第183話 『柔』と『鉄壁』。

 ステファノはマルチェルに伝授された『型演舞』の動きをアレンジして再現してみた。拳を突き出す動きでは釣り手で押し、いなしの動きでは引手を動かす。


 足は吸いついたように床面を滑り、体幹の軸は中心線を離れない。


 引き回されたミョウシンは、ステファノの投げの動きに釣り込まれ床から足が離れそうになった。


「うっ!」

「おっと」


 投げ飛ばす寸前でステファノは動きを止め、ミョウシンの上体を受け止めた。


「へ?」


 後ろに、前に揺さぶられ、投げられそうになってよろけたところをステファノに抱きとめられたミョウシンは、一瞬何が起こったかわからずステファノの胸に顔をつけたまま当惑した。


「ごめんなさい。『型』の動きを試していたら、危うく床の上に投げてしまうところでした」

「あっ」


 ミョウシンは慌ててステファノから体を離した。


「い、今の動きは?」

「師匠から教わった『型演舞』の動きです。どちらかというと打撃中心の術ですが、投げも含まれています」

「不思議な動きですね。大きな波が寄せては返したようで、抵抗できませんでした」


 ミョウシンは一連の動きを思い返してみた。ステファノの動きには破綻がなく、押されたと思ったら崩されていた。


「元々は拳法の『套路とうろ』という動きから練られたものです。套路はゆったりとした動きで特に重心の維持に極意があると思っています」

「それは……興味があります。見せてもらっても良いですか?」


「師匠のようにはできませんが」


 そう断ると、ステファノは場所を移して静かに立った。

 すうと一息吸い込み、ふうと吐く。その呼吸でいつのまにか動き出していた。


 套路を練れば、イドも練られる。意識せず、ステファノはイドの鎧を纏っていた。


 ミョウシンの目にはステファノに霞が掛かったように、一層気配が薄れたと感じる。


 音のない世界でステファノは動く。踏み込み、回り、躱し、下がってもステファノの足は音を立てなかった。

 時折空を撃つ拳と脚が、「ぶん」と風を切る以外、衣擦れの音しか聞こえない。


(あ?)


 踊りのような静かな動きの中に、先程自分を崩した流れがあった。踏み込んで押され、いなされて崩された。


(ああ、あのままならわたくしは投げ飛ばされていた)


 ミョウシンの目には宙を飛ぶ自分の姿が映った。


(これは「神」に近づこうとする武術だ)


 そう感じた。


 目指すところがあまりにも精妙であった。細い、細い針のような剣で、ボタンの穴を突くような。

 決まれば確かに絶大な威力だが、「普通の人間」には到底再現できない技。


 それを為すのが達人であり、それが為せるのであれば力も体格も必要ない。そういう類の術であった。


 ミョウシンの柔は違う。


 それはかみ砕いた万人の技だ。武骨だが、誰にでも使える。重い鉈のような術。

 上は達人、下は素人まで、誰でもそれなりに仕える技だ。


 ある程度力と体格に恵まれなければ強くなれない。その代わり、ある程度までは誰でも強くなれる。

 そういう術であった。


 どちらが良いとか、悪いとか。優れているとか、役に立つとか。そういう類のものではなかった。


 目指すところが違う。


 ステファノは元の位置に戻って、静かに腕を降ろした。


「奥深い術ですね」


 それがミョウシンの感想だった。元よりステファノは達人ではないが、その動きの中にこの「套路」を編んだ達人の姿が垣間かいま見える。


「はい。まだ意味が読み取れない動きがいくつかあります」


 それは見ていたミョウシンも同じであった。おそらくそこに「崩し」に通じる「理合い」が潜んでいる。


 柔の技、たとえば「投げ」は決まったかたちだ。その形に入れば、人は人を投げられる。

 修行者はその形を反復練習する。いかに早く、いかに円滑にその形に入るか。


 しかし、本当に大切なのは投げの形に入るまでの流れだ。ミョウシンはそう思う。

 柔では「投げ」そのものと「崩し」は分けて教える。


「崩し」は難しいからだ。いきなり「崩し」を教えても初学者は理解できない。そこで挫折してしまう恐れがある。

 

