第430話 そんなところまで旅をしたことがないからな。

「普通なら頑張れよと言うところだが、ステファノの場合は当然だろうと言うしかないな」

「そうでもないです。実技系は何とかなると思いますが、座学の比重が高い講義はどうなるものか」


 具体的に言えば、「防御魔術」や「複合魔術」などは何とかなる気がしていた。

 しかし、「魔獣学」と「魔術心理学」は予備知識がない。


「特に魔獣学はどういうものか、想像がつきません」

「ほう? 珍しい講座を選んだものだな」

「魔獣が実在する生き物かさえ知りません。アカデミーを離れたら勉強する機会などないと思って」

「身の回りにいる生き物ではないからな。実物を見たことがある人間の方が少ないだろう」


 ステファノのイメージではおとぎ話に出て来る生き物であった。

 巨大な怪鳥や、山のような大蛇、火を吐く犬など。

 

「人里と隔絶した高地、離れ小島などに住んでいるらしいぞ」

「ドリーさんも見たことはないんですか?」

「そんなところまで旅をしたことがないからな。人から聞いた話でしか知らん」

「普通の獣と何が違うんでしょう?」


 大きいだけなら「大きな獣」であろう。魔獣というからには他の獣とはどこか違いがあるはずだった。


「ふむ。魔力を操るらしい」

「獣がですか? 魔術を使えるということでしょうか?」

「それに近いようだな。火を吐いたり、氷を飛ばしたり、雷気を帯びたりすると聞く」

「ははあ。それは物騒ですね」


 普通の獣でさえ、熊や虎は危険な生き物である。出会い頭に魔術を使われたら大けがにつながるだろう。


「人里離れたところにしかいないのが幸いだな」

「里に出てきたりはしないのでしょうか?」

「理屈は知らぬが、生まれた場所を離れては生きられぬらしい」

「それで人とは住みわけができているんですね」


 おそらく人間にとっても魔獣にとっても、それは幸運なことなのだろう。生息地域が重なっていたら、互いに殺し合う結末が待っている。


「人間社会と魔獣の接点が乏しい以上、あまり有用な学問とは思えんのだが」

「そうなんですかね。明日1回目の講義があるのでよく聞いてみます」


 魔獣に「家畜」としての利用価値があるなら社会を豊かにする手段となりうるかもしれない。ステファノは未知の知識に対する期待を抱いていた。


 ◆◆◆


 火曜日2時限目の授業は「防御魔術(初級)」であった。


 チャレンジテーマは「2種類以上の魔術に対する防御」である。前日同様第1試射場が講義会場となった。

 講師が投じる魔術に対して、生徒は標的を守る。1度に投じる魔術は1種類、それも単一魔術シングルであった。


 ステファノにとってはお馴染みのルーティーンであり、「蛇の巣」を使えば容易いことであったが、あえて不器用な防御法を披露することにした。

 標的の周囲に氷の盾を出現させることで、攻撃魔術を受け止めたのである。


(単純な力技だし、氷が邪魔で周りが見えなくなる欠点もある。でも、アカデミーの生徒レベルならこれで十分かな?)


 ステファノが構築した分厚い氷壁は、火魔術も風魔術も跳ね返して見せた。水魔術に至っては講師の術はステファノの術に完全に力負けした。


「これは……中級魔術レベルなら寄せつけない強度ですね」


 講師は手持ちの魔術を封殺されて、呆然とつぶやいた。ここまで完璧に防がれるとは想定していなかったのだ。


「驚きました。満点です。防御魔術について、初級、中級、上級の全課程修了を認めます」


 講師は合計3単位の修得を認めた。


「待て!」


 その時、待機中の生徒たちの背後から声がかかった。


「お前は防御魔術を施す際、標的に近づかなかったな?」


 人垣の間から姿を現したのはマリアンヌ学科長であった。


「10メートル遠方の標的に防御魔術をどうやってかけた?」


 マリアンヌには知覚系のギフトがない。ステファノの遠隔魔法がどのように行われたか、彼女には見当がつかなかった。


「これを使いました」


 ステファノは懐から鉄丸を取り出して見せた。数日前、マルチェルが「玄武の守り」に対して投擲したのと同じものであった。


「それは! いや、何でもない」


 マリアンヌは一瞬顔色を変えたが、あの日のことを衆人環視の中で漏らすことはできない。慌てて口をつぐんだ。


「先生が術を掛けた瞬間に魔力を籠めた鉄丸を標的の足元に飛ばしました」


 何事もなかったようにステファノは質問に答えた。手首のスナップで鋭く飛ばした鉄丸は、講師の魔術に注目が集まった隙を突いた。

 マルチェルの投擲術には遠く及ばないが、心理的に裏をかくことによってステファノは鉄丸を不可視化したのであった。


 ステファノも虹の王ナーガの覚醒により、自身のイドを肉体の動きに連動させることができる。マルチェルの精度には及ばないが、その投擲はほぼ達人の域にあると言っても良かった。


(遠隔魔法の公表はまだ早い。今は鉄丸を発動体としたやり方を表に出そう)


 本来であれば、視線が通る限りステファノはどれだけ距離が離れても魔法を発動できる。その事実をあえて隠してのチャレンジ突破であった。


「お前の氷壁が堅牢であることは認めよう。しかし、もしも敵が火魔術で攻め続けてきたらどうする? やがて氷壁は崩れるのではないか?」


 マリアンヌの問いかけは負け惜しみにも聞こえた。ステファノ自身が身を護るために氷壁を作ったのであれば、その場合内側から再度氷壁を作れば良い。


「多人数の敵に囲まれた場合でしょうか? その場合は逃げますね」


 魔力は体力ではない。枯渇することがないので、どれだけ責め立てられようとステファノの防御力が落ちることはない。

 しかし、24時間交代で攻撃されれば睡眠不足で倒れるかもしれない。


「逃げるとはどういうことだ?」

「たとえば隠形五遁おんぎょうごとん。山嵐の術で氷壁を吹き飛ばし、敵にダメージを与えます。すぐさま霧隠れで姿を消し、敵の囲みを破って逃げ出します」

「反撃しないのか?」


 マリアンヌは不思議そうに問い返した。ステファノの「遠当ての術」であれば敵を一掃できるはずであった。


「興味がありません」

「何?」

反撃した後に・・・・・・どうなるのかがわかりません。だったらとりあえず逃げます」


 ステファノにとっては生き残ることが目的であって、敵を倒すことがゴールではない。

 マリアンヌとは行動原理がまったく異なっていた。


「生ぬるい話だな」


 マリアンヌは吐き捨てるように言った。


「そうでしょうか。俺は生き残ることが生ぬるいとは思いませんが」


 語気は柔らかかったが、ステファノの言葉には一歩も引かぬ信念が籠っていた。


「俺は『弱者の魔法』を目指します。それは何があっても生き残る術です」

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