第2話

 夜の町での運命的なすれ違いから数日。何事も無かったかの様に平穏な日常を過ごし、今日も今日とていつもの席でノート広げて至極真面目に講義を受ける。彼女も受講しているはずだが、生憎と今日は欠席みたいだ。あの夜を見てしまったが為に要らぬ想像が働く。まぁ、あの美貌だ。男たちが放っておかないだろうとは思っていたが、まさかそっちに手を出していたとは。否、もしかすると年上好きなだけかもしれない。そろそろ気候も暑くなってきたし、軽井沢とかそういう避暑地にある別荘にでも遊びに行っているのかもしれないな。(発想が貧困とか言わない様に)

「あぁ、やっぱり肌綺麗だ。うん、肩幅も小さい」

 突然後ろから小声で声をかけられ、ビクッと驚き振り向こうとすると、頭を手で固定される。振り向けない。僕の頭を押さえるのは細く冷たい女性の指。

「振り向かずそのままで。講義中よ。騒ぐのはマナー違反だわ」

 後ろの席から顔を寄せて耳元で囁くのは例の彼女。やっばい、背中ゾクゾクする。

「あの、何か僕に用事ですか?」

「分かってるくせに。今日はずいぶんとボリュームの少ない服なのね」

 たったあれだけ。一瞬目を会わせたあの邂逅だけで彼女は僕と断定したというのか。そりゃ、同じ講義をいくつか受けているわけだし、姿と顔に見覚えくらいはあったかもしれない。でもフルメイクで、フルカスタムカトキハジメverな僕を特定するなんて。

「……なんのこ」

「別に言いふらさないから安心して。口外されたくないのはお互い様。私もキミに口を継ぐんで欲しいからこうしてこっそり話しかけてるの」

 なるほど、ならここは年貢の納め時か。僕が大人しくなったのを感じて同意と見なしたのか、冷たい指の感触が遠ざかる。それでもまだ彼女の顔は僕の耳をかみ切れそうな最近接距離をキープ。えぇ、僕も男の子ですから。端的に言って嬉しいですよ?

「ねぇ、せっかくだから親交を深めましょう? 今日の夜お仕事は?」

「今のところ何も」

「あぁ、指名で動く感じなんだ」

 ぐ、情報収集されてますよ。弱み握られてますよ。これはもう逃げれませんよ。

「一度帰る時間とか考えると、八時かな? じゃあ八時に粟坂の階段上がったところね。あ、もちろん可愛い格好してきてよ? 私、デートするなら女の子との方が嬉しいタチなの」

 マジすか……



 粟坂というのは個人店舗の雑居感ある飲み屋が軒を連ねる通りから一番近い地下鉄の駅名である。階段を上がったところにあるちょっとした広場は謂わば待ち合わせのメッカ。夜ともなればストリートでギターを弾く人なんかも現われ、それなりに賑わうことになる。そんな人の多い通り。それも大学生も多く利用する場所にこの服装で乗り込むことになるだなんて。

 待ち合わせ時間ほぼぴったりに階段を上がり、辺りを見回すと直ぐに彼女を発見。今日はスキニーに大きな白いシャツですか。パンツスタイルが多いのは趣味かな? 足の長さが強調されて、まるでモデルみたいだ。しかもそのヒールは卑怯だ。身長やばいことになってるぞ。

 声を出すとあまりよろしくないので無言で彼女の前へ行き、ニッコリ笑いかける。

「?」

 ニッコリ、ちょっと疑問混じり、でも優しく笑い返された。あ、駄目だ気付いてくれてない。

「……北上です。お待たせしました」

「え? あぁ! ごめん普通にどこの可愛い子かなって思ってたわ。や、うん。可愛いね。よく似合ってる」

 そりゃどうも。

「てっきりこの前みたいなロリータで来ると思ってたから……へぇ?」

 まじまじと、顔を近付けてくる彼女。元々の身長差+ヒールによって十五センチは長差があるものだから、彼女が屈む様な形で僕の目元を覗き込んでくる。近いっす。めっちゃ変な汗でそうなんですけど。

「メイク上手いね。あ、目蓋本物か。ふぅん、なるほど。これなら下手な女子よりよっぽど本物の女子だわ」

 何を持って本物なのか良く分かんないけど。今日の僕はサッカー生地のフレアスカートにブラウスという涼しさ重視のコーデ。あんまり気合い入れて勘違いしてるみたいになるのも怖いので適度に肩の力を抜きつつ……それでもおろしたてです。髪はロングのウィッグでお下げ二つくくり。これはまぁ、一番のお気に入りなんだけどね。

