面持つくもは今、誰ですか?

狭倉 千撫

序章 意思


01 ~Main side~

 

「待ってください!」

 突然だが、俺は今から死のうと思っている。『死ぬかもしれない』とか『殺されるかもしれない』という未来を予想するような表現ではなく、自分の意思を示す『死のうと思っている』という表現を用いていることからもわかるように、その死に方は自殺である。

 自らの考えに基づき、自ら結論を出し、自ら命を絶つ。

 自らを殺す。

 自殺。

 俺は飛び降り自殺を選択した。高い建物からその身を投げうつ、アレである。理由はまあ、消去法かな。この世には色々な、多種多様な自殺法があるが、飛び降り自殺が一番サクッと終わりそうだな、と個人的に思っただけだ。焼身自殺は苦痛の時間が長く続くと言うし、リストカットは正直現実的じゃなさそうだし、かといって包丁などの刃物をぐっさり自分の臓器に刺し込むのは痛みに耐えられなさそうだし、何よりそんな勇気が俺にない。練炭自殺は、しっかり手順を踏めば、一般的には一番苦痛なく、割と確実に逝けると聞いたが、準備がそれなりに必要だし、生憎あいにくそもそも、嗅覚が他の人のそれと比べて比較的鋭敏な俺には不向きな自殺法な気がした、試したわけじゃないけれど。ポピュラー繋がりでいけば、首吊り自殺なんかもあるが、あれも痛みや苦しみが長時間続きそうなイメージで、俺としては、出来ることならめんこうむりたいところであった。

「飛び降り自殺だって、きっととても痛いですし苦しいですよ」

 ……それで言うと、この飛び降りという選択は、そこから一歩踏み出すという手順さえ、勇気を持って実行してしまえば、そして頭から激突するようにして行けば、あとは全自動で、高確率で逝ける……、確かに飛び降りた瞬間は痛みが相当なものになりそうではあるが、逆に言えばその一瞬だけで済みそうで後はすぐに意識が途絶えると思うから、かなり良心的な選択なように感じる、勿論これも試したことはないので、すべて憶測の域を出ない物言いだが。では同じような理屈で、尚且つ飛び降りよりも確実に逝けそうな『電車に轢かれる』という選択はどうかと問われれば、これは俺としては拒否をしたいところだ。てめえひとりの問題を、沢山の人の時間を奪ってまで解決はしたくない、という心が、幸いなことにまだギリギリ少しだけ俺の中に残っていたためである。もっとも、飛び降り自殺だって時と場合と、それに場所によっては、沢山の人を巻き込みかねない、何なら降ってきた俺の下敷きにでもなったら、道連れにしてしまう可能性すらあるが、それは裏を返せば、時と場合と場所をしっかりとわきまえさえすれば、その事態を最小限に ――― 少なくとも電車に轢かれるよりは少ない影響で済ませることが出来る……、とは言っても死体の、つまり俺の処理なり何なりといった問題で人様に迷惑をかけることは、どうしても避けられないがしかし、そんなのはどういう自殺を図ったところで絶対に発生するのだから、その辺りはもう考えるのをやめた。

「ではそもそも自殺をしなければ、誰にも迷惑をかけませんよね?」

 ……と口ではそう言っても、心の中ではやはり人様に迷惑をかけたくないという気持ちがどうやら思っていたより俺の中で強くくすぶっていたらしい、燻っているくせに枕詞まくらことばに『強く』と付け加えたら、何だか矛盾しているような気もしたが、それはともかく、俺はその思いに従って、真夜中の午前二時、とある山の中にそびえる廃れた塔のてっぺんから、自殺を実行することに決めた。この国に今時こんな時代錯誤な塔が、こんな山奥にあるだなんて知らなかったが、ここならば、高さも充分、人様の迷惑も最小限の最小限に抑えられる、俺にぴったりなスポットだと思った。

