第206話 太極開合して宇宙に至る。

「外」が「内」になり、「上」が「下」になる。

 マルチェルであればその概念をこう表したであろう。


太極開合たいきょくかいごう


 陽気は開き、陰気は閉じる。即ち、「阿吽あうん」に同じ。


 太極図を見れば、陽気、陰気はお互いの内部に入らんと巡り合う。


 内より開く陽気が「阿」であり、外より閉じる陰気が「吽」であった。


 宇宙は、イデア界は「阿」と「吽」のに横たわる。窓は太極玉の外縁ではなかった。

 

 開きながら閉じながら混ざり合う中心の一点・・・・・こそが世界。


 そして「外」より「内」を見れば、すべてのイデアがそこにある。己の内部こそ「宇宙」であった。


 虹の王ナーガはイデア界そのものとして存在していたのだ。


 なればこそ、虹の王ナーガは言った。


「求めれば既にあり。探せば見失う」


 ステファノはもう探さない。ただ己の内の虹の王ナーガに求めた。


(「ふ」の型、「土蛇つちへび」)


 ひょうと空気を鳴らして、ステファノが捧げる右手からどんぐりの粒が飛び出した。


 イドをまとったどんぐりは標的に当たる寸前に膨れ上がったように、ドリーの「蛇の目」は認めた。


 胴体の中央を捉えた瞬間、数グラムの木の実が立てたとは思えない重低音を立て、どんぐりは標的を天井まで弾き飛ばした。


 一瞬後、がしゃあんと鎖の音を立てて標的が天井から落ちて来た。


 その音でようやくドリーは我に返った。


「今のは何だ? 魔力の動きがまったく見えなかった。それなのに、は飛んだ……」

「土蛇と名づけました」

「やはり蛇だったのだな。どこから魔力を呼んだのだ?」


 魔力を呼び出さずに術を発動するなど、ドリーの常識の外にあった。


「どこからと言われると、自分の中からでしょうか」

「そんなやり方があるのか?」

「今日の授業で習った瞑想法がヒントになりました」

「そんな無茶苦茶な話が……」


 ステファノは晴れやかな表情でもう一度標的に向き合った。


「ドリーさん、もう1つ試してみて良いですか?」

「何だと? あ、ああ。5番、つ、土魔術。発射を許可する。撃て」


 ドリーの動揺を他所に、ステファノの心は落ちついていた。呼吸1つで「鉄壁の型」に入る。


「ふっ」


 力みもなく突き出した拳の先に標的はある。その距離20メートル。


 ぼんっと船の帆が風を受けたような音を立て、またも標的が天井まで吹き飛んだ。


「それは……風魔術ではないのだな?」

「遠当ての術と言うのを再現してみました。戦国時代に使われていたようです」


 ステファノが使ったのは先程と同じ「ふの型、土蛇」であった。

 今度はどんぐりに籠める代わりに、拳の先の空気にイデアを籠めた・・・・・・・・・・


 見えない塊が宙を飛び、標的に当たって弾き飛ばしたのだ。


 だが、遠当ての術は「5歩先の敵を倒す技」であった。20メートル先の敵に対して使う術ではなかった。


 ステファノの凝縮したイメージ、ほとんど物質化したイドを空気にまとわせることで可能となった技である。


「この目で見ても信じられん技だな。空気で20メートル先の標的を飛ばすとは」

「ドリーさんはセイナッド一族と言う名を聞いたことがありますか?」

「知らんな。もっとも勉強は不得意だったから、私が知らないだけかもしれん。そいつらが今の技を使っていたのか?」

「戦国兵器総覧という書物によると、恐らくそうではないかと思います」


 ドリーは今更ながらステファノの成長力に圧倒された。

 今日見た書物の技を、一度の試射で再現するとは。


「恥ずかしいことだな。実に」

「何がですか?」

「ふふ。私は自分のことを天才だと思っていたのだ。人にできることは努力しなくてもすぐできるようになるのでな」

「凄いじゃないですか」


 嫌味ではなく、ステファノは本音でそう言った。

 ドリーにもそれは伝わったので、彼女が表情を変えることはなかった。


「お前に比べれば、私などそこらの凡才と変わらん。それこそあのトーマたちと五十歩百歩だ」

「そんなことはないでしょう。僕が見てもドリーさんの術が研ぎ澄まされているのはわかりますよ」

