第8話  4月25日 11:32

   8


「皆さん、集まって頂いて感謝致しますわ」


 第一体育館の壁に掲げられた巨大な時計が十一時半を指し示す頃、この場には二年一組の生徒と担任教諭――そして、自らホグラを自称する美少女が集められた。

 未種学園には第一から第四まで、併せて四の体育館が存在する。全て二階建て。内部の構造はバスケットコート三面半分のメインと二面分のサブに区切られ、授業の際は同時に四クラスが使用できる。


「皆さんには、これからスキルの調査に協力して頂きます」


 生徒会にも所属する内空閑うちくが空満子くみこが、クラスメートに招集の意義を伝えた。その隣には担任の炎谷山ぬくたにやまホムラ教諭。常と変わらぬ無表情で生徒達を見守っている中で、視界の隅で生徒ではない娘を観察している。


「……えっと、ホグラさん? いいかしら?」


「……」


 薔薇色の派手な長髪と、落ち着いた紅葉色の瞳。白練の美肌と淡い赤色のワンピースに彩られた姿は、壁一枚隔てた絵画の世界から抜け出してきた天使か女神を思わせる。

 その隣には、出逢った当初からホグラが父と呼び慕う濡羽色の髪を伸ばした美少年――御十神みとがみマナセが、彼女に左腕を拘束される形で曖昧な微笑を浮かべている。


「……言葉の意味、伝わっていますわよね?」


「うん……。普通に日本語で話してたし……、多分?」


「……」


「……まあ、いいですわ」


 空満子が、マナセに確認する。その間も、ホグラは彼の左腕に華奢な両手で抱き着いて口を開かない。無表情だが頬は少し紅潮し、ある程度の感情は窺えた。

 魂すら吸い寄せられる美貌。しかし空満子は見慣れた様子で平然と、改めた口調で言葉を紡ぐ。


わたくしから貴女に二点――確認と懇願を、させて頂きますわ」


「……」


「……ホグラ」


「……何ですか?」


 空満子の言葉をホグラは聞き流し、しかしマナセに促される形で彼女は漸く口を開いた。


「ホグラさんには、私達を害する意思が有るのか無いのか。そして今後は、私達に過度な干渉を行わないで欲しい――と、そういう話ですわ」


 空満子は毅然とした態度で、この世界の鍵を握る人物と相対する。同時に二十人以上の注目を浴びるホグラは、しかしプレッシャーを感じる様子も無く落ち着いて答えた。


「ホグラの仕事は完了しました。皆さんには手を出しません。どうぞ存分に、この世界を楽しんで下さい。――まぁ、父様から御命令を頂けば話は別ですが」


「……そうですか。分かりましたわ」


 暫くホグラを観察していた空満子は、隣のマナセに視線を移した。


「――御十神さん、ちょっといいかしら」


「え? うん、いいよ」


「……父様に手を出したら許しません」


「非常に好ましい殿方だと思っておりますが、恋愛感情は有りませんわ。御安心下さいな」


「……」


 マナセの左腕に絡ませていた両手を離し、ホグラが一歩下がる。


「それでは、御十神さん。此方へ」


「うん」


 マナセはホグラの様子を一瞥した後、二人――彼を連れ出した空満子と火乃宮火乃花ほのかと共に、クラスメートから距離を取った。




「――で、正体は何ですの? 目的は?」


 空満子の核心を突く質問に、しかしマナセは苦笑を返した。


「いや、実は僕も何も分からないんだよね」


「えっと、マナセ君を父様って呼んでる理由も?」


「うん……」


 火乃花の質問にも、マナセは明確な回答を持たない。


「本当の本当に謎の存在ですわね。ですが、恐らく御十神さんに対する好意は本物ですわ」


「何で分かるの?」


「例え得体の知れないバケモノでも、結局は女という事ですわ。御十神さんを見る目が、火乃宮さんと全く同じ――」


「わーわーわーっ! ちょちょちょちょっと空満子ちゃん空満子ちゃん空満子ちゃんっ!」


 慌てた火乃花は、空満子の口を両の小さな手で塞いだ。


「相変わらず、血に似合わず初心ですわね」


「関係ないよっ! もうもうもうっ!」


「はいはい、分かりましたわ」


 その間のマナセは、曖昧に微笑む案山子と化していた。同性二人の喧嘩や口論に異性が一人混じれば、必ず面倒臭い事態に発展する事を彼は何度も経験していた。


「御十神さん、貴方には頼みたい事――いえ、やってみて欲しい事が有りますの」


「やってみて欲しい事?」


「あの娘に対する命令ですわ」


「……命令」


 空満子の攻撃的な発音に、マナセの表情に影が差す。


「何も、難しく考える必要は有りませんわ。私達は、これからスキルを使います――が、その危険性は御十神さんも充分理解している筈ですわ」


「うん……」


 ホグラが講堂でスキルを乱発していた時の体験は、正に人類の業と言える戦争の追体験だった。


「これから先、千と二百人が共同生活する上で――この体育館は重要な施設ですわ。端的に言えば、壊れたら物凄く困りますの」


「でも、外でスキルを使うのも……。改めてスキルを使う火乃花達を見て、他の生徒達が触発されない保障は有りません……」


「私達が詳細を把握する前に爆発した時こそ、本当の終焉ですわ。――だから隠れて迅速に、状況を見極めなければなりませんわ」


「その為に……」


「彼女のスキルが有用、という事だよね?」


 マナセの言葉に、空満子も火乃花も頷く。


「原理は全く分かりませんが、彼女のスキルは時間的な遡行を利用した空間的な修復だと考えられますわ」


「あと、時間軸的な経験の矛盾点を取捨選択できるんだと思う。だから、火乃花達は講堂の事件を継続的に覚えている」


「隠れて迅速に、スキルの詳細を把握する。その為には、これ以上無く理想的な力ですわ。そして、彼女の御十神さんに対する服従心も多少確認できます」


「えっと……。マナセ君、いいかな……?」


「……うん。実は僕も、スキルとか少し気になってたんだ。男の子として」


「その自称は髪を切ってから使うべきですわ」


「え、えぇ~……? す、素敵だと……思うけどなぁ……」




 三人の会議が終わり、クラスメートの輪に戻ったマナセはホグラに先程の件を頼んだ。その時の彼女の反応は、


「父様の為に頑張ります……っ」


 物凄くポジティブだった。


「……逆に安心感が湧きますわね。――では、私から始めさせて頂きますわ」


 生徒達は体育館奧のステージ前に集まり、空満子が一人――クラスメートの列から二歩も三歩も前に出る。そして、一人でステージ上に立つホグラが右手を掲げた。


 ▼■の■■■■

 ▼■の《セーブ》は限定した空間内の情報を記録した!


 体育館の空に、黒いインクで文字が走る。


「……ふぅ。……――」


 虚空に浮かぶ文字は、十秒も経たず大気に溶けて消えた。その様を観察していた空満子は――やがて深呼吸で息を整え、静々と前を見据えた。


 ▼内空閑空満子のスキル発動!

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