第06話 令嬢の事情
間一髪の危機を生き延びたテレジアは胸を撫でおろしていたが、わしの方は段々と現実感が戻り始めて気が重くなっていった。
そして、目前に見せる山脈の麓の森の方角へ暫く馬を走らせる。
「ここまでだな…」
そう言ってわしは馬を停めて降りる。
「ここまでというのは?」
「もう馬が使い物にはならん…ここで手放す」
「えぇ!? そんな!!」
ずっと馬で逃走すると考えていたテレジアが声をあげる。
「いや、馬を見てみろ、元々、この馬は荷馬車用の馬で、乗馬用ではない。だから、あんな走りをさせたから、泡吹いてやがる」
「本当…お馬さん、無理させたのね…ごめんなさい…」
塩の汗をかき、疲労困憊の馬を見てテレジアが馬から降りて謝罪する。
「それで、これからどうするのですか?」
「どうするって、森の中に入って山を越えるしかない」
「えぇ!? もしかしてあの目の前の山ですか!?」
彼女は前に聳える山脈を見て目を丸くする。
「そうだ、偽衛兵たちの様子から、相手は何らかの組織だろ。なら、ベルクードのベナレス方面は待ち伏せがあると思われる。だから、山を越えてロラード方面に逃げるしかない」
「わ、分かりました…」
「まぁ、他にも色々聞きたい事はあるが、先ずは追手から身を隠す事だ。森の中へ進むぞ」
こうして、わしらは森の奥深くへと、無言のまま進んでいく。彼女はやはり森の中を歩きなれていない為か、転んだり、躓いたりしていて、その都度、手を貸して起こしてやった。
そして、日が傾き始めたまだ明るいうちに、木に登り追手の様子を確認した後、野営の準備に取り掛かる。枝の広がった木の下に穴を堀り、そこに枝を立てて簡易の焚火場所をつくる。木の下を選んだのは煙を拡散させるのが目的と、穴を掘ったのは、後で産めて焚火の痕跡を消す為だ。
後は、枝を使って獣が通りそうな場所に罠を仕掛けて置き、食べられそうな植物を採取していく。その間、彼女には出来るだけ乾いた枯れ枝とドングリを拾わせておく。
これら全ては、カナビスとの冒険で覚えたことだ。二人で試行錯誤を繰り返しながら何年も旅を続けたのだから手慣れたものだ。
「どうだ? 焚き木はあつまったか?」
「こ、これでよろしいでしょうか?」
彼女は割りばしのような細い枝ばかり集めていた。
「細いのばかりだな、まぁ、火つけには役立つか… ドングリは?」
「とりあえずこれだけ…」
彼女は片手で持てる量しか集めていなかった。
「まぁ、初めてだからこんなものだろう…」
わしは、もう少し焚き木に出来そうな枯れ枝を捜して火をつけ始める。
そして、鍋に水を張り、彼女が集めたドングリをその中に入れる。
「もしかして、そのドングリを食べるのですか?」
「あぁ、そうだが、その前に選別だ。浮いてくるのはダメなやつだ」
「えぇ… 半分以上ういているじゃないですか…」
もともと片手で持てる量しかなかったので、水に沈んで食べられそうなのはほんの二、三個だ。
「では、次からはもっと採って来るんだな、今日はとりあえず非常食と山菜で飯を作るぞ」
わしはリックの中に入れていた、小麦粉を焼き固めたものを適当な大きさに砕き、山菜を一口大の大きさに切って鍋で炊き始める。
「二三日はこの非常食で食いつなげるが、それ以降は真剣に食料を探さないと飢え死にするから覚えておけ」
彼女はこくりと小さく頷いた。
そして、その後二人で山菜粥を食べ、ポットに水を入れて湯を沸かす。
「カイさん! ポットが! ピーって鳴いてますよ!」
「あぁ、湯が沸いた音だ」
わしはポットを火から降ろし、茶葉を入れる。そして、しばらく蒸らせてから木製のマグカップに入れて彼女に差し出す。
「お茶だ、飲んでおけ、身体が温まるぞ」
「ありがとうございます」
彼女はお茶を一口啜ってほっこりとする。
「じゃあ、そろそろ事の詳細を話してもらおうか、俺はもうただの関係者ではない、お嬢さんのせいで、馬も馬車も全て失った当事者だ」
俺の言葉に、彼女は罪悪感を覚えて、頭を項垂れる。本当はもっと言いたい事があった。わしはあの時、馬も馬車も新人も荷物も、そして商売人としての信用も全てを失った。カナビスとアスラーと共に築き上げてきたもの全てを一瞬で失ったのだ。
彼女に対して腹立たしい怒りの感情がある反面、もうどうでもいいやとあっさりと諦めている感情もあった。あの商売はカナビスとアスラーが居てからこそ続けられていたとも言える。しかし、二人の居なくなってしまった状態では、どこか燃え尽きたような感情があって諦め半分怒り半分といった状態だった。
「も、申し訳ございません… 被害は全て目的地についてから弁償いたしますので…」
「それは当然の話だ。それよりもお嬢さんがあのような者に追われている理由を聞かせて欲しいんだが…?」
彼女はマグカップを握りしめたまま暫く黙っていたが、やがてぽつりぽつりと話し始める。
「私はアドリー家の娘で本当の名前はティアナと申します。テレジアは祖母の名前です… 私は家のメイドに唆されて、町娘に変装して、屋敷の外の街に散策に出かけたんです… ところが悪い人に捕まって、外国に売り飛ばされそうになって隙を見て逃げ出したんです…」
「隙を見て逃げ出したっていうなら、俺の様な行商人に頼むのではなく、領主の所でも駆けこめばよかっただろう」
「それが、恐らく領主も一味だと思うのです。オスロープは海峡を挟んでセントシーナに一番近い港町です。私を誘拐した者もセントシーナ語を話しておりました。会話の内容は良く分かりませんでしたが、会話の端々にオスロープの領主のブリッダン卿の名前が出てきましたから…」
「マジか!? でも、あの偽衛兵の装備で気付いたが、行商でもやけにオスロープで帝国の最新の魔道具が良く注文されていたのは、セントシーナに売りさばく為だったのか?」
「だからオスロープの人間は信用できなかったのです…」
彼女の話を聞く限り、彼女がメイドの唆されて一人で街に出て誘拐されたのは偶然ではないだろう。恐らくそのメイドもグルだと思う。また、ベルクードの南方の街は、以前からセントシーナとの繋がりが噂さる地域ではあったが、本当にこんな事があるとは思わなかった。
しかし、変な違和感もあった。確かにテレジア…いやティアナか、彼女は美しい女性ではあるが、国家間の問題を引き起こす可能性があるのに、そこまで危険を犯してさらうような人物でもない。もっと安全にもっと安上がりにさらえる人間なんて腐るほどいる。
では、どうしてか? 恐らく彼女を人質としてアドリー家をコントロールする為? それなら納得がいく。
「こんなもん、普通の賠償だけじゃ割に合わんぞ… 国家ぐるみの陰謀に巻き込まれているじゃないか…」
わしは頭を抱えた。
「本当にすみません…カイさんには大変に申し訳ない事をしたと思っています…だから、私がアドリー家に辿り着いた暁には、一生生活に困らないようなお礼をしたいと思います! だから、お願いです! 私を助けてください!!」
「もう一蓮托生だよ…行く所まで行くしかねぇな…」
わしはそう呟いた。
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