が発生した嵐に実体を保てなくなりかけた頃、アイアンベルが突然腕を退いた。


 瞬間、繰り返された打撃の中心に発生した空間に、霧が吸い込まれていく。その現象は真空状態が発生したものというよりも、小さなブラックホールが生み出された様にも見える。


 しかし、吸い込まれたかに見えた霧が消えることは無く、数センチ四方の大きさの固まりとして形を保っている。


 このまま現象が収まれば、再びフォグズが元の形を取り戻すのでは。そう考えがよぎるつかの間、アイアン・ベルの掌がフォグズの塊を掴みきっていた。


 「ヌゥゥゥン!」


 アイアン・ベルは咆哮と供に、右の拳を握り締める。掌中には、かつて魔物だったものと思われる結晶が残され、それが再び魔物の姿をとることは無かったのだった。


 「これが・・・フィジカルプリンセス・・・」


 ついに魔法の力を用いること無くフォグズを倒してしまった鉄人を前に、立ち尽くすモモチ。一方のリンは、脅威が去った後の疑問点の整理に追われていた。


 「限りなくフィジカル寄りだよね。プリンセス成分どこいったのさ。っていうか、お母さんちゃんと元に戻れるんだよね?」


 「大丈夫だ、ちゃんとワクチンも作ってあるから。」


 幸い、父の言葉は娘を安心させるための方便では無く真実だった。ひとまずリンにとっては大団円と言って良いだろう。ひとまず、“リンにとっては”。


 「ところでモモチくん。君がしゃべれるのであれば話しておきたい事があるのだが。」


 「はい、何でしょうか?」


 父が、モモンガに向けて冷静な口調で話しかける。


 「その口調からすると、それなりの立場にある人物とお見受けするが、その姿が真実なのかな?」


 「なんと、見事な観察眼です。確かにワタクシ、公国指定特務機関に務める一級特務員でありまして、この姿は転移の際に境界を通り抜けるための依り代として用意されたモノなのですよ。やはり妻子持ちとはいえ、異界の殿方にも私の魅力は漏れ伝わってしまうのですねぇ。」


 「いや、そうでは無くだね。」


 「はぁ。と、申しますと?」


 「どういう事情があって、親に無断で未成年を巻き込んでいるのか、詳しく聞かせて頂けませんかね。後ほど、妻も交えて。」


 翌日、改めて両親に説明を果たしたことで、無事ステッキも返還された。危なく無い範囲で、という条件のもと、リンの魔法少女としての活動も許可されたのだが・・・。


 後に一級特務員 モモ・ムスターから上げられた読みにくい報告書には“何故そんなところだけ常識的なのか”という愚痴が恨みがましく刻まれていたという。

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魔法のステッキがゴボウにすり替えられていたので、しばいてみた。 @vanlock

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