第103話 色は匂へど、散りぬるを。
夕食前にジョナサンから給金を受け取ったステファノは、袋の中身を見て青くなった。飯屋時代の給金1年分を超える額が入っていたのだ。
「あの、食費とか家賃はいくらお渡しすれば良いのでしょう?」
「馬鹿なことを言うな。そんな物この家にあるわけないだろう。旦那様は貴族流のやり方だからな」
「こんなにたくさん受け取っても良いのでしょうか……?」
心配そうな顔をしたステファノを見て、ジョナサンは肩を叩いてきた。
「その袋にいくら入っているか、俺は知らん。知らんが、俺たちの給金より大分多いことはわかる。だが、それはお前が体を張って稼いだ金だ。四の五の言わず、堂々と受け取っとけ」
「その両手の包帯を見りゃあわかる。命がけで働いたんだろ? だったら胸を張れ!」
ありがたいと思うなら、働きで返すことだとジョナサンは戸惑う若者に言い聞かせた。それが奉公というものだと。
「その内酒でも奢ってくれるってんなら、俺もケントクも拒みはしねえぜ」
そう言ってジョナサンは肩を揺すって笑った。
「任せてください! 一緒には飲めませんが、旨い酒の目利きはできます!」
「おお。そいつぁ頼もしいぜ」
結局ステファノは部屋に戻って「飯屋当時」の給金1月分ほど現金を手元に残し、残りをジョナサンに預けることにした。
ジョナサンは中身をきっちり確認して預かり証を作り、ステファノに確認を求めた。
「間違いありません。よろしくお願いします」
「ああ。館の金庫に仕舞うからな。滅多な事で盗まれるもんじゃないぜ」
夕食をパンとシチューで済ませると、「そろそろ固い物も食べたいな」などと考えながらステファノは自室に戻った。
1人部屋でランプも好きなだけ使える、庶民には考えられない贅沢を与えられていた。
「さてと……」
小机にノートを広げ、いつでも気づき事項を書き留められるようにすると、ステファノはギフトの検証を始めた。
先ずは教えられた通り、ギフトの名前を呼んでみる。
「『諸行無常』……! 何も起きないな? じゃあ、もう一つの呼び方か?」
「『いろはにほへと』……!」
すると体の奥、それとも頭の奥だろうか、どこか「内側」で何かが柔らかく光った。
ステファノは目を閉じ、内なる光に「眼」を向ける。意識を集中する。耳を傾ける。
<色は匂へど、散りぬるを――来し方を
「何だろう? 雑音で聞こえないところがある。いまはこれだけってことだろうか?」
何度やってみても結果は同じであった。
「ふうん。思ったようにはいかないものだな。今度は実際に使ってみるか」
部屋にある物、家具や私物のペンや服、背嚢などに試してみた。物であっても、ギフトを使い意識して視ればわずかに光をまとっていることがわかった。
「『来し方を
「『諸行無常』とはすべての物が常に形を変えているということだろう。それと『色は匂へど、散りぬるを』という言葉はたぶん同じ意味だ」
「『散りぬるを』というのが将来を指しているのだろうな。今度はこの言葉で試してみようか」
「散りぬるを――」
すると背嚢の周りの光がチリチリと瞬いた。ほんのりと薄い紫に染まって見える。
「色の違いに意味があるのだろうなあ。『紫』は何の意味だろう? おや、色の濃い部分がある?」
背嚢のポケットを押さえる部分だけ紫の色が濃い。ギフトを消して仔細に見たところ、留め具の縫い留めがほつれてほどけかけていた。
「これのことかな? 将来壊れそうな部分が紫に染まるんだろうか?」
その夜は、紫の色しか視ることはできなかった。試みに自分自身を視ようとしてみたが、体を見下ろしても、鏡を見ても、目をつぶっても結果は同じで、もやもやと漂う白い光が見えるだけであった。
「自分のことはわからないのかもしれないな。あるいはまだギフトを使いこなしていないだけか?」
焦っても仕方がない。もっと魔力やギフトのことを知らなければ、正しい使い方はわからないのだろうと、ステファノは根を詰めずにギフトの探求を留めて置いた。
