ひよりんの膝枕大作戦

「ひ、ひよりさん…………?」

「お姉ちゃん、でしょ?」


 こちらを見上げ微笑むひよりんは、顔は笑っているのに声が全く笑っていなかった。柔らかな笑顔とドスの効いた声色のギャップに俺の背筋は容易く凍りつく。まさか推しの声優の演技力をこんな形で実感するなんて、夢にも思わなかったな…………


「…………お、お姉ちゃん」

「よろしい!」

「うおっ!?」


 ほくほく満足顔のひよりんが俺の手を取りぐいっと引き寄せてくる。ソファに突っかかった俺はひよりんにもたれるようにソファに倒れ込んだ。


「わぷっ────まったくもう、こどもちゃんったら。甘えんぼさんなんだから」


 言葉だけ聞けば迷惑そうなそのセリフだが、ひよりんの声は幸せに満ちていた。満ち満ち満ち満ちていた。どこか柔らかい所に思い切り顔面から突っ込んでいた俺は、ひよりんの表情を窺い知ることは出来なかったが、間違いなく蕩けているんだろうなと確信出来るくらいにその声には感情が籠もっていた。

 ひよりんのいちファンとして、ここはひよりんの演技力の高さを誇りに思うべきなのか、それとも脳内から必死にシャットアウトしているこのむっちりとした感触と向き合うべきなのか。答えを知ってる人がいたら教えてくれ。


「私ね、ずっとこうしたかったんだあ」


 ひよりんの手が俺の体を僅かにずらすと、俺の顔面及び上半身はひよりんの身体をズルズルと滑り落ちていく。俺の顔が今どこに当たっているのかなんて考えたくなかった。険しい丘陵地帯を越え、俺はしっとりとした感触に包まれた。


「う…………」


これがどこかは流石にすぐ分かった。


 ────ひよりんの太ももは、ハッキリ言ってめちゃくちゃエロい。


 ザニマスのLIVE終演後のツブヤッキーは「ひよりんの太ももエロすぎた」等の呟きで溢れかえるし、現地で周りのオタクが「気付いたら太ももしかみてなかった」と言っているのを何度も聞いた。「ちゃんとLIVE観ろよ…………」と思いながらも、正直俺もめっちゃ見てた。勝手に目が吸い寄せられてしまうんだ。理由は分からない。多分俺が男だからだと思う。


 そんな太ももに────俺の顔がくっついている。酔いは完全に覚めていた。


「ほら、ちゃんとソファに乗って」


 促されるまま俺はずり落ちていた下半身をソファに這い上がらせた。上半身を支えにしていたせいで顔が太ももに押し付けられて、俺は身体の芯から湧き上がる何かを必死に我慢した。頭の大半は困惑でいっぱいだったが、わずかに残った部分が強烈に「幸せ」を発している。酔った女性に対してこんな事を考えているのがバレたら幻滅されるだろうか。だとしてもどうしようもなかった。俺は健全な大学生だし、健全な大学生は『推し』に膝枕されたら幸せを感じてしまうものなんだ。


「こどもちゃん、どう? 気持ちいい?」

「は、はい…………」


 気持ちいいのかは正直自信が無かった。柔らかいのに、強烈に居心地が悪い。落ち着かないのだ。心臓の鼓動がひよりんに聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいにうるさい。


 …………ひよりんが酒乱だというのは重々承知していたが、ここまでの痴態は今までに無かった。これはもう、殆ど犯罪じゃないか。誘惑罪とかそんな感じの。ひよりんの太ももは世が世なら取り締まられている程の破壊力を有している。そういえば膝枕ってどうして膝枕って言うんだろう。実際に頭を乗せるのは太ももなんだから、性格には腿枕じゃないか?


 頭が暴走して色んな思考を行ったり来たりする。でもそんなカオスな状態が今は丁度良かった。深く考えると俺はひよりんに手を出してしまう気がした。健全な大学生男子は『推し』に腿枕されたら手を出してしまうものなんだ。


「…………こどもちゃん、お姉ちゃんのこと酔ってると思ってるでしょ」

「そりゃあ、まあ…………」


 拗ねたようなひよりんの声が頭上から降ってくる。

 これで酔っていなかったら完全に痴女だろう。ひよりんが酔ったふりをして大学生を誘惑する26歳になってしまう。そんなものは成人向け漫画の中でしか見たことがないし、現実には存在しないことを俺は知っている。


 …………のだが。


「────酔ってないよ、蒼馬くん」

「えっ?」


 ────聴こえてきたのは、いつもスマホ越しに聞いているあの声。その真剣な声色は、さっきまでのひよりんとはまるで別人だった。


「ひよりさ────ぶべべ」


 今の言葉の真意を聞こうとした俺の頬を、ひよりんの手が押し留める。


「蒼馬くんに膝枕してあげたくてね、ついお酒の力を借りちゃった。私が癒やしてあげたいのは、こどもちゃんじゃなくて蒼馬くんだから」

「そ、そうなんですか…………」

「そうなんです」


 …………ひよりん、やっぱり絶対酔ってるって。いくら俺に感謝していたとしても、普段のひよりんなら絶対こんな事は言わない。今頃後悔して耳まで真っ赤になってるはずだ。頭を太ももに押し付けられている俺にそれを確認することは出来なかったが。


「…………いつもありがとね、蒼馬くん。今日だって付き合って貰っちゃって」

「いや…………こっちこそ…………ありがとうございます」

「うふふっ、何に対してのお礼なのそれ」


 この柔らかい感触に対してです────とは、流石に言えなかった。

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