ネットの『推し』が隣に引っ越してきた

 何度も写真を見返したけどやっぱりエッテ様がアップした写真に映っているのはしずかのパソコン類で、小学生でも分かるその方程式を解くと、つまりエッテ様は静ということになるんだろう。


 まあ確かに『引っ越ししたばかり』『パソコンを使う仕事』『フリーの仕事』などなど合致する要素は沢山あるし、何ならコンビニで買われていた超激辛ポヤングは静が買ったんだろう。エッテ様が放送で『近くのコンビニに売っていた』と言ってたし。静が今日中に荷解きを終えたがっていたのも合点がいく。


「…………いや、マジかよ」


 推しが…………隣に!?


 なんですか、これ。

 ドッキリにしちゃあ少しやりすぎじゃないか?


 こんな展開、アニメや漫画でしか見たことないんだが?


「…………いや、マジ?」


 現実が信じられなくて、もう何度もそう呟いていた。


「…………つーか、中身可愛すぎるだろ」


 「ありがとー、蒼馬くん!」静の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 VTuberの中身ってどんな人なのかなあ、なんて考えたことはあるけど、まさか3Dモデルに負けず劣らずの可愛さだとは想像もしなかった。出来の悪いフィクションみたいだよな。でも現実なんだこれは。


 つーかエッテ様に名前呼んで貰っちゃったよ俺。


 エッテ様呼び捨てにしてるよ俺。


 ぐふふ。


「イカン、ニヤけてばかりではいられんのだ」


 表情筋に力を入れ、無理やりキリッとさせる。

 俺の前には今、一つの大きなクエスチョンがあった。


 つまり、『伝えるか、伝えないか』だ。


 それぞれのメリットを考えていこう。


 伝えた場合のメリット…………静に隠し事をしないで済む。


 伝えない場合のメリット…………仲のいい隣人のままでいられる、身バレしたと警戒されずに済む(最悪の場合引っ越してしまうかも)、こっそりと放送とのギャップを楽しむことが出来る。


 …………こんなもんか。

 こうして考えてみると、『身バレしたと警戒されずに済む』がほぼ全てだ。マジでまた引っ越してしまいかねない。折角ラブコメの主人公みたいなラッキーが降ってきたのに、それを自ら手放すなんてことはまっぴら御免だ。エッテ様、それに静との繋がりは絶対断ち切りたくない。


「…………決まりだな」


 俺はルインを起動すると、静の名前をタッチする。

 「これからよろしくね!」と数時間前に静から送られた会話で最後になっているそのルームに、俺は手短に文章を書き込んだ。


『ポヤング、お疲れ様』


 俺は女性には嘘をつかない主義なんだ。

 水色の下着を履いている女性には、特にな。





『…………ちょっと今からそっちいっていい?』


 そんなメッセージが返ってくるや否や、インターホンが鳴った。

 玄関を開けると興奮した様子の静が雪崩込んでくる。


「蒼馬くん、何で知ってるの!?」

「いや、写真に映ってるデスクに見覚えあったから」

「…………あ」


 俺の言葉に静は早くも謎が解けたようで、開いた口が塞がらない様子だった。


「時既に遅しなんだけどさ、身バレするからあんまり写真はアップしない方がいいと思うぞ? まあ、今回はちょっとイレギュラーだと思うけど」


 住んでいるマンションの外観などが映っていた、とかであれば不用心だが、自分のデスクの写真から身バレに繋がるとは普通考えないだろう。現に俺が引っ越しの手伝いをしていなければバレることは無かったし。


「うー…………やらかしたなあ…………まさか初日から身バレするとは…………」


 静は口調こそ緩いが存外凹んでいた。

 まあ人気者は色々大変なんだろう。俺には分からない悩みだ。


「ねえ蒼馬くん、お願いがあるんだけど…………」

「今日のことなら誰にも言う気はないぞ?」

「え?」


 心底驚いた、静はそんな表情を浮かべた。


「当然だろ。推しの迷惑になるような事したくないし」


 そう言うと、静は見開いた目を更に大きくした。


「えっ、えっ…………蒼馬くん、私推しなの!?」

「まあ。だから静がエッテ様だって気付いた時はめちゃくちゃびっくりした」

「いやー…………うん。それは…………うん。びっくりするよね…………」


 申し訳なさそうに静が目を伏せる。

 推しがこんなんで幻滅したよね…………とか思ってるんだろうか。


「黙っとこうかなーとも思ったんだけどさ。なんつーか…………ここのマンション、全然人が入らなくてさ。俺ずっと一人だったんだよね。そんでさ、やっと出来た気の合いそうな隣人に隠し事するのもなんか違うな…………と思っちゃって。俺、エッテ様どうこう関係なしに静とは仲良くやっていきたいって思ってるから」


 照れくさくて頬の裏を舌でつつきながら俺は気持ちを伝えた。

 俺の言葉にどれほどの力があったのかは分からないが、少なくとも静は悲しい顔をやめてくれた。


「まあ、だけど、一応身バレはしちゃった訳だし。静がまた引っ越すっていうんなら残念だけどしゃあないかな、とも思う。だからこんな事言っちゃったけど、俺のことは気にしないでいいから」


 そんな深い付き合いでもないしな。なにせ今日出会ったばかりだ。

 それにしちゃ若干重めの事を言っている自覚はあるが、出来ればこれからも仲良くしたいという欲望の現れだと思ってくれ。


「……………………きゅん」


 静はぽーっとした表情で俺を見ていた。話し聞いてたか、おい。


「静、聞いてた?」

「あっ、うん、うん! 引っ越しはしないよ。いや、そういう事もあるのかもしれないけど。蒼馬くんなら大丈夫だって私信じてるから」

 

 そう言って静は笑った。


「それに────私だって、折角出来た頼もしい隣人さんと、これからも仲良くしたいって思ってるんだよ?」


 こうして、推しが隣に引っ越してきた。


これから夢のような生活が始まるんだ────そう確信した俺だったが、まさか目の前の『推し』兼美少女が見た目だけのハリボテだったと知るのは、もう少し後のことになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る