第166話 『柔』は受け身に始まる。

 研究報告会について知りたい点に関連した資料数点を持ち出して、ステファノは閲覧室に移動した。

 空いているデスクに持ち出した資料を並べ、自前のノートと筆記具を用意する。


 ステファノは資料を見比べながら疑問点に関するデータを、ノートに記録していった。

 データを整理してみると大雑把にではあるが、次のようなことがわかった。


 ・回次毎の報告件数は、魔術科5件に対して一般学科10件の比率であまり変動がない。

 ・チーム編成の人数上限は5人までと規則に定められている。

 ・チームに与えられたポイントは基本点であり、貢献度を評価して個人への付与ポイントを査定する。

 ・他のメンバーに対して貢献度が8割しかないと査定された場合、チーム基本点が5点であってもその個人に対する付与ポイントは4点になる。

 ・貢献度の査定は個人毎に行われ、教授会に指名された評価委員会が面接と参考資料を評価して決定する。

 ・過去の最高点は10点(10単位相当)であり、獲得者はドイルであった。

 ・一般学科からの報告案件を分類すると、軍事学が7割、政治学が2割、その他が1割という状況だった。


(研究報告会が課程修了に関する大きな近道であることは間違いないな)


 チーム内での貢献度査定が公平に行われるのであれば、スールーとサントスのチームに参加したとしても自分の業績を奪い取られるということはなさそうであった。


(評価の客観性を疑い出したら、単位認定そのものも疑わなくちゃならないからな。そこは信用するしかないだろう)


 しかし、思った以上に軍事テーマの比率が高かった。魔術科のテーマにしても5件中4件は戦闘魔法に関するもので、純粋に生活魔法(非戦闘魔法)に関わるものはせいぜい1件あるかないかであった。


(数年前までは戦争が続いていたわけだし、今だって小競り合いは日常的に発生しているからしょうがないのかな?)


 一旦納得したステファノは資料を返却台に戻し、図書館を後にした。


 そろそろ昼休みも終わりに近づいていた。ステファノは運動場を覗いてみることにした。

 広々とした運動場には土がむき出しになった部分と、緑の草に覆われた部分とがあった。


 昼休み直後の人影はまばらで、運動している人は少なかった。運動場を取り囲んで伸びている歩道をゆっくり歩きながら、ミョウシンと名乗った少年の姿を探す。


 大木の木陰になった部分、草の上でミョウシンは体を投げ出してはくるくる回っていた。


「あの、こんにちは」


 遠慮がちにステファノが声を掛けると、ミョウシンは草の上から身を起し、ステファノを認めて挨拶を返した。


「こんにちは。説明会の時に会った新入生ですね」

「はい、そうです。時間が空いたので、練習を拝見しに来ました」

「そう。護身術に興味があるのですか?」


 落ち葉を道着から払い除けながら、ミョウシンはステファノに近づいた。

 その顔がふと不審気になる。

 

「君は気配が薄い人ですね。近づいて来るのがわかりませんでした」

 

 言われてみてステファノは、図書館以来「隠形おんぎょう」を行っていたことに気がついた。目立たぬようにそっとイドを纏う量を薄めて行く。


「ご飯を食べたばかりで、そろそろ歩いていたせいかもしれません」

「そうですか。それにしてもそれだけ静かに歩けるのは、足腰がしっかりしている証拠でしょう?」


 ステファノの体を上から下へと眺めながら、ミョウシンは言った。


「最近1カ月は『型稽古』をやっていたので、少し足腰がしっかりしたかもしれませんね」

「型稽古ですか? それは何かの武術の?」

「はい。知り合いに武術に詳しい人がいて、身を護るための型を教わりました」


 ステファノがそう言うと、ミョウシンは興味に目を輝かせた。


「へえ。それはぜひ見たいものですね。披露してもらえないでしょうか?」

「はい。簡単な動きで良ければ」


 套路とうろはともかく、型演舞の動きはそれほど特殊なものではないとマルチェルに聞いていたステファノは、荷物を大木の根元に置くと草の上に移動してミョウシンに正対した。


 両足を肩幅に開き、静かに呼吸を整えると、ステファノは型に意識を集中した。


諸行無常いろはうた」の念誦は行わないが、自然とイドは繭となって体を覆っていた。

 重心を正中線に保ち、見えない敵の打撃を捌き、敵の体勢を崩し、投げる。組んで来る腕を払い、拳で胸を打つ。

 蹴って来ればいなし、掴んでくれば引き落として蹴りを返す。


 すべては流れの中で、流れを支配する意思の表れであった。


 静かに元の位置で動きを納めると、ミョウシンが頷いた。


「良く練られた型ですね。良い先生についていることが感じられます。ありがとう」


 ミョウシンは顔を綻ばせた。


「ありがとうございます。初心者なので師の動きは到底真似できませんが、これからも続けて行きたいと思っています」

「そうですね。型は繰り返すほどに、身について行くものですからね」


 ステファノはミョウシンの「術」について聞いてみた。


「大講堂で披露していた技はどのような『術』なのでしょうか?」

「あれは『柔』の基礎である『受け身』です」

「それにはどんな意味があるのでしょう?」


 ステファノが習った型演舞には受け身という概念はなかった。武術の体系としては存在するのであろうが、初心者が学ぶ基礎という位置づけにはされていないのだ。


「『柔』の技には、「投げ技」、「当身」、「ひしぎ技」、「締め技」があります。これは流派によって扱いが異なりますが、わたくしの流派ではこのように分けています。「受け身」とは「投げ技」を受けた際に体を守るための心得です」

「投げられた時のために『技』があるのですか?」

「はい。投げられても衝撃を上手く逃がすことができれば、その後も戦えます。投げられた側はそのように身を守ることが大切なのです」


 言葉よりも見本を見せましょうと言って、ミョウシンは草原に歩み出た。


「相手の攻撃で骨を折られてはもう戦えなくなります。骨と筋をいかに守るかが『護身』の課題です」


 そう言うと、ミョウシンは大講堂の舞台で見せていたように、地面に身を投げて背中からくるりと回った。


「今のが前回り受け身です。敵に投げられた時に衝撃を散らす技ですね。頭、肩、腰、背骨などの急所を守ります」


 立ち上がったミョウシンは、後ろに倒れながら両手で地面を叩いた。


「これが後ろ受け身。地面を叩くことにあまり意味はありません。手を突いてしまうと手首を傷める恐れがあるので、こうするのです」


「これが前受け身。二の腕の内側を使って衝撃を吸収します。同じく手を突かぬ用心が大切です」


「横受け身です。体の側面全体で衝撃を吸収します。肩や腰、頭を守ることが大切です」


 一通りの受け身を披露すると、ミョウシンはステファノの元に戻って来た。


「ありがとうございました。投げられた時の技から教えるというのは面白いですね」


 ステファノは素朴な感想を述べた。


「そうですね。初心者は投げられることが多いので、怪我を防ぐために先ず受け身から教えるのです」


 そう言われれば、確かに理に適っている。初心者は弱い。弱ければ投げられる。投げられたら怪我をするのだ。


「うん。見栄を捨てた、合理的な考え方ですね」


 ステファノが言うと、ミョウシンは自分が褒められたように顔を綻ばせた。


「わかってもらえますか? みんな派手な技を習いたがるので、受け身の大切さはなかなか理解されないのです」


 確かに大講堂でのデモンストレーションで、「タイル割り」や「板割り」を見せていたグループは歓声を浴びていた。


「ウチにはお見せする『型』というものが存在しないものですから」


 ミョウシンはため息をついた。

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