「よし、じゃ行こっか。大丈夫、別に取って食おうってわけじゃないんだからそんなに怯えないでよ。単なる女子会よ女子会。同じ業種同士での愚痴り大会しましょう?」


 移動した先は路地のちょっと奥のお店。所謂隠れ家的スポットだろう。彼女のアルバイト先なんだとか。アルバイトってことはもしかして斡旋の元締めかと警戒したが、そうじゃなくてこっちは純粋な飲食業としてのアルバイトだそうだ。

「珍しく予約なんかしてくるもんだから何だと思ったら、また違う毛色の子連れて来るとはね。相変わらずだなぁクゼちゃん」

 そんな軽口を叩きながら注文したお酒とフィッシュアンドチップスを置いてくれるカッコイイ女性。店長さんだそうで、僕好みの憧れスタイルを完成させた有様だ。というか彼女、クゼさんって言うのか。初めて知った。大学って、ゼミが一緒か、共通の友だちでもいないと名前なんて分かんないもんだよね。僕、友だちほとんどいないし。

 そんなことをぼんやり考えつつ黙っていると、ここは比較的マイノリティな人が多く出入りするお店だから出来るだけ気を楽にねと声をかけてくれる店長さん。そうは言ってもアウェイであることは変わらないのでまだ警戒中である。

「あ、因みに私は彼女がいます。そして裏でキッチン回してる彼は彼氏がいます。あと、そこのカウンターに座ってるのは」

「あらアタシ?」

「先日、長年連れ添った彼氏に逃げられたんだっけ?」

「海外出張! ちゃんと帰ってくるのはアタシのところよ」

「ま、そんな感じだから。気楽にね」

 ケラケラ笑いながらカウンターへ戻る店長さん。うーん、なんてカオスな場所なんだ。確かにここなら僕も霞んでしまうレベルだぞ。

「面白いでしょここ」

 にひひって無邪気な顔で笑う彼女。普段大学では見せない年相応の、子どもっぽい笑顔だ。そういう顏も出来るんだ。

「あの、誤解を招く前に言っておくと、僕は、その、女性じゃ無いです。自分は男だって思ってますし、恋愛対象も女の人です。もしここがそういう人だけの店なら」

「あぁ、それは大丈夫。特に何の制限も無いし、オーナは男性で奥さんも可愛いお子さんもいるノンケだから。たまたまそういう人に寛容な店になってるだけよ。だから私みたいにゲスい女も出入りを許されるわけで」

 フライをぽいっと口に放り込んでもぐもぐニヤリと、どう見ても悪役の笑みを浮かべる。ゲスね。それじゃあまぁ、ここまで来てしまったのだし、毒を食らわば皿まで。恐れずいきますか。

「回りくどいのは私苦手なの。さくっと聞くけど、さっき恋愛対象は女って言ってたからこの前のアレはお客さん?」

「ホントにドストレートですね」

「今更。じゃあ先に私から話そうか? 私のはアレよ、パパ活? 援交? パトロン? まぁなんでもいいんだけどね。フリーの仲介無し。だからそんなに手広くはやってないけど、そこそこ良い縁には恵まれたからこのまま続ければ四年になる頃には奨学金完済+投資に使えるだけの小銭は出来るはず。まぁ、私もそれなりに苦学生なのよ」

 それに、美味しい物、楽しいこと、気持ちいいことは大好きだしね。とあっけらかんと言う彼女。表面上、何の感情も読み取れない。実は葛藤があったのかも知れない。そうせざるを得ない事情があったのかも知れない。でもそんなものは他人がとやかく気にすべきことでは無い。そんなへの突っ張りにもならない言葉をかける人は、大概が自分より可哀相な存在を気にかけることで自分が生物として優位であると確認したいだけだ。そんな感情の自慰行為に付き合ってやる程僕たちは暇じゃ無い。同情するなら金をくれとはよく言った物だ。「なら、この先の人生アンタが面倒見てくれる?」笑いながらそう言ってのけるだけの強さが彼女にはある気がした。

「美味しい物に関しては同感です。普通に生活してたらありつけなかったですから。僕は仲介登録です。マイノリティ強い分野だからか、運良く守秘義務の堅いちゃんとしたところに巡り会えたので」