「貴方に死なれてしまうと私、とても困るんです」

 ――― この女が現れるまでは。

「だから、早まらないで下さい」

「誰なんだよ、お前は⁉」

 すると女は、今日この瞬間に初めて会った見ず知らずの女は、丁寧な所作で、こう言った。

「あ……すみません、申し遅れました、私は面持おももち つくもという者です。以後お見知りおきを」


02 ~Main side~


 いや、そういうことじゃなくて。

 俺は別に自己紹介を促したつもりで「誰なんだ」と叫んだわけではない ――― 以後お見知りおきをって。

 これからその『以後』を絶とうとしている俺に対してその物言いは、果たしてどうなのか。

 お見知りおきをどころか、こちとら君の名前と声くらいしか、まだ知ってないっての ――― そう、何て言ったって現在は夜中も夜中、丑三つ時とも言われる午前二時なのだ、加えて普通の人間が訪れることは先ずない、こんな名も無き山の名も無き廃塔だ、街灯は勿論、一筋の光さえないのだから、俺は今、君の顔や姿、どのくらいの距離間にいるのかさえ、よくわかっていないのだ。

 ――― と。

 おれのそんな気持ちを察してか、女 ――― 面持とか名乗ってたか ――― は、何やらごそごそと物音を立てたかと思えば、をこちらに向けてきた。

「うっ、まぶしっ……」

 そう、懐中電灯。

 こんな完全な暗闇でも、簡単に一筋の光を作り出せる、現代の便利なアイテムだ、それを面持さんは突然、俺に向けてきたのだった。

「ようやく貴方のお顔を見ることが出来ました。私が何回か呼びかけても、貴方、無視するんですもん」

 ……まあ、そうだったけれども、じゃあ何だ、こいつは、俺が無視している時は自分のほうへ振り返っておらず、俺が「誰なんだ」と突っ込んだ時に自分のほうへ振り返ったと踏んで、懐中電灯を当ててきたということか?

 ……エスパーか何か?

「……まあ、完全に否定することは出来ないですね」

「…………」

「私、人の挙動をある程度、肌で感じ取ることが出来るんです、あくまでその特性は副産物的なものですが。或いは副作用的なもの、と言ったほうが正確を得ているかもしれません」

 え、ひょっとして今俺、結構ヤバい電波少女に、自殺を引き留められてる?

 より自分がみじめに思えてきたのだけど。

「ああ! だからと言って今貴方が話しかけている私は、宇宙人とかロボットとかではないですよ、ちゃんと人間です」

「いや、そういう心配は別にしていなかったんだけれど」

 まあ確かに電波な宇宙人とかロボットとかっていう可能性も否定は出来ないかもしれないが。

 俺のその言葉を待たずして面持さんは「ほら、ちゃんと人間でしょう?」と、持っていた懐中電灯を今度は自分に当てて、反対の手で自分を指さしていた。

 ……まあ確かに、普通の人間だった。

 普通の人間の、女の子で。

 普通に美少女だった。

 美少女が三メートルくらいの間をあけて、恥ずかしそうにもじもじしながら立っていた。

 声が少し大人っぽかった ――― というか大人しめな、心が落ち着くような声をしていたので、てっきり大学生の俺より年上の女性かと思っていたが、その姿を見る限り、多分俺より年下だと思う。髪の毛は一見すると、真っ黒なショートカットだがよく見ると、前髪とこめかみ部分の髪が少し長過ぎるという、もっとはっきり言ってしまうと、奇抜な印象を受ける(髪の毛が長いことをロングヘアーと言うが、それはあくまで頭頂部から後頭部にかけての後ろ髪が長いのが一般的で、そういう人たちも前と横の髪は常識の範囲内の長さであることが殆どだ、これでは後ろ髪はショートなのに前と横の髪だけ長いという、逆ロングヘアーになってしまう。流石にそこまで面白おかしい程の、或いは目が完全に隠れ切って不気味さすら醸し出してしまうレベルの長さではないがしかし、前はともかく横の蟀谷部分の髪は、長い上に毛量も中々で、耳が見えない……、総じて簡単に感想を言うなら、何だこの奇抜な髪形、黒髪で奇抜な髪形って初めて見た) ――― 先程からずっと恥ずかしそうにもじもじしているところを合わせて考察するに、積極的に俺の自殺を食い止めようとはしているが、基本的にはあまり人と接するのを得意としていないのかもしれない。

 そして服装も、これまた目を惹くものだった ――― 六月下旬ということもあり、それなりに夜でも暑くなり始めたからかどうかはわからないけれど、今時の女の子があまり着なさそうな黒のワンピースだった。暗闇の中でもそれがわかったのは、黒髪と断定した時と同様に、懐中電灯の灯りそのもののお陰というのもあるとは思うが、どちらかと言うと、その光が服に施されている装飾に反射して、美しく、そしてあやしくきらめいていたからである。