「マルチェルさんも、ギフトの鍛錬と心身の鍛錬を並行して行ったと言っていたっけ。旦那様も研究とギフト使用が表裏一体だった様子だし。近道は無いということかな」
「それでもギフトなんて物に出会えただけで、儲けものだよ。魔術師になれる可能性がぐっと高まった気がする」
それからステファノはベッドに入るまでの時間を、翌日からの行動計画に充てた。
ネルソンの書斎、それも所蔵書物を自由に使って良いという許しは、心を浮き立たせるものだった。
まともな「本」と言える物など、生まれて今まで読んだことがない。手習いの手本とか、読み本くらいしか見たことが無いのだ。
しかも、魔術に関する本があるらしい。
「やっぱり侯爵家の身内だから手に入れられたんだろうなあ。お金があっても買える物じゃない気がする」
そんなものを読ませてもらえるとは。何とありがたいことだろう。
つらいことのあった数日だったが、ネルソンやマルチェルの気づかいが痛いほどわかり、温かい気持ちと共にステファノは眠りに就いた。
◆◆◆
「うわっ! 寝過ごした!」
焦って飛び起きたステファノであったが、朝8時にはなっていなかった。日の出と共に目覚めるステファノにしては、ずいぶんな朝寝坊と言えた。
「何だろ? 怖い思いをした後に、安心したからかな?」
夢も見ずに熟睡したのは、若さゆえの回復効果なのだろうか。内出血した手のひらが痒いくらいで、体が快調なのも良い兆しに思えた。
食堂に行ってみると、使用人たちは食事を終えて歓談していた。気恥ずかしかったが、今日だけは大目に見てもらおうとステファノは頭を下げた。
「おはようございます。寝坊してすみません」
「おう。そんなに遅くもないぜ。8時を過ぎたらプリシラに添い寝をさせようかって言ってたところだ」
「う、嘘です! そんなこと言ってません!」
「おう、嘘だぜ。そうやって慌てるところが面白いんだぜ、若いもんは」
ジョナサンはどうも掴みどころがない。偽悪的なことを言って本音を掴ませないタイプのようだった。
「プリシラは可愛がられてるんだね?」
「ち、違うわよ!」
うーん。これは年上の男から見たら、「いじり甲斐がある」と思われるタイプじゃなかろうかと、ステファノはちょっと心配した。そういえばプリシラのまとう光が薄紫がかっている?
「朝食はパンがいいかネ。それとも朝粥にするか?」
ケントクは既に席を立って、厨房に向かう姿勢だった。
「いいですか? できるなら、昨日の『チャーハン』という料理をもう一度食べてみたいんですが」
「おお? 気に入ったかネ。なんぼでも作ったるがネ」
2分でケントクは帰って来た。
「ゆっくり食べたらええがネ。スープもあるでヨ」
昨日は無かった黄金色のスープをつけてくれた。
スープには、陶器のスプーンが添えられていた。
「ああ。スープの香りが良いバランスですね、チャーハンと。相当煮込んで出汁を取ってますか? そうですか。これがベースですか。ああ、ネギの青みと合いますね。このくらい強い臭いの野菜でも良いんですね? この肉は、何でこんなに濃い味がついているんですか? 『ちゃーしゅー』? 煮込んだんですか? ローストビーフとは違いますね」
ステファノは一流料理人になる資質は持っていないが、一流料理人を見分ける目は持っていた。ケントクはまぎれもなく一流だ。
研ぎ澄まされた感覚が常人と違う。何を作っても美味い物しか作れない。そういう選ばれた人間であった。
ステファノは米の最後の一粒までしっかり食べて、満足感に浸った。
「朝食に米は、初めて食べました。朝からこんな手の込んだ料理を食べるなんて、贅沢ですね」
「何も、何も。美味かったならええがネ」
これはケントクに美味いお酒を買って来なければと、ステファノは奮い立った。
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