「へぇ、どんな人が多いの?」

「社会的地位のある人が多いですね。だから基本優しい人が多いですよ。それに人によってはデート程度で満足な人もいるので」

「ストイックだ」

「……や、アレは真性の変態です」

 思い出すとちょっと頭痛が。とてもいい人だし、色々と恩もあるのだけど……

「何? 舐め回す様な目で見てくるとか? ストーカ?」

「僕を養子にして、娘と息子を兼ねる最強の存在に導きたいとかなんとか」

「あーうん、特殊だ。それに比べると私の方が至って単純かな。若い子に出資して教え育てたいってのはあるんだろうけど、基本的にみんな若い女の子と遊びたいって欲があるもの。色情は分かり易いくらいが純粋で良いよ」

 確かに抑圧されてきた男性は最初どうしても控えめになるかな。でもお金払って予約してデートしているわけだから、その辺はもう全力で前のめりなのかも知れない。でもそこで更に一歩引いてストイックに責めることで更なる快感を……わぁ、考えれば考える程変態だね。

「で、動機は? 承認欲求とかそういうの?」

「それも、無いと言えば嘘ですけど。一番はお金です。僕も奨学金頼りで進学してしまったんで。ホント助かりました。これならちゃんと人としての一生が送れそうです」

「ま、確かにキミなら人気になれるね」

 人気、だろうか。確かに定期的に指名が入るわけだからそれなりには人気か。おかげで仲介の人たちも優しくしてくれるし。ただ、ここに甘んじてどっぷりやると不味そうなことはわかっている。浸かり過ぎない様に。ほどほどに。でもお金はしっかりと。

「でもよく分かりましたね。目が合ったのなんて一瞬だったはずですよ」

「それを言うとキミもよく私だってわかったね。今まで話したことも無かったはずよ?」

 あ、やばいブーメラン。ま、いっか。これ以上隠してる必要も無いし。

「憧れてたんで」

「あら、私マドンナ?」

 ちょっと嬉しそうな顔をするクゼさん。スミマセン、たぶんその幻想をぶち壊します。

「僕ももっと身長高くて、大人っぽい顔立ちで、さらさらの髪ならカッコイイ服が着れるのになって」

「あ、そっちの憧れね。私は、キミいっつも図書館指定席で勉強してるでしょ。あそこ、外からよく見えるから流石に顏覚えちゃってさ」

 知らなかった。確かにいつも同じ席で勉強している。何となく外の景色も見えるからお気に入りだったのだが、そうか外が見えると言うことは外からも見えるのか。

「あと、キミが時々女性物のファッション雑誌を買っていくのを人伝に聞いたから気になっちゃって」

 思わず口に含んだお酒を吹き出す。え、マジですか。そういうの出来るだけ大学から離れたところでって思ってたんだけど……

「まさかその話広まってたり……」

「大丈夫大丈夫。彼女、同士なら仲良くなりたいなって言ってたから。因みにここの常連ね。そっか、でも同士ではないね。だけどよかったら今度紹介させて? 美を追究することに関しては私も師匠と崇めるテクニシャンだから。知り合って損は無いはずだよ」

 ほう、それは是非お友だちになりたいものだ。あまりコミュニケーション能力が高くないものだから大学入学からこっち、こんな趣味もあるし友だちと呼べる人間は皆無に等しいのが現状である。所謂ボッチ勢。まぁ、暇があれば勉強かアルバイトしてるから別に生活に不満があるわけでは無いんだけどさ。大学に入る前の生活に比べたら天国もいいところ。僕の人生における最良は今であり、それは現在尚進行形。望んで今の状態である。

「ま、そんな感じに私は私で大学の皆にはおおっぴらに言えないアルバイトでお金貯めてるし、キミも似た様な状況。どうせなら仲良くしましょう? 可愛いこ子と仲良くなれるなら私は大歓迎よ?」

「こちらこそ。憧れの女の子と仲良くなれるなんて、まるで漫画みたいで嬉しいです……って何ですかその目?」

「キミ、ホントに男なのよね」

「はぁ、まぁ」

「うん、そっか。や、随分と可愛い表情するものだから困ったなって」

 可愛いって……や、そんなん貴女の方がどれだけ可愛いことか。

「あ、私もちゃんとカムするけど、バイだから」

 マジすか……


 兎角、そんな感じに。僕と彼女の端から見れば奇妙な交友はスタートしたのでした。

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