 ……まあまとめると、声と服装が大人っぽくて、容姿は俺より年下っぽくて、人と話すのが苦手そうで、髪形が少々奇抜な、普通の美少女だった。

「あ、あの……」

「ん?」

「そんなに見つめられると、照れてしまいます、私」

「ああ、すまん」

 いや、俺が観察する前に、君は既に照れていたようだったけれど……、まあ確かにじろじろ見過ぎていたことも事実なので、そこは黙っておいた。それに自分で「照れてしまう」と言うくらいなのだから、彼女が人と接するのを苦手とする照れ屋である、という俺の見立ても強ち間違っていなかったのだとわかっただけ、儲けものだと思っておこう。

 ……別に今から死ぬってのに、こいつの特徴の予測が当たったくらいで、何を儲けたのだという話だが。

「……まあどこの誰でも良いんだけどね、お嬢さん」

「つくもです」

「……面持さん」

「つくもです」

「…………」

 何なんだこいつ、マジで。

 本当に照れ屋なのか? その割には押しが強いような気がするのだけど……。

「俺はもう、今日、この時間、この場所で死ぬんだって決めて来ているワケ。決心してここに来ているワケ。だから今更、たかだか知らない女の子が急に引き留めに来たからって、俺の決心はそうそう揺るがないワケ」

「そんな……」

 面持さんは悲しそうな声を出す。その声もやっぱり落ち着くような大人っぽい、大人しい声で、何だかその声で悲しそうな感じを出されると、こちらとしては得も言われぬ罪悪感に見舞われるので、出来ればやめて頂きたいのだけれど。

「……そうですよね。こんな声も身なりも、ましてや顔も微妙で、何の取り柄もない、どこにでもいるような量産型の女から、これまた月並みな言葉で引き留められたって、貴方は勿論のこと、誰の心にも響きませんよね……」

「いやそこまでは思ってないんですけども。というか全然思ってないんですけども」

 先程観察した通り、一見すると確かに特徴がない子に見えるが、よく見ると結構特徴がある、というか良く言うと魅力的な、悪く言うと変な女の子、みたいな感じで、少なくとも俺は『量産型の女』とは程遠いと感じたのだが。

「そうなんですか? それならばそんな魅力的な女の子に免じて、自殺をやめて頂けませんでしょうか」

「なぜ良く言ったほうを取る」

 やっぱ君、偽物でしょ。

 その自己肯定感、大学の陽キャグループとタメ張れるぜ。

「いえいえ、私はああいう方たちのようなコミ力は全然ないですよ」

「それを言うならコミュ力な ――― あ、まさか魅力とコミ力っていうギャグだったのか?」

「何ですかそれ、どういう意味ですか?」

 わかってないのか……、何だかこれでは俺が一方的につまらんおやじギャグを言ったみたいな空気になるじゃないか。

「……ともかく、だ」

「ともかく?」

 俺は言った。

「君が魅力的かどうかもともかく、だ」

「そんな……自分から言うのはともかく、今日初めて会った方に、しかも異性の方にそう言われるのは流石に照れてしまいます、ぽっ」

「言ってない。そして多分最早照れてもいない。『ぽっ』って、今時照れる表現として口頭で『ぽっ』とか言う奴おらんわ」

「でもハトさん辺りはよく言ってらっしゃいますよ?」

「そりゃあはとはね? 鳩だからね? 君は人間だからね?」

「でも、人間もハトさんも、同じ動物なんですよ?」

「そりゃそうだけれど………………、そうなだけだろうが!」

 だから何だ? ということである。

 どうも先程から、この子と俺はイマイチ話が噛み合わない……、チグハグしている気がする。

「チグハグ……、そんな、初対面の男性の方といきなりハグだなんて ―――」

「ほら! また話が噛み合ってない!」

「少し抵抗がありますし、容姿の自信はないですけれど、それで貴方が自殺を思い留まって頂けるのであれば、私は甘んじて受け入れます」

「良いの⁉」

 ……って、いやいやいや!

 何を揺れ動いているんだ、俺!

