第107話 身心一如。「形」は「意」に依りて常に移り変わる。

 隅落し。


 腕も衣服も掴まず、腕一本の接触のみでステファノはマルチェルを投げ飛ばしていた。


 驚きに声を発したマルチェルであったが、投げ出された空中で身を捻ると、何事も無かったように地面に降り立った。


「面白い!」


 ステファノは驚愕して動きを止めていた。ギフトの波動は既に霧散している。

 一体今の出来事は何だったのか?


「マルチェルさん、今のは?」

「ギフトの発動ですね。久々に投げられました」


 これは油断ですね、お恥ずかしいと、マルチェルはシルバーグレーの頭を掻いた。


「俺は投げ技なんて使ってませんよ?」

「それは重ね重ね面白いですね。あの『』の意味は『敵の攻撃を捌いて、投げる』ところにあります。お前は無意識に技を使ったことになりますね」

「俺は型をなぞっただけですが……」


「それにしても、あの投げは見事でした。掴まずに投げるのはもはや達人の域ですから」

「そう言われても……わかりません。自分では型の通りに動いたつもりなので」

「ふむ。面白いですね。実に面白い。あの時、お前が示す型にまるで自分を見ているような気持ちになって、つい手を出してしまったのです。『あの投げ』を無意識に放てるとは……」


「ギフトとはまことに奥深いものです。わたしもまだまだギフトに対する向き合い方が足りないということですか」

「ええ? そんなこと……」

「お前の『歌う詠唱法』――と言うのも面倒ですね。『呪文じゅもん』に対する物として『誦文しょうもん』とでも呼びましょうか。誦文というやり方にはギフトの可能性を広げる力があるのかもしれません」


誦文しょうもん


 マルチェルが与えたその名前は、実にその体を表わしたものとステファノには思えた。


「誦文……。自分には呪文よりもしっくり来るような気がします」

「きっとそうなのでしょう。誦文を使った時のお前からは、今までない程のギフトの脈動を感じました。それはまるで、ギフトが喜んでいるような……」


 ああ、確かにと、ステファノは頷いた。

 光のひもたちはステファノに纏わりつき、歓びの踊りを踊っているかのようであった。


「これは旦那様に報告する良い土産話ができました。それに、これを見せれば頑固なマリアンヌもお前の実力を認めざるを得ないでしょう」

「入学試験でこれを披露するということですか?」

「そうです。厳密に言うと魔法学科に入学試験という物はありません。書類審査では推薦状の適格性と、その内容が才能を示すに値するかどうかを見ます。後は面接があるだけです」

「面接ですか?」


「面接では、質疑応答の形で入学希望者の人となりを見ます。そのほか書類に表せない長所をアピールする場としても活用されます」


「誦文式演舞法は、魔術学会で報告できるほどの発見です」


「誦文式演舞法……」

「お前は毎日これを練りなさい。心と体を同時に鍛えるのです。『身心一如しんしんいちにょ』の境地に至ればギフトを意のままに用いることができるでしょう」

「身心一如……」


「これもまた、我が尊師の教えです。元は東国の宗教から生まれた思想だそうですが、武術の極意に通じる境地としてわたしが目指すものでもあります」

「どういう考えなのでしょうか?」


「簡単に言ってしまえば、体と心は一体であるという当たり前の事実です。それを忘れて生活しているのが人であると」

「日々の生活ですか……」

「そうです。何でもよいのです。顔を洗い、飯を食らう。その『行為』は慣れに任せた投げやりなものになっていないか? すべての動作に心を寄せれば、人は本来あるべき姿に近づき、死が訪れるときも動ずることなく受け入れられると言います」


「死を受け入れるのですか……」

「そうです。すべての事物は終わりから逃れられません。体が終わりを迎えるときに心だけでも生き残りたいと執着するから恐れを生じるのです。体が去る時、心も去る。当たり前のことを当たり前と受け止めることにより、安寧が生まれるのです」


「体」とは「物」である。対する「心」には物理的実体がない。

 だが、心が存在しないと言い切る者は少ない。言い切る己は「心」ではないのかという問いに答えられない。


 実体が無くても存在するもの、それはギフトも魔力も同じではないか。では、それらはどこに存在するのか?

