この会社は大丈夫なのか?

「面白い。許可する」

「まじっすか」

「…………よし」


 日が傾き、空に赤みが差し始めた七月の夕方。

 俺は真冬ちゃんを連れ、二日ぶりにバーチャリアルの事務所を訪れていた。


 麻耶さんは冗談みたいに忙しいらしく、今週で自由な時間が今この瞬間の15分間しかないらしい。たまたま大学終わりからでも間に合う時間だったのが助かったな。


「…………本当にいいんですか? あの…………真冬ちゃんは正確には妹じゃないんですけど」

「戸籍上だけの話です」

「ちょっと黙ってて真冬ちゃん」


 前のめりになる真冬ちゃんを手で制する。ごちゃごちゃされると時間をオーバーしてしまう。


 …………麻耶さんは俺の話を聞いているのか不安になるレベルで即答した。というか多分まともに聞いてない。聞いていたら絶対オッケーが出る訳がないんだ。だって真冬ちゃんは妹じゃないんだから。


 麻耶さんはそこで初めて、忙しそうに何かを入力していたノートパソコンから顔を上げた。

 視線を彷徨わせて…………その焦点が真冬ちゃん上で結ばれる。


「そこの…………真冬ちゃん、だっけ? 配信に出るのは構わないんだけどさ、ひとつだけ約束してくれる? 配信に出る上で、完璧に妹を演じる事。それが約束出来るなら君の出演を許可してあげよう。なんなら3Dモデルを用意してやってもいい」

「得意分野です」


 品定めするように厳しい眼を向ける麻耶さんに、真冬ちゃんは少しも動じず即答した。


 …………言うほど得意分野か?

 真冬ちゃんの演じる妹は、明らかに通常の兄妹を逸脱している気がするんだけど。それとも世の妹は俺が想像しているよりもずっとお兄ちゃんの事が大好きなんだろうか。


 多分、妹がいる兄に聞いたら全力で否定される気がする。今度ケイスケにでも聞いてみようかな。


「ならこの話は終わりだ…………蒼馬、お前には期待しているからな。オーディションで採る他の奴らのようにキャラ作りをする必要もない。おそらくお前はそのままが一番ウケるはずだからな。妹の件はリスナーの反応を見ながら少しずつ馴染ませていけ。それと…………エッテご飯の件は引き続き頼むよ。あれウケが良くてな。アンリエッタ、東京に越して以降露骨に数字が良いんだよ」


 麻耶さんは少しだけ頬を緩ませた。

 …………もしかして今のが笑顔なのかな。ほとんど変わっていなかったけど。


 大学と料理があるから頻繁に活動は出来ない件は予め伝えていて、快く了承して貰っていた。それにはエッテご飯の事も関係しているんだろう。VTuberの活動より生活を優先していいというのは、個人的にはかなり気が楽になる。


 人気になりたいなら配信頻度は高い方がいいんだろうけど…………正直俺にはそういう願望もないしな。生活リズムを変えるのもあまり好ましくない。必死にオーディションを受けている他の人には申し訳ないと思うけど。


「分かりました…………あの、一つだけいいですか?」

「なんだ?」


 眼鏡の奥の鋭い瞳が、ギラリと光った。


「キャラ作りの件なんですけど…………俺、ハードボイルド系のキャラにするわけには」

「却下だ。似合わん」

「そんな…………」


 …………やっぱり麻耶さんは人の話を聞いていない説があるな。

 俺にハードボイルドが似合わないなんて、そんな訳ないよな?





「ふん…………ふふん…………ふーん♪」


 マンションへの帰り道。

 真冬ちゃんは珍しく上機嫌だった。鼻歌を歌って足取りも踊るように軽い。


「楽しそうだね、真冬ちゃん」

「そう見える? …………なら、そうなのかも」


 そう見えるというか…………寧ろそれ以外の何なんだというくらいには全身から幸せオーラが出ているように見えるんだが。まさか自覚がないのか?


「それにしても良かったね。二人で配信出来るようになって」

「うん。もしダメって言われたら静を脅さないといけないところだった」

「脅すって…………あんまり静の事いじめないでやってくれよ?」

「それは向こう次第かな?」


 建物の隙間から見え始めた自宅マンションに視線をやりながら真冬ちゃんが言う。静の事を意識しているんだろうか。男の俺には分からないが、女性同士色々あるみたいだった。この二人が喧嘩して静が勝つビジョンが全く見えないし、もしもの時は俺が静を助けてやらないといけないかもしれない。


「ま、何にせよ仲良くな」


 真冬ちゃんの頭をぽんぽんと叩く。真冬ちゃんの黒い髪はいつもキラキラと艶めいていて、気を抜くと触りたくなるんだよな。さらさらしてて気持ちいいんだよ本当に。


「────お兄ちゃん、ひとつ教えておいてあげる」

「なんだ?」


 真冬ちゃんがふらふらと頭上に手をやって、俺の手を捕まえようとする。何往復か彷徨わせたのち俺の手はつかまってしまった。


「女の子はね…………頭を撫でられるより、こっちの方が好きなんだよ?」


 真冬ちゃんの細い指が、俺の手に絡みつく。

 指と指を交互に絡ませあう、この繋ぎ方の名前は確か────


「…………真冬ちゃんは妹なんじゃなかったっけ」

「俺の彼女だって言ったのはお兄ちゃんだよ?」

「だからあれは違うんだって…………」


 あの時の事、いつになったら忘れてくれるのかなあ。


「ふふ、恨むなら罪作りなその口を恨んでね?」


 ぶんぶんと繋いだ手を振って歩く真冬ちゃんは、やっぱり機嫌がいいみたいだった。


「…………」


 そういえば────小さい頃もこうやって手を繋いで歩いたっけ。


 お互い大きくなっても変わらないその手の感触に、つい昔の事を思い出した。

 

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