 お前の自殺をする、という意思は、こんな初対面の美少女とのハグ如きで崩れ去る程度のものだったのか⁉

 ……そもそも。

 意思というなら、こいつは ――― 面持つくもはいったいどういう意思をもって、こんな見ず知らずの男の自殺を引き留めているのだろう。もし俺が面持さんの立場に出くわしたとしても、普通に放置すると思う、相手が知り合いとか、仲の良い友達だとしたらその限りではなくなるかもしれないが。第一、この女はどこから湧いて出たんだ? この塔に入るまで、一応誰にもつけられていないか、気にはしていたんだけれど、その際には特に気配を感じなかったぞ。それに、面持さんはなぜ俺が自殺しようとしているとわかったのだろう。まさか俺が気付かぬ内に無意識で「今から自殺をします」と口に出していたのだろうか。その割にはこの女、第一声から「待ってください!」と声をかけてきたしなあ。

 俺が介入することの出来なかったド頭から。

 冒頭の冒頭から。

 ハグの誘惑を経て、逆に冷静になった俺は、途端に面持さんに対しての疑問が、かようにいくつも浮かんできたので、その疑問を、俺はひとつずつ、面持さんにぶつけてみた。

「えーっと……、ごめんなさい。私、記憶力がそんなにないし、緊張しいでもあるので、一度に沢山の質問をされると困ってしまうんですけれど……」

「あ、すまん。じゃあひとつずつ、順番に答えてくれ」

 Q1:なぜ俺が自殺しようとしているのがわかったのか。

「それは先程教えた私の副産物的特性の応用です。貴方の挙動で、何となく塔の端に立っていることは感じ取れました。それさえ感じ取れてしまえば ――― たとえこんな真夜中の暗闇でも、ひとのない場所でこんな高い建物の端に佇んでいるなんていう状況がわかってしまえば、私でなくても『ああ、この人は今から死ぬ気なんだ』って直感するでしょう?」

 こいつ……、この期に及んでまだ自分には特別な能力があるとでも言いたいのか?

 ……まあ良い、今またそれに噛みつくと、話が再び停滞しかねないので、とりあえずスルーしよう。

「ふむ……、なるほど。じゃあ次だ」

 Q2:どうやって俺に気取られずに街から付いて来たのか。

「それに関しては、そもそも前提が違うのです」

「前提が……違う?」

 どういう意味だ?

「というより恐らく、こちらのほうがなのでしょうけれど……」

「……すまん、何を言っているのか、俺にもわかるように言ってくれ」

 何だかわけがわからない……、この子の世界観に何とか付いていこうとすると、頭が混乱する。

 それともここはやはり、先程のようにスルーしたほうが得策だったのか? しかしそれでは回答が得られないし……。

「えーっと、じゃあ更なる混乱を招かぬように、そして貴方の指示通り、今は貴方にもわかる範囲のみでお答えしますと、実は私、貴方がここを訪れる前から既にこの建物に居たんですよ」

「なん、だと?」

「ですから、私は貴方がここへ訪れる前に、既にここに居たのです」

「なんで?」

「それを話してしまうと、またぞろ貴方を混乱させてしまうかと……」

「そ、そうなのか」

「はい……、私がこの建物に訪れてからしばらく経った後 ――― 丁度私が建物の外周を見回っていた時に ――― 誰かが建物に入って、上へ上へと昇る気配を感じたため、そこから尾行したら、今にも自殺をしそうな貴方を見つけた、という次第です」

 なるほど、てっきり俺は面持さんが、俺が行動開始した時から既に付けて来ていたとばかり思っていたがそうではなく、付いてきたのは、俺がこの塔に入ってからであって、街中から尾行していたというわけではなかったということか。確かに俺も、塔に入るまでは尾行を警戒していたが、入った後は、対して意識していなかったからな、意識が薄れていて、彼女の尾行に気付くことが出来ずにいたという可能性は十二分にあり得る。

 ……なるほど、この件についてはまだ、訊きたいことがないでもなかったが、どうやらこれ以上の質疑応答は、俺の頭では理解できないブラックボックスのようなので、最後の質問といこう。

 最後であり、一番重要な質問。

 Q3:どうして執拗に、必要以上に、赤の他人である筈の俺なんかの自殺を止めようとするのか……、その理由と、面持 つくも自身の目的、ないしは意思の確認。

「……どうしても答えなければなりませんか?」

「ああ」

 だいたい、なぜ回答を拒むんだ?