 魔力の秘密、ギフトの術理がそこに隠されている。


 ステファノにはそう思えた。


「難しいですね。ギフトを練りながら、自分の中の世界と世界の中の自分について考えてみようと思います」

「そうですね。それはすべての生きるものが向き合うべき問いでありましょう」


 そう言ってマルチェルは鍛錬の時間を締めくくった。


 ◆◆◆


「ほほう。マルチェルを投げ飛ばしたとは。それは見たかったな」

「いや、驚きました。技の起こりも見えずに投げ飛ばされたのはいつの日以来でしょうか? わかっていても防げないとは正に武術の極意に触れる瞬間でした」

「お前にそこまで言わせるとは、『誦文式演舞法』、本物なのだな?」


「論より証拠。武術に空論は似合いません。中庭にて実演をご覧に入れましょう」


 道着姿のマルチェルは、静かに主人をいざなった。



「始めましょう」


 ネルソンを前に、マルチェルとステファノの2人は横に並んで立った。間は3メートルほど。

 隣の存在を感じはしても、視界に入れるのは難しい距離であった。


 マルチェルがゆるゆると型の演舞に入った時、ステファノも動きを始めていた。


「合わせよう」としては合わせられない。

 ステファノはただ脳裏にある内なるマルチェルに外から観た自分を重ねようとした。


 誦文しょうもんは行っていない。まずは「素」の状態でステファノがどこまでできるのかを見せるためだ。


 ステファノの意識の中では、一回り大きいマルチェルの像にすっぽり入り込む形で自己像が動いている。

 マルチェルの動作には意味がある。「かくあれかし」という意図が込められていた。


 そのすべてまでステファノには読み取れないが、「視える」範囲で解釈を働かせた。

 すると「形」の中に「意」が込められる。


 いや、それでは「因果」が逆だ。

 

「『意』こそが『形』を成す」


 それもまた「身心一如」のあり様であった。


 ステファノの自己像が主観のマルチェル像に重なる精度は、昨日よりさらに高くなっていた。

 これは夕食後の1人稽古で、意識の中でマルチェルの動きをなぞり続けた成果であった。


 それに対してマルチェルは己の宇宙を描いていた。ステファノの脳裏にいる像は、過去のマルチェルである。

 込められた「意」はその時の「意」であった。


「諸行無常」の理はマルチェルの演舞に対しても働いている。

 今日のマルチェルは昨日のマルチェルではない。想定する敵も昨日の敵ではない。


 型に込められる「意」も今日は昨日の物とは変わっている。

「形」が似ていようとも、マルチェルの演舞は昨日のそれとは異なる物であった。


 これはすべての学習者、求道者に当てはまることであり、何もステファノの学び方が間違っているわけではなかった。

 型に始まり、型を離れる。そこに行きつくまでには武術者としての長い修練が必要であった。


 そうであっても始めてわずか10日ばかりの初学者としては、ステファノは見事に安定した型を破綻無く演じ通した。


 中庭にぽんぽんと、ネルソンが叩く手の音が響いた。


「これは見事なものだな。どこの道場に連れて行っても恥ずかしくない師弟振りではないかな?」

「はい。ステファノの看取り稽古は独特です。わたしも真似を始めたところです」

「ほう。武術に関してマルチェルが学ぶか?」


 いささか意表を突かれたネルソンに、マルチェルはステファノ独自の観相法について語った。


「己の動きを外から観て、内なる理想形と重ねるというのか……。簡単にできることではないな」

「はい。客観視は体術者として中級以上でなければ思うようにはいかぬ物。ましてや手本を思い浮かべながらそれに重ねるとは、極めて精妙な観相法です」

「そうであろうな。面白い物を見せてもらった」


 ネルソンは満足して頷いた。


「いえ、旦那様。面白くなるのはこれからでございます」


 マルチェルはステファノにそっと目配せをした。


「始めなさい」

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