誘い水

魚崎 依知子

第1話

 泡は、繰り返し湧き上がるように生まれては弾ける。水面は一時も休むことなく乱れ、手をかざせば刺すような熱が肌に触れ……るのは怖い。

 まあ、少しくらいはいいだろう。一旦火を弱め、沸騰が収まったところを見計らって慎重に素麺を放つ。それでも湯気は、肌に灼くような痛みを残した。

 噴き出す汗を袖で拭い、改めて強火へ戻す。菜箸で軽くほぐすように掻き回すと、素麺はさっきよりも細かで白い泡を吐きながら煮え湯の中を舞い始めた。まるで為す術なく翻弄されているようだ。人も地獄へ落ちたら、こんな風に釜で煮られるのだろうか。


 不意に、膨らんだ泡がぼこりと弾ける。慌てて注いだ差し水は、鍋の怒りを鎮めて白い背を一面に浮かべた。

「あ、しまった。タイマー忘れてた」

 安堵の息を吐いたところで、手落ちに気づく。

 余計なことばかり考えているから手が止まるんだ、とにかく段取りが悪い、と父は何度となく苦々しい顔で零した。もちろん言うだけでなく、辛抱強く「空想に耽る前に目の前の作業へ集中すること」や「あとで困らない段取りのつけ方」を教えてくれもした。しかしその甲斐なく、私は大学四年になった今も半ば空想の世界に生きている。そのせいか受けた会社も二次面接で全て落ち、父の会社に縁故採用で勤めることになった。兄がまるで無関係な企業で働いていることを考えると、不本意な採用だろう。

 つまみあげた一本を吹き冷まして食べ、固さを確かめる。芯もないし私にはちょうどいいが、祖父はどうだろう。ご飯は普通の固さだったし、大丈夫だろうか。

 ちゃんと聞いておけば良かった。

 いつもの言葉を噛み締めながら、ざるへ移した素麺を流水で洗う。それでも、その時は気づけないのだ。

 盛り上がった素麺の奥へ差し込んだ指が、残っていた熱を浴びる。こんなのも何度目だろう。引き抜いた赤い指先を、冷えた水に打たせた。

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