「それは……、貴方が混乱してしまうと思うので」

「これも答えられないって言うのかよ」

「いえ、私としては答えても構わないのですが、その、あの……」

 訳のわからない、常人には理解しがたい話をして、貴方を怒らせてしまうかもしれない。

 そう、言いたいのだろう、彼女は。

 まあ現に俺は今、既に中々のレベルでイライラしているし ――― 見ず知らずの奴がいきなり現れたと思ったら、電波なのか厨二病なのかみたいな、訳のわからん理屈で、俺の決意を鈍らせる、もっと悪く言うなら踏みにじってきているのだ、イラつかないほうがどうかしている。

 こっちだって生半可な気持ちでこんな決意をしたんじゃない、皆を巻き込まないように時間や場所を配慮したり、心の準備だってちゃんとしてここに臨んだりしているのだ。そういったこころざしを……、まあすることが自殺なので誇りはしないし、褒められたことをしているとも思わないにしても、大切にしたいという気持ちは、最期まであったのだ。

 それなのに……、こいつは。

「……わかりました、では貴方に混乱を招くリスクを考慮した上で、敢えて言わせて頂きます」

 俺が気付かれないように、奥歯を噛み締めていたら、彼女は彼女で、何かを決意したかのように、そう言った、そして先程の弱々しい態度から一転してはっきりとした口調で、こう続けた。

「貴方に死なれてしまうと私、とても困るんです」

彼女は始めに言っていた言葉を繰り返しつつ、言った。

 今貴方に死なれると。

 

 …………。

「だから私はそれを防ぐために、貴方の自殺を食い止めたいんです」

 ………………。

「私はこれ以上『私による犠牲者』を増やしたくないんです」

 ……………………。

「だから……、だからっ!」

「はっ」

 今度は何を言い出すかと思ったら。

「ははっ」

 これ以上。

「はははっ!」

 付き合ってられるか。

「ちょ、ちょっと!」

「じゃあな、最期の余興にしちゃあ、悪くなかったぜ」

 俺は塔の淵で、両腕を羽根のように広げ、彼女のほうへと振り向きながら、吐き捨てるようにそう言う。

 まあ『付き合ってられるか』と思ったのも確かだが、今まで何の面白味もなかった俺の人生の中では、トップクラスに面白くて奇々怪々な出来事となっただろう。

 人並みの家庭に生まれ。

 人並みに育てられ。

 人並みに勉強をして。

 人並みに運動をして。

 人並みに遊んで。

 人並みに試験に励んで。

 人並みにその結果に喜んで。

 人並みに喧嘩をして。

 人並みに相手に怒りをぶつけて。

 人並みに別れがあって。

 人並みにそれを哀しみ合って。

 人並みに新しい出会いがあって。

 人並みに新生活を楽しんで。

 人並みにうわべを取り繕って。

 人並みに人の顔色を窺う毎日を送って。

 人並みに孤立していって。

 人並みにとなった俺の人生の中では。

 数少ない、常識を逸脱した体験となった。

「…………今、そっちに行くからね」

 親父、お袋、はかな ―――

 俺は家族へ思いを捧げながら、目をつむり、その一歩を踏み出した ―――

 がしっ。

「…………あ?」

 のだが。

 誰かが広げた俺の腕を取って、その一歩を阻止してきた。

 ……『誰か』なんて言わなくとも、その正体はわかりきっているのだが。

 こいつは、そこまでして俺の自殺を止めたいのか。これは一回怒鳴り散らすくらいのことをしなければ、わかってくれないなと思い、俺は息を大きく吸い込んだのだが。

「てめえ何あたしの『妹』に恥かかせてんだ、あああぁぁぁんんん⁉」

 それよりも早く別の怒号が響いた。

 俺は、明らかに面持さんではない誰かの、そのあまりの勢いに、思わず振り向いた。

 しかしそこにいたのは。

 そこにいて、俺の腕を痛いくらいにがっしりと握っていたのは。

 確かに懐中電灯越しに見た、面持 つくも本人だった。

 ……俺は言う。

「あの、すみません、誰ですか?」

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