第148話 この国に科学が育たなかったのは貴族のせいではない。

「先ず、あんたが生まれた世界について教えてくれ。法則は、世界の法則はここのものと同じなのか?」


 ドイルは実に科学者らしい質問から会話を始めた。

 法則を語るとなれば、ヨシズミの態度も真摯なものにならざるを得ない。


「オレが知る限りでは同じだ。厳密な測定はしていないがな」

「ふむ。あんたから見て、俺たちの文明、俺たちの科学はどれだけ遅れている・・・・・?」


「遅れている」ことを前提にしたドイルの質問に、ヨシズミは眉を寄せて腕組みをした。


「言っておくが、オレは学者でも科学者でもないぞ? ただの庶民だ。それもどちらかというと肉体派のな。その俺から見てあんたがたの科学は……500年から600年は遅れているだろう」

「……1年は365日、1日は24時間で良いのだな?」


 ドイルは、不気味なくらい冷静であった。


「ああ、その通りだ」

「そうか。600年か」


 声は静かであったが、ドイルは両手で己の髪を千切らんばかりに握り締め、奥歯を噛みしめていた。


「600年。あんたは知らないかな? この国で600年前に何があったかを?」

「あいにく不勉強でな。まったく知らん」


「615年前。『魔力』の存在が発見された」

「むう」

「最初にギフトを得た人間が聖人となり、聖教会の基礎を築いた。現在に伝わる魔術の体系は600年前には既に出来上がっていた」


「……600年前か。その聖人と言うのは……」

「初代法王となった聖人こそ、聖スノーデンその人だ」


 現王家の祖であった。


「そうか。1人の偉人が世界を変えることもあるのだな」

「それは……良いこととして言っているのか?」


 ヨシズミは悲し気に首を振った。


「ンなわけねッペ。順番に恵まれねかッたナ」

「俺たちの600年前を始点だとすると、お前たちは何年後に魔力を知った?」


 苦しいものをこらえる表情でドイルは尋ねた。胸の奥には爆発しそうな塊があった。


「そうさナ。ざっと500年後ってとこカ……」

「500年! 魔力を知らぬ500年で、お前たちは何を得た?」


「科学の上に文明を築いた。疫病のほとんどを駆逐し、生産力を数倍化した結果、世界の人口は6倍に増えた。平均寿命は50歳くらいに伸びたはずだ」

「ぐ……。それほどか!」


 スノーデン王国でもし平均余命の統計を取れたとしたら、30歳に満たないであろう。幼児死亡率の高さと戦争の存在が未熟な医療技術以前に死を身近なものにしていた。


「そこからの80年は科学と魔法が混在していた。その80年で寿命がさらに30年延びた」

「想像もつかん……。変化のスピードが速すぎる」


 ヨシズミの胸に去来したのは「憐れみ」の感情であった。


「オレの国では定員600人の乗り物が空を飛び、全長300メートルの船、高さ600メートルの塔を作っていた。そして、国民の100%が教育を受けていた」


「な! 馬鹿な……」


 乗り物が空を飛ぼうと、どれほど大きな建造物を造ろうと、ドイルは驚きはしなかった。孤高の学者が心底驚愕したのは、国民全員が教育を受けるという事実であった。


「すべての人間が教育を受けるだと? いったい誰が働くんだ?」

「15歳まで教育を受けたとして、60歳までの45年間充実した労働を行うことができる」

「45年……」


 ドイルは頭を抱えた。


「それが『普通』なんだな?」

「いや……オレの国では国民の90%は18まで学び、さらにその半数以上が2年から4年学習を続ける」


「は、ははは。何だその国は? 国民の9割が学者ではないか? 平民はどうした? 女はいないのか?」

「オレの国に貴族はいない。全員が平民だ」


「わはははは。まるで冗談のような国ではないか? 貴族がいないだと?」

「戦争に負けて貴族制度を捨てさせられた」

「わっはっは。洒落た戦勝国だ。そ、それでは慈善事業じゃないか? ふははは」


「わははははははは……。ごほっ、ごほっ、ゴホン……」


