第128話 謎の男ヨシズミと洞窟にて語り合う。

 テーブルには米の飯を盛った椀と空の汁椀、そして箸が置いてあった。男とステファノの2人分ある。

 中央には漬物を盛った皿があった。


 男はステファノの汁椀に鍋からスープを注ぎ、元の位置に戻した。続いて自分の椀に汁を盛る。


「よし! 食うべ。頂きます!」


 手を合わせて瞑目した男は箸を取って、汁椀を持ち上げた。


「うん? どしタ? 頂きますって、教わんねかッたカ?」


 ステファノは手を合わせたまま固まっていた。


「何してんダ? おめェ、もうくぢきいていいッテ!」

「ああー。もうしゃべって良いんですか?」

「当たり前だッペ! 黙ぁーって飯サ食っても旨くなかッペヨ」


 相変わらず男の言葉はきつく聞こえたが、どうやら怒っているわけではないとわかってきた。

 こういう口調の人なのだ。


(ケントクさんにもちょっと似てる?)


「頂きます」


 ステファノは料理に手を合わせた。まず気になっていた汁椀を手に取り、鼻から湯気を吸いこんだ。

 魚介の香り以上に匂って来るのはさっきのペーストか? この香りは何だろう。


 男は黙ってにやにやとしながら、ステファノの様子を見ていた。

 

 一口スープを口に含む。ステファノは驚いた。


 ごく薄いスープで、具もあっさりした物なのに、深いコクがある。

 何よりも香りが良い。口の中で一層に魚介の香りが広がった。


 箸を取って汁に踊るワカメを一切れ口に入れてみた。違う! 乾燥物とは全く違う弾力にステファノは驚いた。


 初めての食べ物を口にする驚きが顔に出ていたのであろう。

 男は笑みを浮かべて、ステファノに尋ねた。


「どうだ? 旨かッペ? 今朝採れたワカメだ」


 そう言うと、男は自分の膳に向った。


「箸の使い方知らねェかと思ったら、思いの外うめェもんだナ、えェ?」

「最近、東の生まれの人から教わったんです」

「そうか? そんじゃ米の飯も食ったことあンナ? あいにぐ昨夜炊いた冷や飯だけど我慢しろナ?

