ベッドで抱き着く林城静

 極々客観的に、目に映る情報だけを描写するのであれば…………林城静という女性はちんちくりんである。


 胸はない。かといって尻があるわけでもない。腰は細いが、そもそも身体全体が細い。きっと偏った食生活…………いや、生活習慣のせいだろう。


 「いくら食べても太らないんだよねー」ある日静は言っていた。確か蒼馬会で、静がお茶碗を突き出して白飯のおかわりを要求した時だったか。静は自分でご飯をよそう事も出来ない。蒼馬会の女性陣は皆細いから心配なかったが、特定の層に聞かれては末代まで恨まれそうなセリフだなと思った。

 いや、そう言えばひよりんはダイエット中ではなかったか。もしかしたら静はひよりんに恨まれているかもしれない。夜中にスナック菓子をバリボリと貪り、日中は惰眠を貪り、基本的に家から出ない。そんな奴にウエストの細さで負けているのは、女性にとっては年々上昇していく税金額よりも許しがたいことではなかろうか。


 林城静はちんちくりんである。俺は脳内で繰り返した。


 林城静はちんちくりん。


 欲情する要素など、ありはしないのだ。





「…………蒼馬くん、寝ちゃった?」


 シン、と静まった部屋に静の声が響いた。寝れる訳がない。五感が研ぎ澄まされていた俺は、甘い匂いが部屋中に広がった錯覚を受けた。


 …………静の声って、こんなに可愛かったか。

 思い返せば、そういえばそもそも俺はエッテ様の声が好きだった。全く同じという訳ではないが、同じ喉から発されている静の声も好みなのは当然の帰結と言えるのかもしれない。今この瞬間に自覚したくはなかったが。


「…………起きてるぞ」


 早く寝てくれ、俺は心の中でそう強く念じた。何なら今からでも自分の部屋に戻ってくれていいぞ。はっきり言ってこのままじゃ俺は徹夜確定だ。ギンギンに目が冴えて寝れる気配が1ミリもない。エアコンを点けているはずなのに、身体にはじっとりと汗をかいていた。際限なく大きくなる心臓の音は、果たして静に聞こえてはいまいか。


「良かった。ねえ、少しお話しない?」


 声の聞こえ方から、静はどうも仰向けになって天井を見上げているのだという事が分かった。俺は横向きになって静に背を向けていたから、声からしか静を感じることは出来ない。


 俺のベッドはその長辺の片方を壁につけていて、1つのベッドで一緒に寝ることを命令された俺は、せめて壁の方を向いて寝たいと思った。それが一番心を無に出来ると感じたからだ。だが、静は壁際を所望した。俺は逆らえず、今晩の安息を失った。

 当然横目に静の存在を感じてしまう仰向けになどなれるはずもなく、俺は横を向いて必死に目を閉じていた。そんな所に声がかけられたのだ。


「…………話?」


 こうして寝る間際にぽつぽつと途切れがちな会話をすると、修学旅行の夜を思い出す。クラスの気になる女子の話題になった時、俺は何と言ったんだったか。今となっては遠い記憶の彼方だ。


「うん。私たちさ、あんまりこうやって落ち着いて話すことないじゃない」


 それはお前が騒がしいからだ。

 喉元まで出かかったその言葉を、俺は何とか押しとどめた。


「まあそうかもな」


 そういう話で言えば、別に真冬ちゃんともひよりんとも落ち着いて話す機会なんてほとんどない。色々おかしな事になってはいるが、そもそも俺たちは只の隣人であり、夜飯を一緒に食べるだけの仲なんだ。


「蒼馬くんってさ、今、楽しい?」


 まるであらかじめ質問を用意していたかのように、静が聞いてきた。


「どういうことだ?」


 表情が見えないからイマイチ静の感情が掴めなかった。


「ほら、私無理やりバーチャリアルに誘っちゃったじゃない。迷惑じゃなかったかなって」

「…………ああ」


 新人VTuber『大人こども』は絶賛活動中だ。チャンネル登録者数は先日なんと50万人を超えた。配信頻度も少ないのに何故だか人気なのだった。ゲーム配信より雑談配信の方が人気があるのは珍しいな、とこの前麻耶さんに言われたが、VTuberについてそこまで詳しくないので「そうなんですか」と相槌を打つことしか出来なかった。まあ、割と楽しんではいる。


「迷惑じゃないぞ。結構気分転換になってるしな」


 顔も知らない不特定多数の人に身の回りの事を話すのは、なんというかこれまでの人生で経験したことのない感覚で、それなりに心地よかった。基本的にコメントがあったかいからかもしれない。少々過激なお姉ちゃんズもいるにはいるんだが。


「それならいいんだけど。大学に料理に、配信も。大変じゃないかなあって心配してたんだ」

「…………お前ん家の家事もな」

「うぐっ…………ごめん」

「冗談だよ。別に、お前の世話をするのは嫌いじゃない」

「そうなのっ?」


 声色だけでも、静がぱあっと笑顔になったのが分かった。


「ゴミ屋敷が出来上がっていくのをただ黙って見てる方が苦痛だからな」

「なるほど、そういう…………」


 あ、しょげ顔になったな。感情が分かりやすい奴だ。


「…………まあ、静が隣に住んでたお陰で『推し』のピンチに駆けつけられた訳だからな。良かったよ」

「…………ほぁ」


 今日の風邪は深刻な感じでもなかったけど病は気からという言葉もある。ウサギは寂しさでは死なないが、静は死んじゃうかもしれないからな。誰かがそばについていたから早く治ったという事は多分にあるだろう。


「…………っ」


 背中に温かい感触が触れ、俺は声を出してしまう。この状態であたるものと言えばひとつしかない。静の身体だ。


 …………俺の背中の感覚を信じるならば…………静、俺の方を向いてないか。手やら頭やらが当たっている気がする。


「…………静…………?」

「お休み、蒼馬くん」


 静の手が、背中を乗り越えお腹に回される。

 静はそのまま、後ろから俺に抱き着くようにして眠りについてしまった。


 勿論、俺は一睡もできなかった。

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