第265話 法王聖下って解任できるんですか?

「聖教会が敏感になっているのはその通りだが、それなりの事情もあるのだ」

「所有権を王室に移してから、何かあったんですか?」

「表ざたにはされていないがな」


 ハンニバルの声が低くなった。


「長い聖教会の歴史の中で、何度か法王が神器の返還を王室に求めたことがある」

「元々聖教会にあった物なら、そういう気持ちも起きるでしょうね」


「その都度、当の法王は理由をつけて解任されている」


 ハンニバルの言葉はステファノの意表を突くものだった。


「法王聖下って解任できるんですか?」

「そんな制度はない。表向きはな。だからあくまでも表向きは『退位』したことになっている」


 高齢化、体力の衰え、病気、神のお告げ。表向きはそのような理由をつけて自発的に退位している。

 しかし、実態は王室の圧力による引退であることは明らかなのだという。


「まず、法王が生前に退位するということ自体が稀なのだ。余程のことがなければ自ら退位などしない。そして、退位の声明文を見れば王室の介在は一目瞭然なのだ」

「何か書いてあるんですか?」

「『この度国王陛下の寛大なるご理解を賜り』などとことさらに書き込まれているのさ。せめてもの嫌がらせのつもりだろう」


 あるいは最後の強がりであったのか。そうやって退位の決断に王室が関与していることを匂わせるのだ。


「お貴族様の世界はややこしいですね」

「まったくだな」


 ステファノの偽らざる気持ちであった。


「だからな、神器のことが下手な騒ぎになると、聖教会が王室に睨まれる恐れがあるわけだ。お前たちが煽っているのではないかとな」

「それで敏感という言葉を使ったんですか」

 

 王室に痛くもない腹を探られることを嫌い、聖教会関係者が横やりを入れてくる可能性がある。

 ハンニバルはステファノにそう注意してくれた。


「心配しすぎかもしれないがな」

「いえ、ありがとうございます。何も知らずに虎の尾を踏むところでした」


 論文で神器のことを取り上げるとしたら、書き方を工夫してぼかさなければならない。ステファノはそう心に止めた。


「忠告を理解した上でですが、神器について調べるにはどこを探せば良いでしょう?」

「うん。王室に渡ってからは神器が人目に触れる機会はなくなった。記録を探すならそれ以前、聖教会が所有していた時期だな」


 それだけでも大分期間が絞られる。聖教会成立から聖スノーデンの死までの時期を調べれば良いだろう。

 

「聖教会で行われた儀式について調べれば良いでしょうか?」

「神器を用いるとなると、特別な儀式のはず。王室関係の儀式か、国家鎮護の祈禱か……」

「そうか。そういう国家規模の重要行事を探してみます」


 ステファノはヒントをもらって目を輝かせた。


「そうなると、初期の聖教会史だな。場所は後で教えよう」


「それで、聖スノーデンの死因なんですが……」

「こっちは謎もロマンもない。晩さん会中に脳卒中で倒れて、そのまま亡くなった」

「暗殺という疑いはないんですね?」


 ハンニバルは首を振った。


「食中毒ならともかく、脳卒中だからな。毒殺の疑いはない。普通なら魔術を疑われるところだが、聖スノーデン陛下ではな」

「魔術で倒されるとは思えませんね」


 ステファノは想像してみる。魔術で脳卒中の症状を偽装しようとするなら、土魔術で脳内血圧を上げるか、水魔術で血液を沸騰させるか。


 どちらもできないことではない。相手が超絶の魔術師、聖スノーデン以外であれば。


 聖スノーデンは間違いなく魔視脳まじのうの覚醒者だ。ステファノと同じようにイドの繭を常時展開していただろう。

 そうなると、体の内側に魔術を発動することは不可能だ。イドの繭が因果の改変を受けつけない。


(待てよ? 魔視脳の活動を停止させることができたとしたら、どうだ?)


 それができるなら、聖スノーデンの魔術防御を無効化できる。脳卒中の偽装も可能だ。


(魔視脳は魔視鏡マジスコープによって活性化できると師匠は言った。ならば、逆も可能なのかもしれない)


 魔視鏡か、それ以外の方法で魔視脳を不活化できるとしたら、自分やヨシズミも暗殺の危険にさらされるということになる。


(「神のごときもの」との対決を想定するなら、そういう危険も考えておかなければ)


「急に黙り込んで、どうかしたか?」

「いえ、何でもありません。初期聖教会史の資料がどこにあるか、教えてください」


 昼までの2時間、ステファノは聖教会の儀式記録を可能な限り調べた。

 その結果ステファノが探し当てた神器の使用例は2種類の儀式しかなかった。


 貴族制度発足に伴う「叙爵じょしゃく式」と「疫病退散祈願式」である。


(何だこれは? 爵位を授ける時に神の祝福を与えるというのはわかるが、なぜ疫病退散に神器を用いたんだろう?)


 神の力を頼ったのだろうが、それなら「戦勝祈願」や「鎮護国家祈願」、「天災厄除け祈願」に使われていないのはなぜなのか。


(うーん。少し範囲を絞り込めたけど、次の謎が出てきた感じだ)


 疫病退散祈願は滅多に行われないことだが、叙爵式は王朝初期に数度にわたって執り行われた。貴族に叙する家の調整があったのだろう。


 回次が変わっても式次第にはほとんど変更がない。国王による爵位授与の後、神器によって神の祝福を与えたと記録されている。この時期は国王が法王を兼ねているので、どちらも聖スノーデンが行ったことになる。


 貴族と疫病、その奇妙な組み合わせにステファノは当惑し、深く考え込むしかなかった。

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