林城静復活

 綺麗になったばかりの床に押し倒され、俺の視界には我が家と全く同じ綺麗な天井が広がっていた。女の子に押し倒されているという緊急を要する状況にもかかわらず、俺の頭は「流石の静も天井は汚せないんだな」などとのんきな事を考えていた。現実逃避的な心のメカニズムが働いているのかもしれない。


「真冬ちゃん…………?」


 真冬ちゃんは俺に覆いかぶさったまま動こうとしない。丁度俺の胸辺りに頭を埋めていて、俺からは綺麗なつむじが良く見えた。何故だか俺は無性につむじを押してみたくなり、人差し指の腹で押してみることにした。


「ひゃうっ!?」

「あ、びっくりした? ごめん」


 真冬ちゃんは素っ頓狂な声を挙げ、びくっと身体を震わせた。何だか反応が過剰な気がするけど、もしかしたらつむじが弱点なのかな。


「な、なに…………?」

「いや、それはこっちの台詞なんだけど…………」


 とりあえず、早く俺の上から降りて欲しい。寝てるから大丈夫だとは思うけど、こんな所を静に見られたらまた厄介な事になるに違いない。


「真冬ちゃん、ほら、とりあえず降りよう?」


 背中をぽんぽんと叩いて急かしてみるも、真冬ちゃんは言う事を聞いてくれない。俺の上でじーっとしているその様は昔飼っていたミドリガメを思わせる。何だか今日はミドリガメの事を良く思い出す日だ。


「────お兄ちゃん」

「ん?」


 俺の胸に顔を埋めたまま真冬ちゃんが口を開いた。


「私────諦めないから。今は妹でも、いつか絶対彼女になってみせる。だから────覚悟しててよね」


 真冬ちゃんはそう言うと、俺の上から起き上がった。立ち上がり、乱れた服を直すとリビングから出ていく。少しあって玄関のドアが閉まる音が響いた。


「いや…………そもそも妹ではないんだが…………」


 俺は真冬ちゃんが出て行ったドアを見つめながら、そう呟くことしか出来なかった。





「ふっかーつ!」


 午後9時。

 ベッドから起き上がった静が、両手を上げ高らかに叫んだ。昼の様子から考えるとかなり早い復活だ。やはりゴミ屋敷に生息している静は免疫力が高いのか、ものの数時間で菌だかウィルスだかを撃退してしまったらしい。


「良かったな、静」

「うん! ありがとねー蒼馬くん! ずっと一緒に居てくれたの?」

「途中夜飯作るために抜けたりしたけど、まあ基本的には」


 因みに今日は真冬ちゃんとひよりんと3人で夜ご飯を食べたんだが、真冬ちゃんはすっかりいつもの様子に戻っていた。


「本当に蒼馬くんのお陰だよ」

「いや、いいって。元はと言えば俺が傘忘れたせいだし」


 屈託のない笑顔を向けてくる静を、けれど俺は直視出来ず、自然なふうを装って視線を逸らした。昼間の事件を忘れた訳ではない。


 果たして静がお昼の事を覚えているのかいないのか、それが問題だった。あの時の静は朦朧としていたし、もしかしたら俺に裸を見られた事を覚えていないかもしれない。出来れば藪を突くことなくこの場を乗り切りたかった。


「いやー、まさか私が風邪をひいてしまうとはねえ」

「何とかは風邪をひかないっていうのにな」

「んっ!? もしかして今馬鹿にしなかった!?」

「いやいや、そんなこと無いぞ?」

「そうかなあ。そのセリフの何とかって絶対アレだと思うんだけど」


 会話を続けながら静の態度を探る。俺は少し希望を持ち始めていた。この雰囲気だと静はお昼の事を覚えてないんじゃないか。だって覚えているのなら、恥ずかしがるとか、怒り出すとか、裸を見られた事に対するアクションがあるはずだ。それが無いということは、つまり静は覚えていないんじゃないか。


「────ところで蒼馬くん」

「何だ?」


 覚えていないと確信した俺は肩の力を抜き、リラックスした。笑顔の静に微笑み返す余裕すらあった。良かったな静、熱が引いて。


「────蒼馬くん、私の裸…………見たよね?」

「え…………」


 言葉が出なかった。何かを言おうと口が動かすが、言葉にならず、俺は無様に口をパクパクさせるだけだった。


 静は毛布を抱き寄せるように集めると、そこに顔を埋めた。


「あの…………あのね。聞いてくれる…………?」

「あ、ああ…………」


 毛布の塊の中からくぐもった声が聞こえてくる。


「蒼馬くんはさ…………私の裸…………見た訳じゃん…………」

「すまん…………」


 やっぱり、静は覚えていた。どうしよう。どうすればいい?


「それでね…………やっぱり、裸を見たからには…………蒼馬くんには責任があると思うんだ」

「…………そうだな」


 一体何の責任かは分からないが、静にショックを与えてしまったのは確かだろう。


「本当にごめん。俺に出来る事なら何でもするから」


 果たして女性の裸を見るという大罪と償う事が出来るのかは分からないが、その為なら全力を尽くすつもりだ。


「何でも…………?」

「ああ、何でもだ」


 部屋の掃除でも、炊事洗濯でも、何でもやるつもりだ。

 …………あれ、でもそれは既にやってないか?

 じゃあ俺に出来る事って後は何があるんだろう。


「…………それじゃあ、お願いがあるんだけど…………いいかな?」

「何でも言ってくれ」


 荷物持ちか? それともマッサージか?

 俺は身構えて静の言葉を待った。


「じゃあ────」

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