「あ、これは食ったことあっカ? 俺が漬けたおこーこダ」


 ステファノは飯屋のせがれだ。新しい食材にしり込みすることはない。体に悪い物以外は何でも食べて来た。


「ピクルスみたいなものですか? 頂きます」


 箸に取ってみると不思議な香りが漂う。ちょと汗の臭いにも似た……。


「発酵臭か?」

「良く知ってンナ。漬け込んで発酵させてッから体に良いって話ダ」


 口に入れると確かに若干の酸味がある。塩味と独特の旨味。そして歯ごたえが返って来る。

 なるほど、これはバクバク食べる物ではない。


「ご飯に合うおかずなんですね」

「そうダ。めしのおともだッペヨ」


 スープに含まれる魚介成分をのぞけば、動物性の食材が1つもない食卓であった。

 粗食といえば粗食なのであろう。元々今日は朝食を抜くつもりでいたステファノには丁度良い分量であった。


 飯の甘みと、汁と菜の塩分。昼までなら十分持つ。


「ご馳走様でした」

「おう。お粗末でしタ」


「今、お茶サれてやッかラ」


 男は小さな鍋に水を汲み、湯を沸かし始めた。

 ステファノは竈に燃料が入っていないことに気がついた。炭も薪も使っていない。


 にもかかわらず、男が鍋を竈に掛けるとじきにちりちりとなべ底から泡が立ち始めた。


 ステファノは鍋をイデアの眼で視る。不思議なことに「魔力」の働きは感じられなかった。

 「世界」が等しく纏う「始原の光」、その赤色のほのかな輝きしか観えない。


 魔術であって魔術ではない。男はステファノの知らない術を使っていた。


「あの……」

「聞きてぇことはいくらもあンだろうけど、お茶サ飲んでからにしとケ……」


 沸々と湧き始めた湯を竈から降ろし、茶葉を摘まみ入れながら、男は言った。


「慌てッことはねェ」


 緑の葉が湯の中で開き、薄緑が鍋全体に広がった。

 香り立つ茶を、男は先程の茶椀に注ぎ分ける。


「さ、お茶ッコでも飲みながら話サ聞くッペヨ」


 そう言って、男は椀の茶をずずっとすすった。


 ステファノも茶椀を手に取って、お茶を啜った。「茶」だということはわかったが、ステファノが知る紅茶とは違うものであった。


「これは……緑茶ですか?」

「知ってたか。そうだ。おめェらが普段飲んでるお茶ッコと違って発酵してねェノ」

「初めて飲みました。美味しいですね」


 お世辞でなくそう思った。ほんの少し、木の葉であった名残に渋さを残しているが、味わいと香りのまろやかさは発酵させた紅茶にはないものだった。


「こればっかりはヨゥ、ここら辺じゃ作れねンだ。お茶っ葉の産地まで出掛けてッて、葉っぱのまんま買いつけンダ。そんで、その場で蒸し上げから手もみと乾燥まで自分でやってヨォ。湿気ンネように箱サ入れて持って帰ンノ」

「そんなに大変なんですか?」

「そーだヨオ。行き帰りで2カ月掛かンノ。1年にいっぺん船に乗って出かけンダァ。お茶はやっぱりこれでねェと、飲んだ気しねェのヨ」


 それは貴重な物を飲ませてもらった。ネルソンが振舞ってくれた高級紅茶とはまた違った意味で、手に入れ難い品物であった。


「あの、ところでここはどこでしょう?」


 海辺で意識を失ってから自分はどうなったのであろうか?


「海岸沿いサ南に来たところだ。あるったら半日は掛かッペカ?」


 空腹度合いを考えると、あれから大した時間は立っていないはずだった。馬で運ばれたのかと、ステファノは解釈した。


「この部屋は洞窟ですか?」


 最初に気づいたことだが、部屋は壁も天井も土が露出していた。窓もない。


「自分で掘った穴だァ。家サオッ建てンのは面倒なもンでヨォ」


 1カ所だけの出入り口にはむしろが吊るされていた。


「ここらは気候も良くッて食べもンも多いから、こんな穴でも暮らしやすいンダ」


 男はしみじみと「部屋」を見回した。

 そこまで話をして、ステファノは名乗ってもいないことを思い出した。


「すみません! 失礼しました。自分はステファノという者です。薬屋の使用人です」

「おゥ、そうかい。俺はヨシズミってもンダ。このカッコでわかるだろうけット、よその土地から流れて来たもンダ」


 そう言うヨシズミのいで立ちはローブのように仕立てた布を帯で体に巻きつけただけの簡素な物であった。


(お国の衣装なんだろうか?)


 ステファノは深く考えずにそう思った。


「あの、意識をなくしたところを助けてもらったようで……」

「ああ、そもそも蹴り倒したのが俺だかンナ。行き掛り上、引き取ったンヨ」


 ヨシズミは事もなげに言った。


 あの時ジローとの決闘に至り、ステファノは水魔術を行使しようとしていた。海面が津波のように立ち上がったことまでは覚えている。あの後、自分はどうするつもりだったのか?


「何があったか知らねェが、若ぇのに命の取りッコは穏やかでねェ」

「いや、そこまでするつもりは……」

「なかったってカ? あのまンまでは2人とも・・・・水に飲まれて死んでたッペ」


 言われてみればその通りだった。あの量の海水がジローに襲い掛かれば、そのまま自分も押し流されただろう。水の中で息をする方法も、水を押しのけて進む方法もステファノは知らない。


「すみませんでした。自分が見境もなく術を使おうとしたせいで」


 ステファノは己の非を認めた。


「向こうの身なりの良い方は『魔術』つうやつを使いこなしてるみたいだけット、おめェの方は何だか危なっかしいのナ?」

「わかりますか?」

「そンくれェはナ」


 この人はどうやら相当な実力者らしい。ステファノはそう思った。海辺の時から今までのことを想うと、さまざまな術を行使しているに違いないのに、ステファノはその発動を感じ取ることができない。

 見たことのない体系システムを持っているに違いないと、確信していた。


「俺には魔術が使えないんです。それで『ギフト』を利用した別の方法で術を使おうとしています」

「ああ、『ギフト』なぁ」

「知ってるんですか? もしかしてお貴族様ですか?」

「そんなわけなかッペヨォ! 一時いっときお貴族様に雇われたんだァ。似合わねェけど」


 確かに、格式ばったお貴族様の世界にヨシズミは似合いそうもない。何の仕事で雇われたものやら?


「あれは『子供だまし』みてェなもんだから。こっちの神様は意地が悪いンだァ」

「えっ? 『ギフト』のことですよね?」

「そうだヨ? だって、中途半端でしょうニ?」


 ギフトが中途半端とはどういうことであろうか? ステファノの頭は疑問で一杯になった。

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