 狂ったように笑ったドイルはむせ返り、ひとしきり咳をした後ようやく呼吸を落ちつけた。


「ふぅー。いや、取り乱してすまん。あまりの落差に絶望を覚えてな。もう大丈夫だ」


 ぐびりと冷めた紅茶を飲み干し、砂糖を入れ忘れていたことにようやく気づいて顔をしかめる。


「魔術がイカンのだな?」

が悪すぎッペ。科学が発展サしようとしていた時に、魔術サ見つけチまった」


 人々は手軽に結果を得られる魔術に飛びつき、科学の振興を放棄してしまった。


「科学には時間と費用が掛かッからナ」

「それにしても、だ」


 ドイルとしては叫び出したい場面なのだろうが、今は平静を保っていた。


「魔術を頼るのはわかる。何もねェところに火がつき、水サ生み出し、土を動かす。元手要らずだモンな」


 魔術と同時にこの世に登場したのが「ギフト」であった。ほとんどが「初級魔術」の威力で戦いの役に立たなかった魔術師に対して、ギフト持ちは戦争の花形になった。

 ギフトを持つものが「力」を得、権力を握った。


 すると「貴族階級」が生まれ、魔術師は貴族に従属する集団となった。平民が享受できるのは貴族が味わいつくした旨味のおこぼれのようなものであった。


「ギフトと魔術を囲い込んだ貴族は豊かになった。その富を科学の振興に充てていたら、世の中全体を豊かにすることができたはずだ」

「あんたの言ってることは正しいケド、それは理屈だナ」

「何?」


 ヨシズミはひるまず、淡々と告げた。


「うめェもんがあったら誰だって自分一人で味わいたいッペ。『自分で稼いだもの』だったらなおさらだ。人に分けてやるのは、余程のお人好しだッペ」

「だが、貴族には『高貴なる義務』が……」

「貴族を否定するアンタがそれを言うかネ?」


「うっ」


 ヨシズミに指摘され、ドイルは二の句を継げなかった。


「『高貴なる義務』なんてものは貴族を飾るためのでっち上げに過ぎない。アンタなら本来そう言うんじゃないのか?」


 その通りであった。貴族擁護派がメリットとして掲げる「高貴なる義務」をご都合主義の欺瞞だと言って、ドイルは否定してきた。

 その彼が「高貴なる義務の」履行を求めるなど、自己矛盾も甚だしい。


「くそーっ!」


 ドイルは頭を掻きむしった。


「この僕が貴族に道徳心を期待していたなんて、自分の甘さに反吐が出るぜ!」


「科学の対象として貴族を語るなら、『個人としての貴族』を一旦忘れ去るべきだ。『貴族』とは1つの社会集団にすぎない」

「君は何を……?」

「この国に科学が育たなかったのは貴族のせいではない」


 ヨシズミは冷静に言葉を進めた。


「科学は生産力の拡大をもたらし、生産力の拡大が社会全体に富の増加をもたらす。その余剰財が科学を発展させる原動力となる」

 

「鉄器の発達は農耕生産性を高め、農地を広げ、収穫量を増やす」


「農業生産量の増加は富の蓄積を促し、非農業活動への従事時間を社会全体として増加させる。それは食料以外の産品増大をもたらす」


「物資の蓄積、遍在化は流通手段の発展を促し、道路・交通・家畜運用の発達につながる」


「交通の発達は情報の交流と貨幣経済・商品経済の拡大および複雑化をもたらす」


「商品経済の発達は職業の分化・分業化を進展させ、技術の細分化・専門化を促すことでさらに科学を発展させる原動力となる」


「戦争は社会が構造変化する裏側で起こる利害衝突の発露だ。円滑に変化できない社会の歪みが武力衝突となって破裂する」


「皮肉なことに戦争でさえ余剰生産力がもたらす『贅沢』であり、技術革新をもたらすインキュベーション機関の役割を果たすことがある」


 とうとうと畳みかけるように語るヨシズミの声には一切の熱が込められていなかった。晩飯の献立を語るように淡々と、当たり前の事実を読み上げているかのごとく。


「ドイルさん、アンタは・・・・それを知っているだろう?」

 

 ドイルは見開いた眼をヨシズミからそらすことができなかった。

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