「それはそれ、これはこれなんだが……。自分を卑下しすぎても仕方がないな。長所は長所と認めて足りない部分を努力すればよいことだ」


 それは普段ドリーが生徒たちに指導している言葉だった。ステファノにはステファノの道があり、自分には自分の道がある。比べる必要はないのだ。


「すまんな。つまらん愚痴をこぼした。忘れてくれ」

「はい。遠当てと言えば、その他にも原始魔術と思われる術がいくつか記録されていたんですよ」

「……。お前の切り替えの速さには呆れるな。まあ良い。原始魔術がどうした?」

「魔術史の課題で調べていたんですがね。えーと、これです」


 ステファノはノートを引っ張り出して、原始魔術とみられる摩訶不思議の項目を読み上げた。


鎌鼬かまいたち、遠当て、天狗高跳び、山津波・山嵐、狐火・鬼火」

 

「これって、魔術のことだと思うんです」

「ふうむ。遠当ては今さっきお前が再現して見せたわけだな。さすがに20メートルは異常だが、数メートルの距離なら私にもできるだろう」

 

「鎌鼬は風魔術ですよね?」

「そうだな。流派によって呼び名が変わるがいわゆる『風刃ふうじん』という術だろうな。高速の風により、首筋を切る術だ」


「天狗高跳びは土魔術による引力操作だと思いますが」

「なるほどな。無詠唱で術を使える人間だったら可能だろう。やったことはないが私にもできそうだ。お前は……やったことがありそうだな」


 ステファノは無言で頭を掻いた。

 

「もう何も言わん。その内コツを教えてくれ。次は何だ?」

「山津波・山嵐です。水魔術かなと思います」

「土魔術あるいは水と土の複合魔術という可能性もあるな」

 

「何人かで術を重ね合わせるということはできるんですか?」

「普段から訓練を繰り返せば可能だ。タイミングを間違えると強い方が弱い術を蹴散らしてしまうがな」

「セイナッドの家臣団がそう言う訓練を積んでいた可能性がありますね」

「あり得る話だな」


「最後は狐火・鬼火です」

「火魔術または光魔術か」

「放火に使う火遁は火魔術ですね」

「聞いたことがある。五遁という奴か」


 ステファノは金遁が雷魔術で、木遁は風魔術ではないかという自分の推論を述べてみた。


「なるほどな。悪くない読みだ。鎧武者に雷をお見舞いして逃げ出すというのは効果的だろう」

「戦場はそこら中金気だらけですからね」


 雷電を放てば狙いなど定めずとも相手の武具に当たってくれる。ガル師が100人殺しの異名を取ったのも戦場ならではのことであった。


「五遁や摩訶不思議を原始魔術と見る着眼は良いんじゃないか? 後はその実例をどれだけ探れるかだな」

「セイナッド氏に焦点を絞って追い掛けてみようと思っています」

「そうか。狙いを絞ると言うのは良い考えだな。時間は限られている。当たれば総取り、外れれば無一文の博打のようなものだな」

 

「えっ? ドリーさん博打なんかやるんですか?」

「馬鹿者、ものの例えだ」

「ああ、良かった。親父に博打だけは手を出すなって言われてるもんで」

「それはあれだ。お前の親父が若い頃博打でやらかしたってことだな」

「えっ? そうですか?」

 

「お前は鋭いのか、鈍いのか、よくわからん奴だな?」

「すみません。興味のないことには勘が働かなくて」

「親のことを興味がないとか言うな、馬鹿者」

「そうでした。すみません」


 ステファノのち密な推理や観察力は身内のことに関しては働かなくなるようだ。あるいは自分自身のことに関しても。


「図書館では司書に頼るのがコツらしいぞ。歴史なら歴史に強い人が必ずいるらしい。セイナッド氏について調べたいと言えば、良い本を教えてくれるだろう」

「そうですね。今までは大体のジャンルで棚の場所を教えてもらっていました。もっと具体的に相談してみる手はありますね」


 あちらは「本のプロ」である。図書館というシステムの重要な一部として存在する司書という制度を、しっかり利用しようと、ステファノは考えた。

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