「投げ」は違う。剣術の素振りのようなものだ。誰がやっても一定の威力がある。体力をつければ威力は上がる。


 だからわかりやすいし、稽古が楽しいのだ。


「崩し」は、わからない者には永久にわからない。感覚に頼る部分が大きい。

 脱落者を出さぬために、柔は「かたち」を優先したのだ。


 ステファノの武術は自分の柔の糧になる。ミョウシンは彼の套路を見て確信した。

 彼の武術から、柔が「後回し」にした「崩しの心」を学ぶことができる。ミョウシンはそう感じていた。


「ステファノ、わたくしにきみの武術を教えてもらえませんか?」


 ミョウシンは思わず頭を下げていた。


「えっ? 俺は単なる初心者ですよ?」


 ステファノは当惑して答えた。


「構いません。いえ、失礼な言い方でした。むしろ一緒に学びたいのです」

「ミョウシンさんには柔があるのでは?」

「きみの武術を学べば、柔の心に近づけると感じたのです。わたくしは自分の感覚を信じます」


 一度決めると、ミョウシンは押しが強かった。行動に迷いがない。

 お嬢様育ちゆえの純粋さなのかもしれなかった。


「俺の方は構いません。柔を教えてもらっているので、お互い様ですし」

「ありがとう。柔ときみの武術はとても良い組み合わせだと思う」

「俺もそう思います。柔を知ることで、『型』の心がより深く理解できそうな気がします」


 マルチェルの「型」は精妙なバランスと構成の上に成り立っている。意味を理解せず真意から外れれば、型は上滑りし力を失うであろう。

 柔の「形」は単純化した理合いだ。千差万別の現実に合わせる柔軟性と応用性を身につけなければ、力任せの技に終わるであろう。


 どちらも「極意」であり、「入り口」を示しているのだ。遥か先にあるものはあるいは共通しているのかもしれない。


「でしたら前半1時間は柔の鍛錬、後半1時間を『型』の鍛錬に当てましょう。指導者も入れ替わるということにすれば良いでしょう」

「俺が教えられることは少ないんで、一緒に鍛錬をするということでどうでしょうか?」

「きみがそれで良ければ構いませんよ。あの『型』を身につけるだけでも十分な修行になりそうです」


 ステファノは自分が勝手に「型」を人に伝えてよいものか迷ったが、マルチェル自身が「型」そのものは人に見られて困るものでも特別な技でもないと言っていたことを想い出した。


「『套路』の方は師匠もきちんと学んだものではないと言っていたので、教えるのは勘弁してください。『型』の方を一緒に学ぶということにさせてもらえれば」

「それにしてもこの武術は何というものでしょう? 先生から教えられていないのですか?」

「いいえ。自分で工夫したものだということでした。あえて言うならば……『鉄壁の型』でしょうか?」


 ステファノはマルチェルの二つ名を型の名前に戴いた。それがふさわしいことのように思えたのだ。


「『鉄壁』とはいかめしい名前ですね」

「徒手で剣や槍を持った鎧武者と戦う術です。いかめしくなるのは仕方ありませんね」

「なるほど。極めればそこまでのものなのですね」


 ミョウシンは目を輝かせた。

 マルチェルの二つ名については聞き及んでいないようだ。30年も前の時代であり、王立騎士団など限られた世界を除けば知る人は少ないだろう。


「きみの先生は素手で剣を持った兵士と渡り合えるのですか。素晴らしい達人ですね」


 実際には鎧武者100人の中に徒手空拳で飛び込んでいたのだが、冗談にしか聞こえないだろう。ステファノは真実を告げるのを諦めた。


 その日は『鉄壁の型』に含まれる12の動きの1つを教え、その動きについて2人で意見を交換し、考察した。

 自分以外の視点を得ることはステファノにとって大きな刺激となった。

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