第557話 ヨシズミ師匠に魔法を学びたいと言う人がいます。

「ふん。世の中とうまくやれているとは言えないからな。臆病にもなるさ」


 ドイル自身、己の欠点を重々理解していた。アカデミーを追放されて以来、何年も世捨て人の暮らしをしていたのだ。人と交わることが得意なわけがない。


 ドイルの高飛車で独善的な物言いは、人間関係で傷つくことから身を守る「鎧」でもあった。


「僕に言わせれば、誰とでもつき合う人間の方がどうかしている。一歩表に出れば、馬鹿と泥棒だらけだというのにね」

「お前が馬鹿と呼んでいるのは普通の人間のことなのだがな。まあそれは良い。あんまり騎士をコケにして、命を狙われたりせぬようにな。冗談では済まされないぞ」

「心得ているさ。議論でかなわないとなるとすぐ剣を抜きたがるのが騎士という連中だからな」

「議論ができるなら上出来だ。お前の言う『疑う心』が芽生えたということだからな」


 ドイルにすればそれほど単純ではない。既存秩序ステイタス・クォーを鵜吞みにし、支配階級の価値観を闇雲に墨守する人間は多い。

 信念があっても批判精神を持たない輩とは、議論をしているように見えても異なる言語で会話しているのと同じことだ。


「入学させるのはなるべく若い人間が良いな」


 世間の「常識」に染まり切る前の柔軟な頭脳を、ドイルは求めた。


「良いのではないかな。王立アカデミーが18歳未満の条件なら、こちらは16歳未満までとするか」


 ドイルの発案にネルソンが同意した。

 それを聞いていたステファノの顔がわずかに曇ったのを、マルチェルは見逃さなかった。


「ステファノ、どうかしましたか? 考えがあるなら言ってみなさい」

「年齢制限があると、アランさんやネロさんが入学できないと思って……」


 2人はジュリアーノ王子暗殺未遂事件の際、ステファノと親しくしていた王立騎士団員だ。1年前のあの時、彼らは22歳だとステファノに語っていた。


「彼らのことを心配したか。ふむ。入学させるのは難しいが……、彼らが望むならやり様はある」

「入学せずにここで学ぶ方法がありますか?」

「ある。例えば王立騎士団からの研修名目で派遣してもらうやり方だ」

「ははあ。そんなやり方が」


 さすがは苦労人のネルソンである。世渡りとは「いかに円滑に例外を認めさせるか」という能力にかかっていることを知っていた。


「彼らの場合、本人が望めば派遣してもらうのは難しくない。ジュリアーノ殿下御快癒・・・に貢献したという名目が立つからな」


 実際には暗殺犯一味の摘発に功があったということだ。王宮の中核にある人間なら、その実態は知っている。


「その功労に報いるという形を取れば丁度良い。学費は殿下にご負担いただけるし、本人と当校の名誉にもなる」


 一般生徒について、ネルソンは学費を免除するつもりでいた。その程度の経費などでネルソンの懐は痛まない。

 しかし、有力貴族家から騎士の研修派遣を受け入れれば、彼らの学費という形でウニベルシタスの経費を補填することができる。


「貴族家の騎士を同様に受け入れれば、ルネッサンスの種をまくことにつながるかもしれんしな」


 派遣元の貴族自身は密偵を送り込むつもりでも、新しい考えに触れた騎士たちの中から改革に賛同する人間が生まれるかもしれない。ネルソンの計算では、「どちらに転んでも良い」。

「テミスの秤」がそう告げるのだ。


「20代の平民は、どうしたらウニベルシタスで学べるでしょうか?」

 

 ステファノの脳裏に女性魔術教官ドリーの姿があった。ドリーはアカデミーの卒業生であり、通常の意味での学びを必要としていないが――。


「ヨシズミ師匠に魔法を学びたいと言う人がいます」

「おめの面倒サ見てくれたって人ケ?」

「はい。ドリーという女性で、上級魔術師ガル師の姪です」

「聞いたことがあったな。ガル師の縁続きか……。面白いかもしれん」


 ステファノとヨシズミの会話をネルソンが引き取った。瞼を閉じて一瞬唇を結んだが、すぐに言葉を続けた。


「ガル師すなわち魔術師協会の縁者ということになる。これもまた必然だな。ウニベルシタスが頭角を表せば、いずれ魔術師協会が人を送り込んで調査に乗り出す」

「先手を打って、ドリー女史を受け入れてしまうという策か」


 ネルソンの思考を先読みして、ドイルが口を挟んだ。


「そうだ。得体の知れない奴を送り込まれるより、素性のはっきりした人間を招いた方がやり易い」

「ドリーさんは、ウニベルシタスの味方になってくれると思いますよ」

「そうだな。そうであってくれると助かる」


 ステファノの希望的観測にネルソンは同調した。しかし、言葉とは裏腹に、ネルソンはドリーが敵対した場合の備えに万全を期すつもりだった。

 マルチェルを通じて「ギルモアの鴉」を動かす。そう考えていた。


 ドリーだけではない。マランツも、ジローも、アランも、ネロも、いや、すべての受け入れ生徒やスタッフたちもリスク管理の対象だった。彼らの素性調査、行動監視に、ネルソンは手を抜くつもりはなかった。


 マルチェルはただ静かに、主人の後ろに控えていた。

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