餌を与えてください

 すっかり暗くなった夜道を真冬ちゃんと歩く。正確には俺の背中で熟睡している人と真冬ちゃんに手を引かれてゾンビみたいに歩いている人もいたけど、意識があるのは二人だけだ。


「ごめんね真冬ちゃん、お酒飲めないのに」

「ううん、無理やり混ざったのはこっちだし。それに……私も楽しかったから」

「それなら良かった。真冬ちゃんがお酒飲めるようになったらまた飲み会やろうね」

「うん、楽しみにしてる」


 初夏の生温い空気とまったりとした時間が俺たちを包む。


 特に話題も無く、それから俺たちは黙々とマンションへの道のりを進んだ。真冬ちゃんとは毎日一緒に通学してるから話したいことはもう大体話しているし、沈黙が気まずくない関係性が出来上がっていた。やっぱり幼馴染なんだなあとこういう時、思う。


 十分ほど歩いて、俺たちは無事にマンションに到着した。


「じゃあ俺はひよりんを寝かせてくる。二人とも今日はお疲れ様」

「…………うぃ~……」

「お休み、お兄ちゃん」


 合鍵を使ってひよりん家に入り、慣れた足取りで寝室に進む。ひよりんをベッドに降ろすと、溜まっていた疲労が一気に噴き出してきた。


「あー疲れた…………洗い物もないし、今日はもうさっさと寝ちまうか」


 ひよりん家を出て、自宅に帰ろうとし────視界の端のドアがどうしても気になった。


「あいつ大丈夫かな…………結構ふらふらだったけど」


 酒に慣れているひよりんと違い、静は完全にお酒初心者。今日のように泥酔したことなんてきっとないんじゃないか。ひよりんは酒が残らない体質みたいだけど、静はどうか分からないし。


「…………水でも買っていってやるか」


 アルコールを分解するには水とブトウ糖が必要不可欠。二日酔いにならない為には、今が一番大事なんだ。



 コンビニで水とラムネを購入した俺は、合鍵を使って静の家にお邪魔することにした。合鍵を交換するのは反対だったけど、こういう時は助かるな。


「静ー、入るぞー?」


 ドアを開けながらリビングの方に声を掛けてみる。もう寝ているのか、静の家は真っ暗だった。出来れば起こしたくないから電気を点けずに行きたいが、ひよりんの家と違い静の家はそうはいかない。どこに天然のまきびしが落ちているか分からないからだ。


 玄関傍のスイッチで電気を点けると────そこにはまさかの光景が広がっていた。


「────いっ!?」


 なんと────静が玄関に倒れていた。靴すら脱いでいないことから、帰るなりすぐぶっ倒れたことが分かる。


「おい静!? 大丈夫か!?」

「…………んにょ~ん……だいじょび……」

「だいじょびって言う奴は大丈夫じゃないって相場が決まってるんだ。とりあえずベッド行くぞ」

「やん…………だいたん…………」

「うっせえ酔っ払い」


 内容はともかく受け答え自体は出来ているからとりあえずは胸を撫でおろす。靴を脱がせ、静を抱きかかえると、俺はリビングを通り抜けて寝室に向かった。リビングは相変わらず汚い。こまめに掃除しているのに、どうしてすぐ汚れてしまうのか。多分静はリビングを大きなごみ箱だと思ってるんじゃないか。


「おろすぞー」

「うぃ~…………」


 ベッドに座らせると、静はそのまま後ろに倒れ込んで寝ようとする。俺は慌てて肩を掴んだ。


「静、寝る前にラムネ食べとけ。あと水も。その様子じゃ多分二日酔いは免れんだろうが、全然違うはずだ」

「んー…………」


 そう言って静に水とラムネを持たせてみるも、静は一向に動く気配がない。


 目も閉じてるし、寝てるんじゃないだろうな……?


「おい静────」

「たべさせて…………」

「は…………?」

「たべさせて…………」


 静はゆらゆらと揺れながら、親鳥から餌を貰う雛鳥のように口をつん、と上に突き出した。薄ピンク色の唇がまるで花弁のようにこちらに花開いている。


「…………マジか」


 食べさせてって…………なあ?


「はやく…………」

「ああもう…………分かった分かった。あとから文句言うなよ!」


 俺は静からラムネの袋を奪い取ると、乱暴に封を開けラムネを一粒取り出した。ラムネは小指の爪ほどの大きさしかなく、これを食べさせるにはどうやったって唇と指が接触してしまう気がした。


 …………出来れば自分で食べて欲しいが、仕方がない。こうしている間にも静の肝臓は悲鳴をあげているんだ。


「…………ほれ、食べろ」


 極力ラムネの端をつまんで、俺はゆっくりとラムネを静の唇にくっつけた。思い出すのは小さい頃、動物園でキリンに餌をあげた時の記憶。自らより遥かに巨大な生き物に餌をあげるのは物凄い恐怖だったが、間違いなくあの時よりも今の方が緊張していた。


「ん…………」


 静はゆっくりと唇を内側に巻き込むようにして、ラムネを唇の内側に取り込んでいく。ラムネの端には俺の指がある訳で────当然の帰結として、俺の指は一瞬だが静の唇にくっついてしまった。


「うっ…………」


 俺は咄嗟に脳内で念仏を唱えた。そしてありとあらゆる昆虫を脳内で想像していく。グロテスクなカブトムシの裏側を想像したあたりで、理性が本能を抑え込むことに成功した。


「…………よし、あと五個くらい食べとこうな」

「はぁーい…………」


 無心で餌付けを終え、水を飲ませる。静をベッドに寝かせると、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。


「…………とりあえずは大丈夫そうだな」


 いくつか目立ったゴミを拾い集め、俺は静の家を後にした。

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